5万6000人以上が亡くなったトルコ・シリア大地震から2月6日で1年になる。自宅が倒壊した女性は、当時のことを思い出すと今でも手足が震え、夜になると泣いてしまうと話す。

コンテナは狭く、靴はずぶ濡れに…

2023年2月6日にトルコ南東部で発生したマグニチュード7.8と7.5の大地震では、30万棟以上の建物が倒壊などの被害を受け、隣国のシリアと合わせて5万9000人以上が亡くなった。

被害の大きかったカフラマンマラシュの郊外で被災し、現在、夫と子供4人の家族6人でコンテナハウスで暮らすメリケ・メシェさんに、今の生活について聞いた。

メリケさんが家族6人で生活するコンテナハウス
メリケさんが家族6人で生活するコンテナハウス
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「コンテナハウスには衣服をしまう場所がありません。それが最大の問題です。靴を置く場所もありません。外に置くしかないため、雨が降ると靴はずぶぬれになります。コンテナの前に靴箱があったらいいのにと思います。電気ヒーターはとても危険です。子供がヒーターの中にオモチャや紙を突っ込むんです」

キッチンのあるこの部屋はメリケさんと夫の寝室でもある
キッチンのあるこの部屋はメリケさんと夫の寝室でもある

「今、一番欲しいものは洋服ダンスで、衣服を整理したいのですが、場所が無くなってしまうので置けません。何といえばいいのか……悩みは狭い事です。夫と4人の子供とここに住むのはとても狭いです。本当は自分の家に住みたいです」

建設中の住宅 受け渡し時期などの情報なし

政府は家を失った人のために公営住宅を建設中で購入費の6割が公費で補助されるため、被災者は4割の負担となる予定だ。しかし、多くの人はまだ受け取ることはできていない。

メリケさんの住宅も近くで建設されているが、いつ受け渡されるのか、さらに価格もわかっていない。

コンテナハウスの近くで建設中の公営住宅
コンテナハウスの近くで建設中の公営住宅

「いつ入居できるかの情報はまだ何もないです。建設は今も続いていて、全ての住宅が完成してから家を引き渡すことになっているそうです。それ以外の情報はまだありません」

「現場で建設途中の家の中にも入ったことがあります。4部屋あり、洗面や浴室など全部別になっています。とても良い感じで素晴らしいです」

自宅を失い、コンテナで生活するメリケ・メシェさん
自宅を失い、コンテナで生活するメリケ・メシェさん

「住宅の購入金額は200万リラ(約975万円)と言う人もいれば、100万リラ(約490万円)という人もいます。まだはっきりした情報はありません」

子供たちの学校再開…徐々に元の生活に

半年前にメリケさんを取材した時には学校が再開しておらず、家族の生活に不安を覚えていた。今は学校も再開するなど、徐々に生活は元に戻り始めている。

家族6人分の洗い物をするのも狭くて大変
家族6人分の洗い物をするのも狭くて大変

「1年前に比べたら今はいいです。最初に来た頃はテント生活でとても大変でした。生活水準がとても厳しかったです。コンテナは狭いですが、子供たちと一緒に毎日過ごしています。子供たちは学校がある日は、毎朝、学校に行きます。私も料理、食器洗い、洗濯、掃除などをしているほか、家畜の世話をしています。私の一日はこんな感じで過ぎていきます」

メリケさんが世話をしている鶏
メリケさんが世話をしている鶏

「今は未来を楽観的にみられるようになっていて、規則正しい生活も送れるようになりました」

「恐怖を乗り越えられてはいない」

メリケさんは、大地震が発生した2月6日が近づくにつれて、当時の恐怖を思い出してしまうという。また、1歳の時に被災したアフメットくんも「洗濯機が動いた時の振動」を「地震の揺れ」と勘違いするとしていて、潜在的な恐怖が残ってしまっているのではと話していた。

洗濯機の揺れも怖がるアフメット君(2)
洗濯機の揺れも怖がるアフメット君(2)

「まだ恐怖を乗り越えられてはいません。何といったらいいのか、被災した日、2月6日が近づいてきたら、どうしても亡くなった人たちのこととかを思い出して、気持ちがふさぎ、悲しくなります。最悪な状況でした」

「夫も子供たちも近所の方たちも同じで今、精神的に恐怖を抱えています。お互いに会った時に話をすると似たようなことを言っています。経験したことが何度も眼に浮かびます。同じ恐怖を何度も感じるんです」

日本とトルコの復興祈る

トルコでは日本の能登半島地震も大きく報じられている。メリケさんは被災から1カ月後の辛かった記憶を涙ながらに話しながら、日本とトルコの復興を祈っている。

地震発生直後の様子を思い出し、涙を流すメリケさん
地震発生直後の様子を思い出し、涙を流すメリケさん

「地震から1カ月後はとても寒く、辛かったです。震災直後は支援活動をされている方たちは大勢来てくださいましたが、精神的にまだ混乱していて、何をしていたのかわからない状態でした。とても……言葉では説明できない状態でテント生活もとても大変でした。みんな一緒に、親なども含めて家族10人で一つのテントで暮らしていて、とても寒かったです。何も考えられず、食欲もなく、ただ生きていました。周囲には亡くなった人たちもいて、とても辛かったです」

能登半島地震で被災した日本人を心配するメリケさん
能登半島地震で被災した日本人を心配するメリケさん

「夫と子供たちとともに助かったことに感謝しています。しかしあのときを思い出すと、今でも手足が震えだして、悲しくなります。未だに夜になると泣いてしまいます。あまりにもひどい事だったので、本当に辛かったです」

「今の日本の被災した方の気持ちがとてもよくわかりますし、その人たちのことを考えると悲しくなります。本当にとても辛いことです。日本の方も今、同じ経験をしていて一刻も早い復興を願っています。そして神が二度とこのような経験をさせないことを祈ります」

(FNNイスタンブール支局長 加藤崇)

加藤崇
加藤崇