能登半島地震で甚大な被害となった輪島市の朝市通りは、今も焼け野原のまま。SNSなどでは、一部の心ない人から「消防の消火が遅れたからだ」などと言った非難の声があがっていた。
しかし、取材を通して見えてきたのは、大津波警報の恐怖の中、命がけで炎と闘った現場の姿だった。

119番通報がひっきりなしに

元日に発生した能登半島地震。住宅が倒壊し、火災も発生、多くの人が助けを求めた。

輪島市の朝市通りを飲み込んだ炎
輪島市の朝市通りを飲み込んだ炎
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奥能登2市2町の通報を受け取っていたのが、輪島市にある奥能登広域圏事務組合消防本部だ。この場所で、元日に勤務していた山下覚参事。元日も通常の体制で勤務していたが…。

山下覚参事:
当日は119番通報がひっきりなしにかかってくる状態で、内容は「家族や知人の方が倒れた家の下敷きになっていて助けてほしい」というようなことでした。

救急車、救助隊はすでに出払っていて、助けを求める声に対し「すぐに対応することが困難である」ということを伝えなければならず、「指令員としては本当にもどかしくつらい気持ちで、119番通報の対応を繰り返していた」と当時の心境を語った。

さらに、地震によって多数の道路障害が発生し、通行ができない被災地域に向かうこと自体が困難を極めたことも、対応できなかった理由の一つだったと山下さんは話す。

そんな状況の中で発生した、あの火災。地震発生の日の夜、輪島市中心部は炎に包まれた。

「熱は感じなかったが、辺りが真っ暗だったため状況がよくわからなかった」と振り返るのは、輪島市消防団・輪島分団に所属する本多隆廣さん。本多さんは火災の発生当初から消火活動にあたっていた。

本多さん:
1日の午後5時52分に分団員緊急連絡という感じで、津波が来るって聞いていたんで。行くべきかここにとどまるべきかって思っていてLINEをみて、みんな行けないというメッセージが入ってきたので、これは僕が行くしかないなって。

困難を極めた消火活動

多くの団員が輪島市にいない中、本多さんは現場にいち早く到着した。団員たちはまず、近くを流れる河原田川の水をくみ上げる準備をした。しかし、放水しようとしたときに違和感に気づいた。

本多さん:
普通なら勢いよく出るところが、蛇口をちょっとひねってちょろちょろと出る感じ。お話にならない状況でした。水が出ないのは津波の影響で、引き波が理由じゃないかとみんなそう思っていたんですけど、実際は地盤の隆起が理由だったっていうのは後から知って、だから水がないのかと思いました。

これを受け、消防団は方針を変更。本多さんは河原田川から最も近い防火水槽に向かったものの、がれきが道をふさぎ、たどり着くことができなかった。

その後、別の防火水槽を使って消火活動を行ったが、恐ろしい速度で炎は朝市通りを飲み込んだ。

本多さん:
家が何軒か建っているんですけど、それが徐々に徐々に燃えて、1軒燃えてさらに1軒燃えてっていうのを見て、なんともいえない気持ちになりました。20年近く消防団にいてもこんなのは初めてですね。火が迫ってくるのを見て、初めて怖いなって感じました。

消せない炎 消防団が下した決断

激しさを増す炎。
これ以上被害を広げないため、消防団は消火は諦め、ある決断をした。

本多さんは、この決断に「消せないのはもう見てわかった。水も少ないし、人数も足りない、火の勢いも大きい、風も吹いていたので放水しても届かない。建物も崩れていて入っていくこともできない。延焼防止に切り替えると聞いて、そうだろうなって思った」と振り返る。

活動は朝まで続いた。

本多さん:
朝までいて明るくなってきたなと思っても、煙とかいっぱい出ているんで、それが完全になくなるまで現場を離れることはできませんから、その日も一日ずっと現場で待機していましたね。

鎮火したのは通報から5日たった、1月6日午後5時10分。約240棟の建物が焼損し、約4万9000平方メートルが焼失した。

消防庁によると、火災の原因は地震で傷ついた屋内の電気配線とみられている。

そして、もし消防活動が行われなければ、被害は倍以上の面積になっていた可能性があるという。

元日の県内を襲った未曽有の災害。懸命の活動が被害を食い止めた。

(石川テレビ)

石川テレビ
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