「3年のあいだに、こうも変わってしまうのか」。
兵庫県の斎藤元彦知事が就任した2021年、私はカンテレ神戸支局のキャップだった。
この記事の画像(16枚)斎藤知事の言動をめぐる一連の報道を見ると、驚くほかない。稚拙な面も多かったが、行動力・瞬発力があり、期待もしていたからだ。今だから言える裏話も交え、「話題の人」斎藤知事について書きたい。
■「左遷ですかあ?」東京で遭遇した斎藤知事の愛嬌
私は今、東京駐在記者として主に国会の取材をしている。
今年4月、国会内の地下道で、斎藤知事の一団とバッタリ遭遇した。何かの公務で上京したのだろう。「いやーご無沙汰してますー」と声を掛けると、知事の顔はほころんだ。
傍らには、後に体調不良で降格を願い出る小橋浩一理事、後に休職し更迭される総務部長の姿もあった。
東京に異動したと伝えると、斎藤知事は「左遷ですかあ?」と3回聞いてきた。こういう面白くない毒舌が斎藤知事らしい。
だが、驚いたのはその後だ。
私の肩書きが変わったので名刺を差し出すと、斎藤知事は側近に「おい名刺!」と言った。就任当初は、年上の幹部に「おい」などと言う場面は見なかったので、驚いた。
この時はすでに、前県民局長による告発文書が出回り、県の公益通報窓口にも提出された後だった。斎藤知事に「何か最近の県庁、大変みたいですねえ」と聞いてみると、一瞬で渋い顔になった。
■待たせても怒らなかった斎藤知事
最新の取材によると、斎藤知事は、待たせると激怒するらしい。だが3年前は、そんな様子は見えなかった。
2021年11月、兵庫県は万博会場への輸送も見据え、神戸港の遊覧船を海上クルーズ船として活用できないか社会実験を行うことを決めた。夕方ニュースで船の前から生中継をしようと準備していると、「あれっ鈴木さん!こんなとこで何してんの?」と声が聞こえた。後に斎藤県政で総務部長となる秘書広報室長だった。
秘書広報室長「知事が今そこにいるから、出てもらう?」
その時、本番15分前。私は大阪本社に「知事の名前テロップだけ用意してくれ。後はこっちで何とかする」と急いで伝えた。
すぐにやって来た斎藤知事は、電話で打ち合わせする私を笑顔で待ち、リハーサルにも参加した。
斎藤知事「ようそんな、原稿もないのにペラペラしゃべれますねー」
筆者「まあこれが商売ですから…」
そんな会話をしながら、その頃の斎藤知事は、10分待たせても怒ることはなかった。
■斎藤知事と一緒に風呂に入った
私と斎藤知事の関係性が変わったのは、2021年12月、県庁を離れリモートで業務する「ワーケーション知事室」の取材だった。第1回は兵庫県多可町、西脇市で、多くの報道機関が同行取材した。知事の希望で多可町のジェラート店に立ち寄った。あまりに急な予定外の行動に、半数くらいの記者が取材できず、次の視察先で待ちぼうけを食らう一幕もあった。
その夜、私と音声スタッフが、斎藤知事や秘書広報室長らと風呂に入っていた。先に上がった知事が脱衣場で体を拭いていた時だった。室長に「鈴木さんって何歳なの?」と聞かれた。「昭和53年生まれなんで…」などと答えていたら、突然、斎藤知事が大浴場の引き戸をガラガラと開けて「えっ!鈴木さん、僕の1コ下なの?いくつ?」と聞いてきた。随分と、うれしそうだった。
翌朝、斎藤知事が散歩で里山を登ったときも、山頂で息切れする私を見て「鈴木さん僕より年下だよね~?」ときた。この取材以降、斎藤知事の私への敬語は極端に減った。
■3年前 斎藤知事“誕生”を支えた面々の“変節”
この「第1回ワーケーション知事室」を実質的に仕切った人物が、内藤兵衛県議だ。ワーケーション知事室の訪問先は内藤県議のお膝元だった。知事選で自民党県議団が分裂した際、「斎藤支持」側の会派トップに就任し、選挙を取り仕切った。分裂した自民会派は、私が異動した後に再び統一され、内藤県議は議長に就任した。
ところが、斎藤知事の一連の疑惑が発覚すると、県議会は全会一致で、調査のための第三者機関の設置を求めた。その要望書を斎藤知事に手渡したのが、誰であろう、内藤議長である。内藤議長がもの悲しい表情に見えたのは気のせいだろうか。
