焼うどん発祥の店「だるま堂」

鉄板の上で焼いた野菜や肉にうどん麺を入れ、特製のソースをかけてできあがったのは、北九州市の小倉発祥「焼うどん」。

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北九州市小倉北区にある1945年創業の焼うどん発祥の店「だるま堂」から悲しい知らせが届いたのは、2019年の暮れのことだった。

2代目の店主だった坂田チヨノさん(81)。

2018年、テレビ西日本が取材した時には、カメラの前で元気な姿を見せていた坂田さん。
しかし、その翌年の12月に、この世を去った。

ーー510円? まだ

だるま堂 坂田チヨノさん:
上がってません

ーー何年くらい上がってない?

だるま堂 坂田チヨノさん:
長年

小倉焼うどんは、終戦後の食糧難の時代にそば用の麺が足りず、代わりにうどんの乾麺を使ったのが起源とされている。
坂田さんは初代の味を受け継ぎ、60年以上にわたって店を守り抜いてきた。

歴史のある店を受け継ぎ「3代目店主」に

竹中康二さん:
電気、つけるね。こんな感じで、だいぶきれいになった

閉店した「だるま堂」を訪れたのは、「小倉焼うどん研究所」の竹中康二さん。
20年前に活動を始めた小倉焼うどん研究所は、イベントに出店するなどして、これまで各地で焼うどんの魅力を発信してきた。

さらに、焼うどんで使用する地元・若松産キャベツの栽培にも携わり、老若男女に愛される焼うどんの研究を続けている。

竹中康二さん:
10年前、こういう活動をする前っていうのは、一部の人しか知らなかったんですけど、今は、だいぶ多くの方に知っていただくようになりましたね

そんな竹中さんの焼うどんへの情熱を動かしたのが、2代目店主・坂田さんの死だった。

竹中康二さん:
(だるま堂は)北九州にとって宝になっているわけですから。誰かが受け継いでいかないといけないのであれば、自分たちが継いでいこうかな。そういう必然だと思っていますんで

受け継がれてきた「味」を守りたいという一心で、だるま堂を再開することに決めた。

7月7日、だるま堂の再出発に向け、店内のリニューアルを進めていた。
店内のカウンターに使用したのは、京築のヒノキ。

ーーなぜヒノキを選んだのか?

竹中康二さん:
ヒノキの香りって、懐かしさとか、日本的な香りの象徴だと思うので。だるま堂の雰囲気に合うのかなという気がするんですね

長年の営業でソースの染み込んだ壁が、ヒノキによって明るい印象に様変わりした。
歴史のあるこの店を受け継ぐ、新たな「3代目店主」。

竹中康二さん:
プレッシャーしかないです。味もそうですし、今まで70年以上やってきたことを、これから先、何年自分たちが頑張ってこられるかなって。プレッシャーしかないですね

復活を待ちわびたファンが続々来店

迎えたオープンの日。だるま堂の復活を待ちわびたファンたちが、続々と店を訪れた。

店内の雰囲気は変わったが、味は昔のまま。うどんも変わらず乾麺を使っている。
竹中さんは、原点の味を守るため、2代目の店主・坂田さんの家族からレシピを細かく聞いていたのだ。

ーー約10カ月ぶりに帰ってきた「だるま堂」の味は?

男性客:
懐かしい味ですね。変わらぬだるま堂の味です

女性客:
めっちゃおいしいです。1回食べたらやみつきになる味です。竹中さんが楽しい方なので、お店も楽しい感じで、ワイワイしてくれればうれしいです

そんな来店客の感想に、竹中さんは…

竹中康二さん:
ちょっとホッとしている部分と、でもバタバタしたので、もっとおいしいものを提供できるような研究はしていかないといけない。だるま堂があり続けることが一番なので、これから先も、この小倉の街で、だるま堂というのが80年、100年、ずっとあり続けるようにしていきたいという思い

3代目・だるま堂。
小倉焼きうどんの原点の味を未来に残すため、竹中さんはこれからも店に立ち続ける。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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