約100年前に日米の懸け橋として贈られた人形が国内で新たに見つかり、3日のひな祭りに合わせて、東京・北区の渋沢史料館で初めて公開された。
日米を結ぶ「人形大使」
渋沢史料館ではひな祭りに合わせて、 かつて人形を通して行われた日米交流の取り組みを伝えるイベントが開催された。

今から97年前、日米の子どもたちの交流の輪を広げようと、約1万3000体の人形がアメリカから日本に寄贈され、その返礼として日本からも日本人形が贈られた。この人形交流に向け尽力したのが、新たに発行される1万円札の肖像にも選ばれた、実業家の渋沢栄一氏だった。

渋沢氏らは、1924年にアメリカで日系移民を排除する法律が出来たことを憂慮し、人形による日米交流に向け尽力したという。
アメリカから贈られた人形は「青い目の人形」と呼ばれ、多くの日本人に親しまれた。日米を結ぶ懸け橋として「人形大使」とも呼ばれている。しかし、太平洋戦争により「敵国のもの」として破壊の対象となり、焼かれるなどしたため、現存するのは400体あまりといわれている。

公開されたのは、97年前にアメリカから贈られ、2024年2月に国内で新たに発見された女の子の「人形大使」。渋沢史料館によると、この「人形大使」は身長50cmほどで、まとっている洋服の下は日に焼けずに守られていたため、当時と変わらぬ色を保っているという。
「国際交流の原点として再評価」
専門家は、こうした交流が現在の国際交流においても重要になっていると指摘している。

大妻女子大学の是沢博昭教授は、「時間がかかってもいいので、人と人とが国家を超えて仲良くする。国際交流の原点としてこの交流を再評価する時期に来ている」と話す。
渋沢史料館は、2027年の日米人形交流100周年に向けて、日米友好の礎を築いた人形交流を後世に伝えていきたいとしている。
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