斎藤知事に対し、最近ひときわ厳しい姿勢を見せた人物が、自民党兵庫県連会長の末松信介参院議員である。今年7月の自民党兵庫県連大会の場で、「大きな、正しい判断をしていただきたい」と、事実上辞職を求める発言に踏み切った。
末松議員にも、斎藤知事に関する裏話がある。知事選前の2020年夏、総務省から大阪府に出向中だった斎藤知事を、県議に引き合わせたのが末松議員だった。その誘い文句は、「ナイスガイがいる。会ってみないか」だったという。
誘われた石川憲幸県議は、「男に男が惚れるとはこのことか」と斎藤知事をいたく気に入り、支援に回った。石川県議は疑惑発覚後も、百条委員会設置をめぐる採決で、会派の決定に背いて反対し、「斎藤支持」を貫いた。
■ヨイショの「新県政の副知事」と叱る「旧県政の副知事」
片山安孝副知事(当時)の「号泣会見」は、なかなか衝撃的だった。
片山副知事は、斎藤知事が就任した後に副知事になった人物だ。就任当初、県職員に「片山新副知事ってどんな人なんですか?」と聞くと、「良くも悪くも声がデカい人」だという。ユーモアと、時に強引な突破力で、県庁の有名人だったそうだ。
2021年12月、芦屋市のヨットハーバーで開かれた「兵庫・大阪連携会議」を思い出した。出席した大阪府の吉村洋文知事が、兵庫県の幹部に直接、「大阪府と連携を進めるための組織」をつくる意思があるか確認する場面があった。
片山副知事は「素晴らしい」「全くその通り」と、吉村知事の発言を褒めちぎりながら、組織づくりを約束していた。
当時、副知事がもう1人いた。井戸敏三前知事時代から留任していた、荒木一聡副知事(当時)だ。県幹部らによると、荒木副知事は「斎藤知事の教育係」とも言われ、「知事、それはあきません」といさめる場面も多かったという。だが、任期途中の2022年3月で退任している。
私はその荒木元副知事とも、東京でバッタリ会った。
今年7月、参院議員会館を訪れていて、「なぜ東京にいるのか」とお互いに驚いた後、斎藤知事のことも聞いてみた。腹に据えかねる思いもあるはずだが、荒木元副知事は「斎藤知事には同じ話だけでなく、県民が知りたいことを、しっかり説明してほしい」と語るだけで、斎藤知事を悪く語るようなことは一切なかった。私情ではなく県民の視点でモノを語る。こういう大人になりたいと純粋に思った。
■“霞ヶ関の先輩”「あの斎藤がパワハラ?信じられない」
会合で総務省の幹部と同席したことがある。斎藤知事は総務省の官僚だったが、「先輩」からはどう見えていたのか。その幹部は、「しゃべりはとても下手だが、優秀だ」と繰り返した。今回のパワハラ疑惑については、「あの斎藤が?と信じられなかった」と話していた。
兵庫県選出の様々な党の国会議員にも聞いてみたが、「腰が低いソフトな人という印象だったので、報道には驚いた」と口をそろえる。
■選挙で支えた“維新”はマスコミ報道を批判
分裂した自民党と共に、斎藤知事を選挙で推薦した日本維新の会は、一連の疑惑報道の方に疑いの目を向ける。藤田文武幹事長は8月28日の会見で、「極悪な知事がいて糾弾しないといけない、という状況ではない」と語った。
藤田幹事長はさらに、県議会の運営に強い不信感を示し、「秘密会議で行われたものを、自民党の議員がヘラヘラ笑いながら会見で暴露してしまっている。委員会で出される資料も、すぐにメディアに出される。百条委のクオリティの問題は、私はあると思う」とも述べている。
だが維新の内部にも、「告発者が亡くなった時点で、結果責任を負って知事を辞職すべきだった」という声がある。斎藤知事を擁護するように世間に思われれば、自らの選挙にも影響するわけで、党執行部への不満もたまってきたという。
「ただの怪文書」として握りつぶされるかもしれなかった内部告発を、今の神戸支局のメンバーが連日、関係者に取材し続けた結果、全国的なうねりとなって、斎藤知事に疑いの眼が向けられている。だがその間、残念ながら2人の命も失われてしまった。
斎藤知事は就任当初から、批判を受けると「印象操作」という言葉で片付けようとしてきたが、その手が通用する時期はとうに過ぎている。会見が長ければいいというものではない。県民が納得できる説明と結論を、一刻も早く示してほしい。
(関西テレビ東京駐在記者 鈴木祐輔)