福井県越前市は『源氏物語』の作者・紫式部が生涯で唯一、都を離れて暮らしたまちだ。

2月23日、市などでつくる官民組織「紫式部プロジェクト推進協議会」が、越前市武生中央公園内の屋内催事場内に「しきぶきぶんミュージアム」をオープンした。

テープカットには俳優の岸谷五朗さん(写真中央)が登場
テープカットには俳優の岸谷五朗さん(写真中央)が登場
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オープニングイベントには大河ドラマ「光る君へ」(NHK)で、式部の父・藤原為時(ふじわらのためとき)を演じる俳優の岸谷五朗さんがスペシャルゲストとして登場し、撮影現場でのエピソードや今後の見どころなどを紹介した。

「光る君へ 越前 大河ドラマ館」が開館

ミュージアムには、「光る君へ 越前 大河ドラマ館」が開設され、エントランスでは主演の吉高由里子さんのウェルカムメッセージVTRが流れる。

「4Kシアター」では、ここでしか見られないオリジナル映像で、出演者のインタビューや越前市内に点在する紫式部ゆかりの史跡を紹介している。

「大河ドラマ館」の衣装展示コーナー
「大河ドラマ館」の衣装展示コーナー

また、大河ドラマ出演者が実際に身に着けた衣装や小道具の展示コーナー、藤原為時の居室を再現した撮影スポットも設けられ、大河ドラマをより身近に楽しめる内容となっている。

「しきぶきぶんミュージアム」には「大河ドラマ館」の他に、越前の歴史や文化を紹介した展示コーナー、「紫式部 想創庵(そうそうあん)」と名付けられた、鏡とAIによる生成映像で演出した幻想的な空間も設けられている。

「お土産処 光る越前SHOP」には豊富な商品が揃う
「お土産処 光る越前SHOP」には豊富な商品が揃う

また、物販スペース「お土産処 光る越前SHOP」には、紫式部をイメージしたラッピングの銘菓や越前そば、地酒、越前和紙の雑貨など、約450点の商品がそろっている。

ミュージアムは、北陸新幹線延伸との相乗効果で、12月30日までの開設期間中、県内外約25万人の来場者を見込んでいるという。

ミュージアムにはオープン初日から大勢の観客が訪れた
ミュージアムにはオープン初日から大勢の観客が訪れた

オープン初日、開場前から大勢の観客が列を作っていた。

ミュージアムのオープンに合わせて、大河ドラマのメインビジュアルがラッピングされたシャトルバスの運行がJR武生駅―大河ドラマ館間で開始。

北陸新幹線開業の3月16日からは、越前たけふ駅からハピラインふくい武生駅を経由して、大河ドラマ館まで1日17往復運行される。

越前市には、このミュージアムの他、紫式部ゆかりのスポットとして、紫式部公園がある。

広大な公園の敷地には、越前富士と呼ばれる日野山を借景に池や築山を配置し、平安時代の貴族の住居である寝殿造りを再現、彫刻家・圓鍔勝三氏が制作した金色の紫式部像が日野山を見て立っている。

また、公園に隣接した「紫ゆかりの館」には、紫式部と越前との関係をわかりやすく紹介するアニメーションや、式部が越前に向かう下向の旅を越前和紙で再現した展示など、式部と越前国府に関する資料が展示されている。

これだけ越前市に愛されている紫式部。

なぜこのまちに来たのだろうか。

悩んだ末に?越前行きを決意した紫式部

紫式部が生きたのは今から千年前の平安時代。

父は下級貴族で漢学者である藤原為時で、紫式部という名前は本名ではなく、父の官職である「式部丞(しきぶのじょう)」、および『源氏物語』の登場人物「紫の上」にちなんだものであるといわれている。

