台湾の民主化を進めた李登輝元総統が、30日夜、死去した。97歳だった。

筆者は2005年、訪米中の李氏に単独インタビューをした。日中、台中関係が緊迫する中アメリカ・ニューヨーク市内で行われたインタビュー。15年の時を経て当時放送されなかった歴史的インタビューの全文を紹介する。

2005年秋李登輝氏訪米をキャッチ

「李登輝が訪米するらしい」

2005年秋、「李登輝訪米」の第一報がフジテレビのニューヨーク支局に飛び込んできた。当時支局長だった筆者は、李氏が米メディアのインタビューを受けるとの情報をキャッチし、何とか李氏にインタビューできないかと様々なコネクションを使って李氏に接触。

そして秋が深まる10月15日、マンハッタンのミッドタウンにあるホテルの一室で、フジテレビによる単独インタビューが実現した。

当時82歳だった李氏は夫人とともに、2001年以来4年ぶりに訪米した。アラスカ州知事の招待を受け10月11日にアラスカに到着、14日にニューヨーク、その後首都ワシントンを訪れた。首都を訪れるのは88年の総統就任以来初めてであった。

当時の緊迫する台中関係を受け、李氏はあくまで私人として訪米したので、米国政府との正式な接触は無かった。しかし、米議員主催の歓迎式典で熱烈な歓迎を受けたと、当時の産経新聞に書かれている。

「大きな人だな」

李氏と初めて会った私の第一印象だ。決して広くはない部屋で対面した李氏は、身長180センチと筆者より背が高く、人を優しく包み込むような空気を纏っていてさらに大きく見えた。

単独インタビューは2005年10月マンハッタンのホテルで行われた
単独インタビューは2005年10月マンハッタンのホテルで行われた
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インタビューは英語の予定だったが、李氏から「日本語でいいですよ」といわれ、質疑応答は日本語で行われることになった。以下インタビュー全文(一部表記などを修正しています)。

どの国も中国を攻めないのに軍事費増強は不可解

――最近の中国の軍事力の増強どう見ているか?

李氏:
アメリカの国防省がシンガポールで「どこの国も中国を攻めることがないのに、なぜ2桁の軍事費増強をしていますか?」という発言をしたようです。私はこの言葉を非常に正しいと思う。どこの国も中国を攻めないのに、軍事力を拡大する目的は何なのか不可解だ。中国の「1つの中国」に関連した大きな問題だと思います。

――台湾にとって中国は脅威ですね?

李氏:
そうですが、台湾とアメリカの関係をみれば、中国が軍事力をいかに高めても台湾を攻めるのはちょっと無理じゃないですか。中国はアメリカの現在の軍事力をよく知っているはずだ。1995年にはミサイルを撃てば台湾人が降参するという考え方が非常に強かったようだが、いまの主席(胡錦濤)は非常に変わった。台湾に圧力を加えるとそれは逆の効果をもたらすだけの話だと。もう少し時間をかけて台湾にムチを打たず、むしろ飴玉を食べさせたらどうかという政策に変わりつつあると。

今年(2005年)反国家分裂法(※)が制定されましたが、これが何を意味するかというと、長い間時間待って、もししょうがない時にはこの方法で台湾を「処理」するという考え方が入っているじゃないかと。この法律にはいろんな問題がありますが、テレビの前でははっきり言えません。ただ、まず飴玉を食べさせて後で何をするかということは、推測すれば分かると思います。

(※)2005年、中国が台湾の独立阻止を目的に採択した国内法。台湾への武力行使を示唆したといわれる。

中国が経済発展で民主化は甘い考え方だ

――アメリカのライス国務長官(当時)は、「1つの中国」の堅持を表明している。いまのブッシュ政権の対中政策と米中関係についてどう見ていますか?

李氏:
アメリカにおけるいわゆる「1つの中国」政策は、キッシンジャー時代から変わりません。いまアメリカには「台湾関係法」(※)があり、その限りにおいて発言は、中国大陸に対する考え方をある程度はっきりさせようとしたのではないかと思います。

(※)1979年制定されたアメリカの国内法。事実上のアメリカと台湾の軍事同盟。

――いま中国は「世界の工場」として経済的に発展していて、今後の中国の政治体制が民主的に変わるという期待についてどう考えますか?

