違法賭博に関与したという理由で、米大リーグのドジャースは大谷翔平選手の専属通訳、水原一平氏を解雇した。

水原氏と大谷選手。大切な信頼関係を壊す可能性があってもギャンブルから抜け出せない依存症の実態について、過去にギャンブル依存症を経験し、現在は依存症からの回復を助ける施設、一般社団法人「東京グレイス・ロード」の統括施設長を務める服部義光さんに話を聞いた。

「ギャンブルの借金はギャンブルで返す」

ーー何のギャンブルにハマっていた?

僕はパチンコ、スロット、ポーカーゲームやカジノでした。

14歳の頃に好奇心で友達4~5人で初めてパチンコをして、その後、友達とよく行くようになり景品をもらって喜んでいました。

一般社団法人「東京グレイス・ロード」統括施設長・服部義光さん
一般社団法人「東京グレイス・ロード」統括施設長・服部義光さん
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高校生になってからは暇な時間があると1人でも行くようになって、金額もどんどん上がっていきました。

人間関係が苦手で1人でいるのが楽だったので、パチンコは1人でできるので行きやすかったというのもあります。

社会人になってからは給料をギャンブルに使い、さらに消費者金融とかで借金をしてギャンブルの資金に充てるようになり、状況はどんどんひどくなっていきました。

一般社団法人「東京グレイス・ロード」
一般社団法人「東京グレイス・ロード」

ーーそこまでギャンブルをしたいと思う理由は?

最初のうちは、「ギャンブルで作った借金だからギャンブルで返そう」と、ギャンブルありきでの借金返済を考えていました。

家族や友人、知人からも借りていたので、借金は全て含めて約2000万円は超えていたと思います。

今はもう回復を始めているので、お給料から少しずつ返済しています。

生活の主軸はギャンブル

ギャンブル真っ最中の時は、「勝ってチャラになれば大丈夫」と妙な期待感がずっと頭の中にあったと服部さんは話す。

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ーー依存していた頃の心境は?

お金も生活もままならない状態なのに、嘘をついてそれを隠すために平然を装っていなくてはいけない。

やっていることを言えず、言ったら恥ずかしいという思いもあり、自分でため込む日々が続き、寝る時間も減り、仕事をしていてもやっぱりお金のことやギャンブルのことがずっと頭の中にある状態で過ごしていました。

ひどい時は毎日、朝から夜中までやっていました。
仕事中も「終わったらどの店に行こう」と考えていたり、ギャンブルありきで仕事や家族を見ている感じでした。

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ーーどういった嘘をついていた?

本当に簡単な嘘です。

例えば、予定があったとしても、「ごめん、ちょっと仕事が入っていけない」とか「親が病気で」など、その場しのぎの嘘をついてギャンブル場に居ました。

自分の近い人からお金を取ることは悪いことだという自覚はあったのですが、「これで勝って返せば大丈夫」と思考を置き換えていました。

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ーー水原氏は「自分で掘った穴から抜け出すためにもっと大きな賭けをしなくてはならず、負け続けた」と話しているようだが?

ギャンブルに真っ最中の時は「ギャンブルで解決しよう」と思ってしまう。

本来だったらギャンブルを辞めて、生活を立て直して借金を返すのが健康的なやり方ですが、ギャンブル依存症の人は、ギャンブルが主軸になっているので、家族や友人の関係、お金のことも「勝ってチャラになれば大丈夫」と妙な期待がずっと頭の中にある感じです。

勝った経験も、負けた経験もすごく刷り込まれて、特に負けた後はひどく落ち込み、罪悪感や後悔がものすごくあります。それが次のギャンブルに拍車をかけていました。

医者に言われると余計反発

「東京グレイス・ロード」ではギャンブル依存症から抜け出すために、ミーティングやボランティア活動を通じて自分自身と向き合っている。

“分かり合える”当事者同士だと思いを吐き出しやすいと服部さんは話すが、一度依存症を克服しても、再発するケースがあるという。

一般社団法人「東京グレイス・ロード」
一般社団法人「東京グレイス・ロード」

ーー自分が「ギャンブル依存症」だと気付いたのはいつ頃?

たしか30歳ぐらいの時に家族に言われて精神科を受診して、先生から指摘されました。

僕は認めたくなく反抗的な感じで、すぐに治療を始めるという考えは全くありませんでした。

ギャンブルが本当にひどかったので、脳神経外科で脳波を検査されたりもして、依存症だと言われると余計反発するといった感じでした。

「俺は違う」と言いながらギャンブルを続けていました。

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ーー治療を始めたのはいつ?

38歳の時で、そのころは生活保護を受けている状態でした。

いくつか施設に入った経験もあり、その都度変えようと思いながらも結果はどんどんひどくなっていきました。

生活保護費も全部ギャンブルに使ってしまい、そこで初めて助けてもらわないと無理だということに気付いて自分で電話を入れて助けを求めました。

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ーーどういう治療を始めた?

同じ当事者の仲間たちとミーティングをしたり、スポーツやレクリエーション、あとはボランティア活動などをしました。

今まで言えなかったことを当事者同士だとわかってくれるので、安心して吐き出せました。
それを毎日繰り返しました。

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治療中もパチンコ屋の前を通るとぞわぞわすることなどはありましたが、ギャンブルからは3年半ほど離れることができました。

ただその後再発して、回復前のひどい状態に一気に戻って、再度回復施設に入って現在9年ちょっとが経過した段階です。

ギャンブル依存症の実態を知ってほしい

38歳から治療を始め、52歳の現在も依存症からの回復を続けている服部さんだが、依存症の実態をより多くの人に知ってもらい、適切な治療を受けてほしいと訴える。

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ーー水原氏はギャンブル依存症だという自覚があるようだが?

自分の状態を認められたというのは、すごいと思います。
自覚があるということはすぐに治療に入れます。

僕は医者に言われてから治療を始めるまでに8年かかりました。
僕の兄弟も同じような依存症があり、亡くなりました。

もともとは薬物の依存症で回復治療を続けていたのですが、その間にギャンブルと出会ってそちらの方がひどくなり、借金の返済を頑張る中で自死してしまいました。

ギャンブルでも死に至ることがあることを知って、自分はそうなる前に何とかしたいと思い2度目の治療を開始しました。

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ーー今は施設長として依存者の回復を手助けしているが?

僕は出会う人をことごとく傷つけてきたので、今は手助けできることがあったらという思いでやっています。

「こんなひどい自分も回復できたのだから一緒にやってみようよ」と言える変な自信もあって、ギャンブル依存症の実態を1人でも多くの人に知ってもらって助けたいと思っています。