西日本豪雨から6年。愛媛県内でも有数のミカンの産地・宇和島市吉田町は土砂崩れなどで甚大な被害を受けた。こうした中、一部の農家は大掛かりな復旧工事「再編復旧」の道を選んだ。産地の未来を見据えて前を向く。
西日本豪雨から6年 ミカン農家の今
全国有数のミカンの産地、愛媛県宇和島市吉田町。急峻な山で育ったミカンは甘くてほどよい酸味のある味の濃さが自慢だが、6年前、町の姿は一変した。

2018年の西日本豪雨では、町内だけで2200カ所以上の土砂崩れが発生。ミカン畑も甚大な被害を受けた。

土砂崩れによって変わってしまった山の形。復旧のために県が示した方法の1つが「再編復旧」だ。「再編復旧」とは、山を切り崩して埋め、緩やかな傾斜の園地に整備し直す災害に強い復旧方法。
大きくなだらかな畑になれば、農機具も入りやすく作業も楽になる一方で、そこでミカンが実り、収益を出すまでには10年単位の時間がかかる。吉田町では、66人がこの「再編復旧」の道を選んだ。

2024年3月、吉田町玉津地区の一部区間では再編復旧工事が完了。ミカンの苗木が植えられ、復興に向けた新たなステップを踏み出した。
植栽が始まった園地の農家・河野道成さんは「やっとここまで来たなという感じ。これから先長いが頑張っていきたい」と意気込みを語った。
真ん中がすっぽりと抜けた山
しかし、同じ吉田町でも立間地区では、今もまだ着工していない状態だ。

立間地区の内陸側の端に位置する大河内で、ミカン農家を営む村井優介さんは、西日本豪雨によって畑の3分の1となる1ヘクタールほどが被害を受けた。
「川が流れてるんですけど、川が全部氾濫して低い土地のところは全部土砂が入った状態だったり、山を崩れて潰されたような土地が結構あったんです」と当時の状況を話す村井さん。

農業倉庫は中の農機具ごと土砂で流され、被害額は2000万円以上に上った。村井さんは被害を受けた園地のうち、3割をできる限りもとの形に直す「原形復旧」。そして7割を「再編復旧」することを決めた。

園地の1つを実際に見せてもらったが、村井さんがミカンを育てていた急斜面の園地では土砂崩れが発生し、山の真ん中がすっぽりと抜けていた。

このすっぽりと抜けてしまった園地は、崩れた所を鉄の柵と石で固めて「原形復旧」を行った。しかし、園地の所々には表層の土が削られて出てきた硬い岩盤が露わになったまま。今も残る被害の爪痕だ。
村井さんは硬い岩盤をつるはしで砕いて穴を掘り、そこにミカンの苗を植えた。
時間がかかる再編復旧を選んだワケ
一方「再編復旧」を選んだ残りの園地には、背の高い草が生い茂っていた。

村井さんの園地がある地区では、1.1ヘクタールの農地で「再編復旧」の工事を予定。急傾斜の園地に土を入れ、階段状の緩やかな傾斜の園地に作り変えて、車が通れる道路も整備し直す。

しかし、こちらの地区は工事の入札準備に時間がかかり、着工には至っていないことに対し村井さんは焦りを感じている。

宇和島市吉田町立間のミカン農家・村井優介さん:
やっぱり焦りはありますよね。木を切っているような所もあるし、収入がその分減っているので。野菜みたいに周期は短いものじゃないんで。植えてから何年もしないとミカンは取れない。やっぱり1年でも早くっていうような思いはあります。
他の園地を借りてミカンを栽培するなどしているものの、収入は被災前より3割ほど減った。
長い時間がかかる「再編復旧」。それでも村井さんがこの道を選んだのには理由がある。

宇和島市吉田町立間のミカン農家・村井優介さん:
僕以外はもう70代の方がほとんど。その人らが農作業しやすいのはもちろん、後継者が出てきた時もやりやすい土地だと提供しやすい。

愛媛県南予地方局によると、村井さんたちの地区は現在、工事業者の入札手続き中で、決まり次第、順次工事を始める見込みで、当初の予定通り2026年度には完成させたい考えだ。

「ミカンの産地として栄えてきた土地なんで、先輩らがやってきたことを守っていきたいし、産地として持続していけるようには頑張りたいなと思っています」と意気込みを話す。
産地の伝統を守り、未来につなげていこうとする強い意志。
西日本豪雨から6年。愛媛ミカン発祥の地、宇和島市吉田町の立間は、今も復興への長い道のりを歩んでいる。
【取材後記】
西日本豪雨から6年が経ちました。
初めて宇和島市吉田町立間地区を訪れ、復興の難しさを目の当たりにしています。
「もう6年経つのにまだこんな状態」村井さんの言葉には焦りが滲んでいました。

再編復旧は大きな選択であり、長い時間がかかります。それでも未来を見据え、この道を選んだ農家の方々の強い意志が、いち早く実を結ぶことを心から願っています。
2018年当時、関東の大学生だった私は、被災の様子を映像でしか知りませんでした。今回の取材で今も残る爪痕を見たほか、当時の状況を直接伺い、災害がもたらした被害の甚大さを痛感しました。
そして7月12日に松山市中心部にある松山城の城山でも大雨によって土砂崩れが発生し、3人の方の命が奪われました。発災直後の現場を取材し、松山市の市街地に流れ込んだ土砂や木々、倒壊した家屋を実際に見て、自然災害の恐ろしさを改めて感じています。私たち一人ひとりが防災意識を高め、地域全体で協力して災害に備えることが必要なのではないでしょうか。
西日本豪雨から6年、復興はまだ道半ばです。
これからもこの長い復興を伝え続けていきたいと思います。
(テレビ愛媛 鈴木瑠梨アナウンサー)