李氏:
このような考え方は少し甘い考え方だ。経済が良くなれば政府が民主化に進むのではないかというのは非常に面白い考え方だが、実はあまりそういうことは見られないです。

中国大陸は非常に資本主義的なかたちで、安い労働力をどんどん供給して、外国の資本と技術を入れて、国力をどんどん高めていく。結局国力が増せば増すほど軍事力も増し、政治的な問題が解決に向かうどころか、逆に軍事力で内部的な不平を抑えつけていきますよと。

李登輝総統1996年に住民による総統直接選挙を実現させ、国民党の独裁が続いていた台湾で民主化を進めた
李登輝総統1996年に住民による総統直接選挙を実現させ、国民党の独裁が続いていた台湾で民主化を進めた

最近の排日運動などが何を意味するか考えなければいけません。これまでは非常に自由主義的な考え方で、「中国大陸は経済が伸びれば、国内で問題が起こり、民主化の方向にいくのではないか」といっていますが、私の過去の経験では、国民党時代の独裁政治のやり方を見ていると、そう簡単にいかない。政府内の権力争いや指導者の思想的変化があって、初めて民主化が可能じゃないかと思う。

私は最近、台湾の歴史を検証する本「Is Taiwan Chinese?」という本を出しましたが、これを読めば権力を持った指導者が考え方を変え無い限り、民主化は難しいことがわかると思います。

李氏が台湾の歴史を検証した本「Is Taiwan Chinese?」(著者撮影)
李氏が台湾の歴史を検証した本「Is Taiwan Chinese?」(著者撮影)

靖国神社参拝のどこが悪いのですか?

――日中関係について聞きます。小泉政権になってから日中関係が悪化しています。東シナ海のガス田の問題や靖国参拝問題。いまの日中関係についてどう思いますか?

李氏:
例えば靖国神社参拝、どこが悪いのですか?私は分かりません。国のために命を落とした若い人々の魂を慰謝(ママ)する靖国神社参拝を決して悪いとは思わないです。どこの国でもやっているよ。自分の国のために戦って亡くなった人々の霊を慰めるというのはあたりまえ。それをことさらに持ちあげて、総理に対していろんなことを要求するのはおかしい。

最近は日本と中国の中間線付近でガスを採掘している。あまり国としてやるべきことではなくて、お互いに相談し合うべきでしょう。こういう問題は国と国の密接な協力関係、そして親善的な態度をとってやらなければますます複雑になります。このようなことで日中関係が悪くなった責任がいまの総理(小泉総理)にあるとは思わない。

中国は「孫子の兵法」兵を使わず相手を屈する

――台中関係です。国民党主席が1945年以来の訪中を果たし、親密ぶりをアピールしています。いまの台湾の中国への向きあい方をどう見ますか?

李氏:
いまの国民党は野党だから(2005年に政権交代)、国と国との関係で一歩進んだかたちにはならない。連戦氏が訪中したのは、事実上蒋介石、蒋経国、そして私の3代の総統、そして国民党の主席が持っていた考え方、共産党に反対する考え方と違った考え方です。

第三次国共合作は、私はあわないのではないかと思います。第二次世界大戦直後における第二次の国共合作とは違いますね。台湾と中国の関係が良くなるというよりは、江沢民氏の強いやり方で台湾に圧力を加えるというよりも、何かもう少し軽いやり方で台湾の人々の気持ちを惹きつけようとしているのではないかと。

「孫子の兵法」にあるように、兵を使わずに相手を屈させるのが戦術の最もの有効な方法です。おそらくそういう方向に変わりつつあるのではないかと思います。それに国民党としては長い間政権を握ってきたのが民進党に取られた。これを打ち破ってまた政権に復帰したいなら、どうしても中国の力を借りる必要があるという考え方で、(連戦氏は)進まれたのではないか。新しい馬英九主席は共産党反対をはっきり言っている。ですから連戦さんのやり方があっているとは、あるいはこのやり方によって台湾の政策が変わるとは思いません。

