シリーズ被爆79年「残された時間(とき)」。被爆死した少女が遺した日記とその姉の被爆証言から、いかに証言者の心の痛みや辛さを伝えていくかを考える。
8月5日で終わった日記
原爆資料館で行われている企画展で、12歳で被爆死した少女の日記が展示されている。
この記事の画像(20枚)日記は学校での新生活への喜びから始まる。
<日記の内容>
4月6日「一生に一度しかない学校への入学式。一日でも早く皆んなと仲良くしたい」
4月9日「きょうからいよいよ学校が始まった。女学校に来るのが楽しくてたまらない」
その後、戦況の悪化とともに、出てくる言葉も「B29」「警報発令」「憲兵隊」と、勉強どころではない様子が伝わってくる。
そして8月5日「泳ぎに行った。今日は大へんよい日でした。これからも一日一善と言うことをまもろうと思う」で終わっている。
この日記は石崎睦子さんのもので、12歳のとき学徒動員先で被爆し、行方不明のままだ。
姉の植田のり(※漢字は矢に見)子さん。92歳の今もあの日の記憶は鮮明だ。
朝、妹の睦子さんと家を一緒に出て、それぞれの学徒動員先に向かうために別れたのが、睦子さんの姿を見た最後だったという。そして、のり子さんは、朝礼で点呼を受けているときに原爆が投下された。
植田のり子さん:
ぴかっと光った瞬間に伏せたんです。校舎が少し防いでくれていたんじゃないか。いた場所がよかったんじゃないかと思うが、誰も怪我をしませんでした
動員場所が生死を分ける
2人の学徒動員された場所が運命を分けた。妹の睦子さんは、爆心地から800mの土橋付近、のり子さんは爆心地から1.8キロの観音町で被爆。1キロ違うと状況は相当異なる。
植田のり子さん:
そこらへんに死体が転がっているわけですよね。それをトラックへ積んでは、どこかへ持って行ってましたから、いっぱい死体があって、どこへ持っていったのかそれは、私たちには、わからない。妹も倒れてなくなって、トラックに積まれてどこか連れていかれたんだろうと思います
原爆資料館には、今、睦子さんのその日の洋服が展示されている。睦子さんを探しに行った父が見つけたが、父の着物の生地から作ったものだから娘の服だとわかったという。
今になっても見ることができない妹の着ていた服
妹の貴重な遺品をのり子さんは長い間見ていないという。
植田のり子さん:
入れなかったんです。足がすくんで。だから資料館の上も上がったことはない。見たくない
のり子さんは、頼まれて29年間、被爆証言者として語り部をしてきたが、辛くなって5年前にやめていた。
植田のり子さん:
私自分自身が切なくなるのよ。だからやめさせてほしいとお願いした。切ないし、しんどいし、本当に疲れました。自分のほうから積極的に伝えたいという気持ちは、もうこの年になったらないですよ。まぁ心のどこかにね、言ったって、わからないだろうなという気持ちが半分あります
そんな中、のり子さんの母校にあたる広島皆実高校の後輩たちが、毎年卒業生の被爆体験を地域の人に伝える活動をしている。のり子さんは、その打ち合わせに呼ばれたが、「後輩の依頼なら」と、同級生とともに高校に赴いた。高校生からは「平和とはどのようなものか」という質問が出たが、のり子さんは、こう答えた。
植田のり子さん:
これが平和ですよ。何不自由なく毎日学校に行けて、三度三度のごはんがちゃんと食べられて、お友達と遊べて、空から爆弾は降ってこない。これが平和ですよ。私の妹は骨一つかえってきておりません
「全てを理解できなくても、自分たちにできることはある」
被爆証言を聞いた高校生たちは、のり子さんらの体験を地域の人にどう伝えるか、意見を出し合ったが、どうすれば、うまく伝わるかで悩んでいた。
話し合った結果、「全てを理解し、そのままに伝えることは難しいが、それを踏まえた上で最善を尽くそう」ということで、地域の人には、のり子さんらに直接、語ってもらうことになった。
広島皆実高校 生徒会 越智 祐葵さん:
僕たちが語るよりも、お二人から語ってもらうことが大切だと思っているので、ぼくたちはサポートする側にまわろうと思う
地域の人たちへ「語り継ぐ会」の当日は、子どもたちも聞きに来て、受付には睦子さんの写真も。
植田のり子さん:
広島市内は夜通し朝になるまで燃えていました。その燃えるのを見ながら、私たちは、お父さんお母さんと泣き叫びながら見ていた。私は妹のことを皆さんに知っていただきたい。こういう時代があって、きょうがあるということをみなさん忘れないでいてほしいと思う
参加した地域の中学生:
今自分の中では、勉強することとかをいやだなと思ったりするけど、今はとても幸せなんだろうなと思いました
植田のり子さん:
少しでもわかってくれれば、生きてきた甲斐がある。若い人に期待します
被爆者の高齢化が進む中、被爆体験を語り継ぐには、次の世代、若い層にいかに関心を持ってもらうかが重要だ。時代が変わっていくにつれ、戦争の記憶が薄れていく中で、このような、若い世代への「語り継ぎ」の働きかけが、今、重みを増している。
※植田のり子さんの のり 漢字は矢に見
(テレビ新広島)