あの日は秋晴れで山頂付近には多くの登山者が。御嶽山の噴火災害から9月27日で10年。死者58人、行方不明者5人、戦後最悪の火山災害となった。課題となったのが「火山防災」。10年たった現在の御嶽山を取材した。
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2014年9月27日午前11時52分
標高3067メートルの御嶽山。
地元では親しみを込めて「お山」と呼ばれ、多くの登山者も魅了してきた。

しかしー
2014年9月27日午前11時52分、水蒸気噴火が発生。
あの日は秋晴れで山頂付近には多くの登山者がいた。

死者58人・行方不明者5人、戦後最悪の火山災害となった。
防災設備の拡充
あれから10年ー。
登山口などには火山であることを踏まえた装備や心構えを呼びかける看板が設置されている。
登山者は「ヘルメットを推奨されている情報もありましたから、用意をしてきました」と話す。

「想定火口域」を知らせる看板も設置されている。
想定火口域は、10年前の噴火を踏まえ、2022年、拡大された。噴火警戒レベルが「2」=「火口周辺規制」になると火口から1キロが立ち入り禁止となる。

30分ほどで2936m「王滝頂上」へ。
この10年で大きく変わったのが防災設備の拡充だ。
王滝村が設置した避難施設。140人収容で、防災倉庫も備えている。

王滝山頂を過ぎ、最高峰の剣ヶ峰へ向かう途中の「八丁ダルミ」。
噴石などで17人が犠牲になった場所で2023年、立ち入り規制が解除された。

ここにもシェルターが設置されている。
噴火の日、登山をしていたという男性に出会った。
男性は「(噴火後)逃げてる最中に妻に電話して、『きょう、帰れないかもしれない』っと言って、覚明堂(山小屋)に逃げ込んで、十数秒くらいしたら、真っ暗になりました」と当時を振り返る。

山小屋に逃げ込んで難を逃れた男性。
噴火後、毎年、御嶽山を訪れていて、その変化を感じている。

「道も変わっていますし、シェルターもできているので『あ、変わったな』と。逃げられるところがあるので逃げるということが必要」と話す。
八丁ダルミでも
八丁ダルミを歩き30分―。
噴火当時、付近には2つの山荘があったが、解体されシェルターとなった。
周辺は整備されたが、一部に噴火の爪痕も残っている。

周辺は整備されたが、一部に噴火の爪痕も残っている。
登山者の意識も変化
3067m、山頂・剣ヶ峰―。
噴火後、登山者の意識も変化しているようだ。

登山者は「自分だったらどうしよう、どこに隠れようと思いながら登山している」、「ヘルメットは絶対、あとは、山頂付近は止まらずに歩きましょう」と話し、注意しているという。
剣ヶ峰北側の「二ノ池」
かつてはエメラルドグリーンの美しい池だった剣ヶ峰北側の「二ノ池」。
火山灰の流入で池は濁り、水たまりほどに小さくなった。
そのほとりに立つ「二ノ池山荘」。火口から最も近い山小屋だ。

「噴煙が迫る中、外にいると危険なので、どんどん小屋の中に入ってくださいと大声で案内をさせてもらいました」と当時を振り返るのは、二ノ池山荘の支配人・小寺祐介さん。

噴石が直撃する中、逃げ込んだ登山者約50人にヘルメットや水を配りその後、下山まで誘導した。
小寺さんは「私自身、冷静でいるつもりでしたけど、やっぱり膝が震えていました」と当時の心境をあかす。

山荘は2019年に再開。屋根と火口側の壁に噴石などを通過させない「アラミド繊維」を張り巡らし、「シェルター」の役割も担っている。
山荘の支配人 使命は「教訓を伝える」
長さ40cm、重さ7kg。
当時、山荘に降ってきた噴石を展示している。
小寺さんは「ここが噴石が当たるエリアに建つ山小屋だということを忘れないための『教訓』という意味でもある」と話す。

小寺さんが意識していることは、災害を伝えること。
「剣ヶ峰があっという間に黒い火山灰に飲み込まれて、斜面に噴石が当たって、パンパンパンという乾いた音を立ててました。5分もたたないうちにお昼の青空がなくなって全部灰色の空に変わってしまいました」と、小寺さんは当時の様子を話す。

宿泊者には自身が撮影した写真で災害の怖さを伝えている。
「26日(噴火の前日)は本当にきれいな紅葉真っ盛りの時期でした。灰で埋まってしまって、山が灰色になって、登山者の服の色しかないんです」
噴火から10年の節目に小寺さんは写真集も作成した。

小寺さんは「いくら噴火対策を整えたとはいえ、御嶽山が火山であることに変わりはありません。噴火当日いた人間として、そういったことを語り部のような形で伝えていくのも、ひとつの『使命』なんじゃないかなと思っています」と話し、教訓を伝えていきたいとしている。

(長野放送)