病院の医師はその回復ぶりを「奇跡」と呼んだ。
2024年6月、ファイターズの球団社長はくも膜下出血で倒れた。
復帰を支えたのは、新庄監督との絆、そして球団の活躍だった。
この記事の画像(15枚)「あらためまして長いことすみません。きょうの目標は泣かないってことだったんですけれど。あんまり泣くとインスタにあげられると困る。3か月間、ベッドで皆さんの活躍を見ていて、本当にありがとう。きょうからまたよろしくお願いします」(北海道日本ハムファイターズ 小村勝社長)
ファイターズ社長 奇跡の回復
北海道日本ハムファイターズの小村勝社長は、3か月ぶりに職場に復帰した。
社長に就任したのは、ボールパークが開業した2023年。
会見では新庄監督とのかけあいがたびたび見られた。
「このエスコンフィールドで新庄監督の胴上げを見たいという方がたくさんいるので、我々もそこだけ期待して」(小村社長)
「胴上げじゃ当たり前すぎて面白くないんで。違う形で優勝したときにこういう形でやると考えているので楽しみにしておいて」(北海道日本ハムファイターズ 新庄監督)
くも膜下出血で倒れた6月10日
今シーズン、チームが躍進する中、小村社長が突然倒れた。6月10日の昼のことだった。
「私は(社長が)倒れたのを発見した社員に呼ばれて、すぐに駆けつけた。血の泡を吹いている状態で、ただごとじゃない。体調不良とかそんなレベルじゃないというのは見た瞬間に感じた」(北海道日本ハムファイターズ 西田岳士さん)
「(Q:倒れた日のことは?)全然覚えてない。その昼に東京出張行く時に倒れたみたい。『G5』って言っていた。一番最悪な状態。意識もないし、(血管は)破裂してるし。家族には『覚悟してほしい』というような連絡がいっていたみたい」(小村社長)
14時間の大手術 「奇跡的」な回復
出血による脳の重症度は5段階のうち最も重い「G5」で、命が危険な状態。
手術は14時間にも及んだ。
「奇跡的。これほどの短期間に後遺症もなく復帰されたということで、選手、球団職員、みんなの気持ちが社長に伝わったんじゃないか」(日本ハム 藤原寛英さん)
小村社長が目を覚ましたのは、手術から4日後。
ファイターズの勝敗が回復のカギに
家族や球団関係者の献身的なサポートもあり、手術の跡や若干の足のしびれは残るものの、わずか3か月で日常生活が送れるほどに回復した。
「やっぱりファイターズのことばっかり考えていた。ファイターズが勝つと元気になるし、負けるとへこむし。間違いなく影響はあったと思う、ファイターズの活躍は」(小村社長)
新庄監督はエスコンフィールドでの試合の前に何度も病院を訪れ、小村社長に「前向きな言葉」をかけてくれたという。
「ここに書いているけどね。『さあリハビリ楽しみましょう』って。なんでこんなことになったんだろうって、ネガティブに考える。そうじゃなくて『楽しんで前向いてやっていきましょう』って彼は最初から言っていた。『社長、奇跡を起こしますよ。日本一行きますよ。日本シリーズ行きますよ』と。冗談じゃなく、本気でチーム全員が思っているし、我々も思ってますし、行けるところまで行きたい」(小村社長)
9月25日、エスコンフィールドでの試合に駆け付けた小村社長を待っていたのは、球団関係者だけではなかった。
「社長~」
「頑張らないで。頑張らないで」(いずれもファン)
「プロ野球の持ってる力ってすごい。僕もファイターズに力をもらったし、そういう人がたくさんいる。みんなと一緒にここでCSを見てもらいたい。チームと一緒に北海道にCSをもってきたい、という思いでやってきた。間に合ってよかった。何とかなりそう」(小村社長)
「奇跡の生還」を果たした小村社長。
ファンの応援、そして新庄監督との絆で「日本一」を目指す。