金正恩総書記に随行する幹部が金氏をスマートフォンで撮影するなど、北朝鮮ではスマホの使い方が以前と変わってきている。党や軍の幹部だけでなく市民にとっても、今やスマホは手放せないようだ。
金総書記をスマホでパチリ
ロシアのプーチン大統領は6月19日未明、24年ぶりに北朝鮮の首都・平壌を訪問した。予定より5時間以上遅れて到着したプーチン氏を空港で出迎えた金正恩朝鮮労働党総書記は、ロシア大統領の専用車「アウルス」に同乗し宿舎へと向かった。
この記事の画像(8枚)錦繍山迎賓館の入り口では、金総書記の儀典秘書である玄松月(ヒョン・ソンウォル)党副部長が出迎えた。この時、玄氏は異例ともいえる行動を取った。車から降りた両首脳を自身のスマホで堂々と撮影したのだ。
金総書記の公開活動の写真は「1号写真」と呼ばれ、朝鮮中央通信や労働新聞などの「担当カメラマン」だけが撮影できるとされる。たとえ随行者であっても勝手に撮影することは許されない。
しかし、玄氏は自身のSNS(北朝鮮にはそうしたサービスはないが)にでもアップするかのように、何のためらいもなくカメラを向けていた。明らかに金総書記の許しを得た上での行動であり、私的な用途というよりは業務上、何らかの必要があったため撮影したと見られる。
スマホ写真は果たして誰に報告されるのか。金総書記の妹で玄氏の上司にあたる金与正氏へ送られる可能性もありそうだ。玄氏の個人スマホにはどれだけ、金総書記の“認証ショット”が個人所蔵されているのかも気になるところだ。
“手帳にメモ”からスマホに記録へ?
玄氏だけではない。金総書記に随行する党や軍幹部の間でも今やスマートフォンは手放せない。
これまで金総書記の現地指導といえば、最高指導者の「マルスム(お言葉)」を一言も聞き逃すまいと幹部らが必死にメモを取る姿がつきものだった。だが、今後はスマホがメモ帳にとって代わるかも知れない。
金総書記は7月15日、主要幹部らと共に咸鏡南道(ハムギョンナムド)新浦(シンポ)市の養殖事業所の建設地を視察した。
北朝鮮は年初から毎年20の市、郡に地方産業の工場を建設し、10年内に地方の生活水準を向上させる「地方発展20×10政策」に力を入れている。2024年度のモデル都市に選ばれた新浦市は、地の利を生かし海産物の養殖で経済発展を目指す計画だ。
関係者の会議で金総書記は「ホタテ貝とコンブの養殖をしっかりすれば、3~4年後には“金持ち市”になれる」と力説し、事業所の建設を人民軍部隊に委任した。
会議場所の一角には「新浦市浅海養殖事業所」の建設に関連すると見られる絵や図表、説明が書かれた展示が一列に並べられていた。会議が一段落すると幹部らが展示に群がり、スマートフォンで展示を撮影する姿も公開された。
幹部たちが手書きのメモでなくスマートフォンで記録をとる姿は、過去には見られなかった光景だ。金総書記の目の前でスマホ撮影をしていることから、金総書記は同行した幹部らが業務に応じてスマホを使うことを積極的に容認しているようにも見える。
2017年ごろまでは軍事パレードなど最高指導者が出席する公式行事に参列する場合、厳しいセキュリティチェックが課せられ、携帯電話やパソコンの持ち込みは一切禁じられていた。筆者もかつて金総書記が参加する行事を平壌で取材したことがあるが、その際には外部との連絡手段を奪われ、取材に苦労した経験がある。
海外メディアと党幹部では扱いに差があるとしても、携帯電話に対する規制が変化している一例と言えそうだ。それだけ、北朝鮮でも業務にスマートフォンが手放せない存在となっているのだろう。
「家を売ってでも携帯を買え」
では、一般の北朝鮮住民の携帯事情はどうなのだろうか。
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の機関紙「朝鮮新報」は3月、北朝鮮でスマートフォンは2018年時点で600万〜1000万人に普及していると報じた。人口約2600万人と推定すると、3~4人に1人はスマートフォンを所有していることになる。都市ごとの加入者数は明らかではないものの、農村をのぞく地方都市では1世帯に1台程度、携帯電話を所有していると見られている。
北朝鮮では、旧式のガラケーからスマートフォンまで数種類の携帯電話が流通している。最新のスマートフォンは500ドル程度(北朝鮮の工場労働者の給料の10年分)、旧式の中古なら30ドル程度で入手できると伝えられている。
平壌など所得の高い大都市の住民の間ではスマートフォンが人気で、輸出入貿易などに従事している場合は普通、2台以上のスマートフォンを使い回すとされる。海外との貿易に携わる人々の携帯は国家保衛部が24時間傍受しているため、他人名義で契約し保衛部の監視を避けるのだという。
地方都市では1台の携帯を一家で使いまわす形式を取る。家族を養うための食糧を誰が稼ぐかによって使用頻度が変わってくる。中国との密貿易に携わる地域では男性の使用頻度が高く、内陸部では市場で商売する女性の使用が多い。子供たちは大人が使わない時に順番で使うのだそうだ。
北朝鮮住民は食べていくために商売をせざるを得ず、そのためには携帯電話が欠かせない。経済的な苦境を生き延びるうえで携帯電話は必須であり、「家を売ってでも携帯を買え」と言われるほどだ。
北朝鮮のスマートフォンには画面にアプリストアがなく、個人でアプリをダウンロードして使用することはできない。アプリを購入したり、携帯電話を修理するには政府傘下の「情報技術交流所」に依頼する。最近では地方都市にもこうした「情報技術交流所」が増えているという。金総書記が推進する「地方発展20×10政策」の一環で、地方政府の名義で個人が「交流所」を運営することが許されたためだ。
アプリの種類も娯楽ゲームから図書、料理、健康管理など多様化している。電子決済も可能で、買い物用アプリには食料品から日用品まで多彩な商品が並ぶ。
スマートフォンの普及と利用拡大によって、経済的に自立し多様な情報を入手する北朝鮮住民は今後も増えることが予想される。それが北朝鮮社会にどのような地殻変動をもたらすのか。変化は既に始まっていると言えそうだ。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)