李登輝氏の在任中は一時中国と台湾の緊張が高まったことも
李登輝氏の在任中は一時中国と台湾の緊張が高まったことも

台湾は内戦も無く中国の領土では無かった

――先ほど話が出ました「反国家分裂法」について、あらためてお考えを聞かせてください。

李氏:
まずこれは2つの根拠に基づいています。1つは台湾問題というのは内戦によって起きた問題だと。第2は、台湾は昔からずっと中国の領土であったと。この2つに基づいて反国家分裂法というのを作った。台湾は中国のものであるかどうか、国家の1部分であるかどうかというのははっきりしない。だから私がいうのは、この2つの仮定は嘘だったと。

1991年5月1日、私が総統になって間もない頃、中国大陸との内戦は停止すると宣言しました。同時に中国共産党は中国大陸を統治し、台湾の方は私たちが治めていると。だから内戦停止だと。なぜこれをやらざるを得ないかというと、台湾はむかしのマーシャルロー(=戒厳令)が停止されたけど、内戦停止が行われてないために、正式な憲法がずっと凍結されたままやってきました。国会は改選する必要がなく、万年国会でした。だから内戦を停止する必要があったのです。今まで凍結されてきた憲法に基づく新しい政治が始まり、国会が改選され、選挙が人民によって直接行われるという民主化が行われました。

だから中国大陸の政府の連中たちは、この事実をあまり知らないらしい。私は、内戦というものはもう無いのに、台湾問題は内戦による結果というのは間違っていると。台湾はむかし、中国の領土だというのは事実ではないと。台湾はむかしから主のない島だったと。日清戦争で清の領土に入れられ、その後日本が50年台湾を統治し、戦後は国民政府が台湾を統治したと。台湾は中国の領土ではなかったのです。オランダ、スペインから日本統治の時代があり、いまの反国家分裂法は嘘の仮説の上に立てられた考え方です。私たちから見ると、あの法律自体がちょっとおかしいですね。

「奥の細道」を必ず歩こうと思います

――今後日本を訪問するお気持ちはありますか?

李氏:
実は今年(2005年)の9月に熊本で聖書の討論会があって行く予定だったが、腰が悪くて歩くのが難しくてやめました。来年(2006年)は暇があったら「奥の細道」を必ず歩こうと思います。

私の人生の計画の中に、3つの旅行があります。ひとつはむかしエジプトからイスラエルの人間が解放されて、黄海を経てシナイ半島まで彷徨って国を作り上げた経路を歩いてみたい。来年は、かつて孔子が歩いた道筋を歩いてみたい。そして「奥の細道」を歩いてみたい。

それぞれの国の持つ特徴が十分に表れていますね。「奥の細道」は日本人の考え方、生活の仕方が俳句の中に十分あります。

歳も歳だから、私も長くないから、どうしても生きている間に、できたら来年(2006年)春頃、寒くないときに一度歩いてみたいなという気持ちがありますね。

親日家として知られる李登輝氏 2004年訪日
親日家として知られる李登輝氏 2004年訪日

――その際に日本政府と会う気持ちはありますか?

李氏:
そんな気持ちはあまりない。政府の人に会ってもしょうがない。むしろむかし歩いた道がどうなっているか、その時に詠った俳句は何を意味していたか、それが日本人の生活の中にどう取り込まれてきたか、そういうことを知った方がいいですね。

最近「武士道解題」を書いて、日本の人々の持つ考え方は、やっぱり「奥の細道」にもあるのではないかと考えています。「奥の細道」を一度歩いて、何か書いてみたいと思いますね。

――ありがとうございました。

インタビューする鈴木解説委員
インタビューする鈴木解説委員

インタビュー後記:

李氏のインタビューは約30分間行われた。当時中国は台湾に対して「飴とムチ」戦略に転換、「世界の工場」として急速な経済発展を遂げていた。当時中国が経済発展を背景に民主化するのではとの期待感もあったのだが、その後習近平体制になり「一帯一路」や南シナ海、そして香港と覇権主義的な動きを加速させている。李氏の中国に対する卓見は、いま現実のものとなっている。

日本統治下の台湾で生まれ育った李氏はまた、親日家として知られていた。インタビューでは「奥の細道」を人生最後の旅行の一つに挙げていた。李氏は2007年にその念願を果たしている。

インタビュー後李氏は、「これを読みなさい」と著書を渡しサインしてくれた。そこには「寸志 李登輝」と英語で書かれてあった。

あらためて深い追悼の意を表したい。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。