水俣病特別措置法に基づく未認定患者の救済策をめぐり、全国の裁判所で起こされた集団訴訟。2024年3月22日に熊本でも判決を迎える。第一陣の提訴から10年9カ月。原告の思いを取材した。

特措法は救済対象を居住歴などで限定

国と熊本県の責任を認め、従来の認定基準を事実上否定した2004年の水俣病関西訴訟・最高裁判決。これをきっかけに認定申請者が急増し、各地で訴訟が相次いだ。こうした状況を受け、国は2009年に救済策として水俣病特別措置法を施行、水俣病の最終解決を図った。

この特措法は、未認定患者向けの救済策で、感覚障害があれば一時金210万円などを支給。およそ5万5000人が救済された。

国は2009年に水俣病特別措置法を施行
国は2009年に水俣病特別措置法を施行
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一方で、特措法は救済の対象を、認定患者が確認された水俣湾の周辺地域に1年以上住んだ人で、チッソが排水を止めた翌年の1969年11月末までに生まれた人に限定していた。

「地域による線引き自体がおかしい」

原告の1人、天草市河浦町に住む藤下節子さんは1957年に河浦町で生まれ、漁師だった両親がとってくる魚を毎日のように食べていた。

原告の藤下節子さん
原告の藤下節子さん

藤下節子さん:
手足のしびれを感じるようになった、自覚するようになったのは結婚した(21歳の)ころですね

看護師として働いてきた藤下さん。ノートに日付や患者の名前などを分けるための線がうまく引けないなど、症状に悩まされてきた。

藤下節子さん:
自分ではまっすぐ引いているつもりだが、後で見たら斜めになっていたりとか、注射をするときに手が、からす曲がり(こむらがえり)になって、そばにいた看護師に変わってもらったり…

特措法に基づく救済策をめぐり、藤下さんは2011年に申請したが、結果は『非該当』。

藤下さんが生まれ育った河浦町は、特措法の対象地域から外れていた。一方で、鹿児島県の旧東町(現在・長島町)で住み込みで漁師をしていた2人の兄は救済されたという。

「納得いかない」
「納得いかない」

藤下節子さん:
同じ魚、この辺りで採れた魚や、巻き網漁で採れた魚を食べていたのにおかしいと思いました。潮は動いているし、魚も動いている。それなのに、地域による線引きをすること自体がおかしい。納得いかないです

大阪地裁は原告全員を水俣病に認定

2013年6月、特措法による地域の線引きなどにより、救済の対象外となった人たちなどが国などを相手取り熊本地裁に提訴。現在も第1陣から第14陣まで合わせて1400人が裁判を続けている。

争点の一つとなっているのが、特措法の地域による線引きの妥当性だ。

裁判の争点
裁判の争点

これまでの裁判で、原告側は「水俣湾とその周辺に限らず、不知火海一円の魚介類はメチル水銀に汚染されていた」などと主張。

一方で、国などは「水俣湾周辺以外の海域でとれた魚介類を多食しても、水俣病を発症するだけのメチル水銀への暴露は認められない」などと主張していた。

熊本と同様の裁判は全国でも起こされていて、2023年9月、熊本に先駆けて大阪地裁で判決が言い渡された。

大阪地裁は原告全員を水俣病と認定
大阪地裁は原告全員を水俣病と認定

大阪地裁の達野ゆき裁判長は、特措法の地域と年代の基準について否定し、原告128人全員を水俣病と認めた。そして3月22日、熊本地裁でも判決を迎える。

「全ての水俣病被害者の救済を」

2013年の提訴から戦い続けてきた熊本訴訟の原告団長・森正直さんは「10年でどれだけの被害者たちの被害と、その苦しみや悲しみの声を聞いたことでしょう」と話す。

多くの原告が判決前に亡くなった
多くの原告が判決前に亡くなった

提訴から10年と9カ月。これまでに200人以上の原告が亡くなった。

森正直さん:
全ての原告の判決を待つということになれば、あと何十年かかるかわからない。144人で10年ちょっとかかっているから、もう亡くなってしまいますよね。そういう判決の出し方で国は本当にいいと思っているのか

原告団の平均年齢は74.9歳。森さんは一刻も早い全面解決を訴えている。

原告団長の森正直さん
原告団長の森正直さん

森正直さん:
重篤患者ばかりではなく、中等症もいるし、軽症もいるし、みんな水俣病被害者で水俣病患者です。必ず勝利判決が出ると思っている。全ての水俣病被害者の救済を成し遂げたい

判決は熊本地裁で、3月22日午前11時から、第1陣と2陣の原告144人について言い渡される。

(テレビ熊本)

テレビ熊本
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