79年前、原爆が投下された広島で被爆し2023年に亡くなった比嘉幸子さん。
語り部として被爆体験を伝えてきた幸子さんの名前は、2024年平和の礎に刻銘され、家族が刻まれた母の名前を確かめた。
糸満市にある平和の礎を訪れたのは、那覇市出身で東京在住の森久美子さん。

新たに刻まれた母、比嘉幸子さんの名前を確かめた。
母の名前が追加刻銘された森久美子さん:
一生かけて平和をみなさんに伝えるように活動していたので、実際に母の名前を見たら感無量でした
2023年に91歳で亡くなった幸子さんは13歳の時、疎開先の広島で被爆した。

原爆は多くの同級生の命を奪い、沖縄に戻ってからは自身の体験を伝える語り部として、また県内の被爆者のために活動してきた。

森久美子さん:
広島女学院の石碑で、母はみんなの分まで長生きをして平和を伝えていくねって、石碑に手を合わせながら話しているのを側で聞いていたので平和を発信する場所に名前が刻まれたということは母の念願でもあるのかなと思います
真向かいの刻銘板には、偶然にも同じく広島で被爆した祖母、丸茂つるさんの名前が刻まれていた。

森久美子さんは「つるおばあちゃんと再会して 母は喜んでいるはず」と目を細め、これからは母のように平和のために出来ることをしていきたいと話していた
(沖縄テレビ)