貴族女性が家の外に出ることさえ珍しかった時代、紫式部は生涯でただ一度、都を離れて暮らした。

長徳2(996)年、越前国司として赴任した父と共に、当時の越前国府「武生(たけふ)」に移り住んだのだ。

「紫ゆかりの館」では藤原為時・式部の下向行列を越前和紙人形で再現している
「紫ゆかりの館」では藤原為時・式部の下向行列を越前和紙人形で再現している

当時、日本の国はその国力により、大国・上国・中国・小国にランク分けされていたが、越前(現在の福井県嶺北地域と敦賀市)は日本全国に13しかない“大国”であった。

天延元(973)年頃の生まれであると伝わる式部は、当時20代半ば。

都を離れて移り住むことを決意したのは、母も姉も他界していたため、父の世話をするためとも考えられている。

また一説には、未婚であった式部に求婚していた親子ほど年の違う藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と、一度距離を置くためだったともいわれている。

平安貴族の婚姻関係は今とは大きく異なり、一夫多妻制で、宣孝にはすでに3人の妻子がいた。

現在の越前市は、越前和紙・越前打刃物・越前箪笥と伝統工芸の盛んなものづくりのまちとして知られるが、当時から上質な越前和紙は宮中への貢納品であり、式部はその伝統文化に触れて刺激を受けたに違いない。

この地で1年余り暮らした後、式部は父を残して都に戻る。

その後、宣孝と結婚し、娘を授かった。しかし、結婚生活は長くは続かず、結婚から3年後の長保3(1001)年、宣孝は疫病により死去。

まもなく式部は『源氏物語』を書き始めたと伝えられている。

歌に詠んだ“雪”と故郷への想い

武生での暮らしは、式部と作品にどのような影響を与えたのだろうか。

式部は晩年の歌集『紫式部集』に、武生にちなんだ和歌を2つ残している。

ここにかく 日野の杉(すぎ)むら 埋(うづ)む雪 小塩(をしほ)の松に 今日(けふ)やまがへる

訳:こちらでは日野山に群立つ杉を埋める雪が降っています。都でも今日は小塩山の松に雪が入り乱れて降っているのでしょうか

ふるさとに かえるの山の それならば 心やゆくと 雪も見てまし

訳:故郷の都へ帰るという名の、あの鹿蒜山(かえるやま)の雪であれば、同じ雪でも気が晴れるかと出かけて行って、見もしましょうけど

「紫ゆかりの館」の三田村悦子館長
「紫ゆかりの館」の三田村悦子館長

「紫ゆかりの館」の三田村悦子館長は、「和歌や『源氏物語』にも、雪の表現が出てきますが、都の雪と、雪国であるこの地の雪は降り方も違って感じられたのではないでしょうか。こちらではなかなか溶けませんし」と話し、次のように続けた。

「ここが紫式部ゆかりの地であることは全国的には知られていませんが、観光で訪れたことをきっかけに、式部に影響を与えたことを知ってもらえると嬉しい」

式部にちなんだ新商品で盛り上げる

「紫式部プロジェクト推進協議会」は、1月中旬から紫式部にちなんだ「パープルハートプロジェクト」と銘打った商品の販売を始めた。

商品お披露目会の様子
商品お披露目会の様子

北陸新幹線の開業で訪れる人たちに「越前市のおいしいもの、楽しいもの」を知ってもらいたいと企画した、色をテーマにしたユニークな取り組みで、統一ビジュアルデザインも作成している。

カフェや日本料理店、製紙所、酒造、越前焼窯元など、市内15事業者が参加し、それぞれに開発した新商品を提供している。

また、「紫式部プロジェクト推進協議会」では今後、京都から越前までの紫式部の人生で一度きりの「紫式部の旅」の再現などの関連イベントも企画。

越前市のまちなかには、国府跡の有力地で式部ゆかりの紅梅の木がある本興寺、「越前国府」の石碑のある総社大神宮、国分寺など由緒ある神社仏閣も多くある。

ちょっと足を伸ばして、式部も触れたであろう越前和紙の産地を訪ねてみるのもよい。

新鮮な海の幸や、「越前おろしそば」「ボルガライス」「たけふ駅前中華そば」のご当地グルメも魅力だ。

この機会に越前市内を巡って、紫式部の生涯に想いを馳せてみてはいかかだろうか。

紫式部が暮らした越前市