「将来の夢は、畳の上で人生を終えること」。2023年5月、学生たちを前にそう話していた、100円ショップ「ダイソー」の大創産業 創業者・矢野博丈さんが、2月12日、心不全のため亡くなったことがわかりました、80歳でした。
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矢野博丈さん:
波瀾万丈の中にやっと生きてきました。僕はよくテレビに昔よく出てた頃は将来の夢は何ですか?言われた時は、「将来畳の上で死にたい」と。
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そんな矢野さんが一代で築き上げた、100円ショップ「ダイソー」は、便利な商品を低価格で販売、今や私たちの生活に欠かせないものになっています。
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ダイソー利用者:
(ダイソーは)日々の生活で欠かせないもの。すごいありがたい、子育てしてるので。
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ダイソー利用者:
中学生の時とかに高い化粧品買えないので、ダイソーさんに頼ってたって。青春ですね。安くて便利でもあるし、あの値段で出せるけど、どうやって開発しているんだろう?みたいな、そこの企業努力がすごい会社だなと思います。
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今や、国内外で5350店舗、年間の売上高は5800億円に達する企業に成長。
その成功の裏側には、「商い」は「飽きない」という、矢野さん独自の商売哲学がありました。
革新的な「100円ショップ」というビジネスモデル
1972年創業した、家庭用の雑貨を移動販売する「矢野商店」。そこで生まれた、100円ショップというビジネスモデル、実は「偶然の産物」だったといいます。
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「商品の値段を100円に統一したのは、トラックで移動販売していて、売上の計算までしていると手が回らなくなるから」
(『百円の男ダイソー矢野博丈』より 著者:大下英治)
このビジネスモデルが、矢野さんの人生を変えることになります。
1991年、香川県高松市に初めての直営店をオープンさせると、瞬く間に店舗数を拡大。
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安さだけではなく、豊富な品ぞろえを売りに急激な成長を遂げると、2001年には国内2000店舗を達成し、この年、初めての海外進出となる、台湾の店舗をオープンさせました。
今では25の国と地域で店舗を展開しています。
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矢野博丈さん:
100円でなかったら、こんなに大きくなれなかった。100円だから買い物かごにお客さんがすぐ入れられるんですよね、欲しいものを。普通300円、500円ならちょっと待とうか、次の時にしようかと思うけど、(100円だから)どんどん入れられるので。
僕はアミューズメントのような店にしたかったんですよ。生活必需品じゃなくて、楽しむように歩いて回るという、そういう店にしたかったので。
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創業当時、「年商1億円の大きな会社を創りたい」と夢を抱き、「大創(だいそう)」という社名を考えた矢野さん。“会社の規模”にこだわり、自身の名刺には、あえて年商を載せていたといいます。
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さらに、会社を成功させるために「屋号としては覚えにくい」「威厳が保てない」と、自身の名前である「栗原五郎」を捨て、妻の名字の「矢野」と、姓名判断の先生に“縁起の良い名前”として示された「博丈」を合わせて「矢野博丈」に改名したのです。
“商い”は“飽きない” 残した珠玉の言葉
矢野社長がもう一つ大切にしていたのは、「消費者を飽きさせない」精神。2002年、フジテレビの番組に出演した際も、こう語っていました。
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矢野博丈さん:
私どもは在庫を恐れるなと、在庫は多いほどお客さん楽しいんだと。
在庫が少なくても売れた20世紀というものは、それは在庫がなくても売れる、売れるというものを前提にした考え方ですよね。でも、今日は売れないというものを前提にして、お客様に買っていただくための、やっぱり強い手段として、在庫たくさんある方が、それはお客さんには楽しい。
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「商い」は「飽きない」のポリシーで、消費者のことを第一に考えていた矢野さん。
2023年5月に開かれた、学生を相手にした特別講義では、幸運だったという100円ショップとの出会い…そして「運」をつかむために最も大切なことを話しました。
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矢野博丈さん:
自分がいい人生を送れるように、いい運を作っていかないといけません。何があってもしんどくなっても「ありがとう」「 ありがとう」と独り言をいうんですよ。この「ありがとう」というのは魔法の言葉です。こうして自分を含めると、いいことが不思議と起こるんですね。
(めざまし8 2月20日放送)