2024年8月9日午前11時2分。長崎市の上空、約500メートルでさく裂した原子爆弾「ファットマン」は、4000度の熱線と大量の放射線を放出し、一瞬にして7万人以上の命を奪い去った。長崎に原爆が投下されて79年となるこの日、この時間。平和を希求する鐘が鳴らされる中、長崎市では平和祈念式典が行われ、黙とうがささげられた。
この記事の画像(11枚)祈りに包まれるその日の長崎
長崎を焼きつくした原爆は当初、広島に続く目標地として当時の福岡・小倉市、現在の北九州市への投下が計画されていた。アメリカ軍は小倉上空で3回爆撃航程を取ったものの、視界不良のため長崎へ針路を変える。小倉は原爆投下を免れたのだ。
“もし小倉に原爆が落ちていたら…”というテーマで『北九州市平和のまちミュージアム』では現在、企画展が開催されている(2024年10月6日まで開催)。重信幸彦館長は「もし、ここに原爆が落とされていたら私は今いません。そう仰る方々の言葉を耳にしています」と企画展の意義を語る。
そして今、平和への願いを新たなかたちで残すために、折り鶴を使ったあるプロジェクトが進んでいる。
処分される10万羽の“折り鶴”
長崎原爆資料館には、平和の思いが込められた折り鶴が毎年、国内外から届けられ、その量は1トンを超えるほどだ。祈りとともにささげられる折り鶴だが、この折り鶴には長年抱える課題がある。
折り鶴は寄贈された後、どうなっているのか?長崎平和施設管理グループの堀部龍也施設長に尋ねると「黒とか、濃い色で作られたものはリサイクル自体ができないんで…。思いが込もっているものですから、捨ててしまうというのは忍びないが…」と申し訳なさそうに話す。
届けられる折り鶴のうち、リサイクルに不向きとされる濃い色や発色の強いものなど1割、約10万羽はそのまま処分されているのが実情なのだ。
100%再生可能な“光る和紙”で
この現状を知り、さまざまな活用ができる折り鶴を作ろうとしている人が佐賀市にいる。長崎出身の宮下清次郎さん(39)、祖母が被爆経験を持つ被爆3世だ。佐賀市の和紙の工房『名尾手すき和紙』で、工房の代表を務める谷口祐次郎さんと、ある特別な紙の開発をしていた。
「石を混ぜるのは初めて。きれいに入ってくれるのかとか心配」と依頼を受けた谷口さんが、和紙に混ぜているのは“電気いらず”で光るという「蓄光」の天然石で、紫外線などの光エネルギーを蓄えて放出し、青白く光るというもの。
宮下さんが進めているのは「光る折り鶴プロジェクト」。原爆資料館に折り鶴の寄贈を考えている学校や団体に向けて、光る和紙を提供しようというのだ。また、折り鶴人気が高まる外国人観光客などへのお土産として活用するほか、街を彩る装飾品として二次利用する構想もある。さらに光る和紙は再生紙として100%リサイクルも可能だ。現在は実現に向け、長崎県教育委員会と協議を進めている状況だという。
被爆3世の宮下さんには「折り鶴は願いを、思いを込めて折るので、やっぱりそれを処分することは、いい感じはしない」と捨てられる折り鶴についての静かな思いがある。
“光る折り鶴”を原爆資料館へ
光る和紙の制作から1カ月、完成を確認する日。
子どもたちと折っている巨大な鶴は、プロジェクトのスタートとして長崎原爆資料館に寄贈するものだ。きちんと光るのかどうか、初めて暗闇で試される。
その瞬間、子どもたちの間から上がる歓声。平和の色をイメージしたという鮮やかな青色をまとった鶴が、暗闇を照らした。
「すごいですね!思ったより全然。ここまでくると照明器具みたいな」と谷口さんも満足げだ。
7月19日、長崎原爆資料館に巨大折り鶴が寄贈された。
資料館の堀部施設長は「多くの方に見ていただきたいと思ってるので、きれいに飾りたい。プロジェクトをぜひ実現していきだきたい」と話す。また宮下さんも「ここが光る和紙で埋め尽くされたらいいなって思っています。学校で、まず子どもたちに折ってもらいたいのが次の目標」と被爆3世としての思いを語る。
平和への灯として静かに放たれる光
新たに始まった折り鶴の処分を減らすための取り組みだが、被ばく体験者が年々減少し、平和への発信力が弱まる懸念もある中、次の世代へ向けての平和の灯として静かな光を放つ。
宮下さんが制作した光る折り鶴は、北九州市平和のまちミュージアムにもすでに寄贈されていて、見ることができる。将来的には北九州市をはじめ、福岡県内の学校の子どもたちにも折ってほしいという思いが込められている。自治体とも協議が進んでいる最中ということなので、プロジェクトの普及に期待したい。
(テレビ西日本)