元日に能登半島を襲った地震。発生から1カ月がたちました。

2月1日午後4時10分 黙とうする被災者
2月1日午後4時10分 黙とうする被災者
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めざまし8は、被災者それぞれの思いを取材しました。

「私が一生懸命生きる」妻と子どもを亡くした男性の決意

りんを鳴らし、手を合わせる大間圭介さん。

目の前には…妻と3人の子どもたちの写真。

石川県珠洲市にある妻の実家に帰省中に被災し、妻と3人の子どもたちは土砂崩れで帰らぬ人となりました。

大間圭介さん:
なかなか現実を受け入れることは難しくて、やっぱり寂しさとかつらさとかは、段々大きくなってきています。

1カ月を経て、圭介さんはある決意を固めていました。

大間圭介さん:
特別なことはできないと思うんですけど、妻と子どもたちが生きたくても生きられなかった…。
生きられなかった時間を、私が一生懸命生きてですね、あの子たちが経験できなかったこととか、体験できなかったことを、私がこの子たちと一緒に、妻と一緒にできたらなって思っています。

亡くなった息子との思い出の場所

自宅で思い出の品を整理していたのは、志賀町に住む中川岬さん(26)。

中川岬さん:
これは机の下にあったんで、大丈夫だったんですけど…。

地震でやけどを負った5歳の息子・叶逢ちゃん。入院できず、4日後に亡くなりました。

「入院させてもらえたら、もしかしたら何か変わったかなという気持ちと、守ってあげられとったら生きとったんかなとか…」

息子を守れなかった後悔を口にしていた岬さん。

2月2日、改めて取材すると…。

中川岬さん:
朝起きたら真っ先に「おはよう」って言ったりとか「そっちの生活はどうですか?」とか、話しかけたりしますね。

そして、到着したのは自宅近くの海。

中川岬さん:
ここは自転車で来てました。家から。
よく海上保安庁の船が近くまで来てたら、すごく興奮して、よく見に行ってました。

そんな親子の思い出の場所で、岬さんは未来への決意を口にしました。

中川岬さん:
叶逢のやりたかったこととかもそうですし、叶逢に見せても格好悪くないように生きていきたいなと思います。

実家被災の美大生 この1カ月を作品に

被災地とは別の場所で、1カ月を迎えた人も。

帰省中の能登町白丸地区で被災し、実家が津波の被害を受けた坂口歩さん(21)。

被災した坂口歩さんの実家の様子 1月4日坂口さん撮影
被災した坂口歩さんの実家の様子 1月4日坂口さん撮影

あれから1カ月…就活活動のインターンのため、東京で暮らしています。

坂口歩さん:
4時ごろやっぱり思い出して、1カ月かって思って、あの日からずっと夢見てるみたいで信じられなくて…。

「ずっと夢を見ているみたい…」と語った坂口さん。美大生である彼女は、あるものに現在までの思いを記していました。

坂口歩さんの作品
坂口歩さんの作品

坂口さんの作品に書かれた言葉:
「大丈夫?」って色んな人に聞かれる。大丈夫じゃないよ~反応に困る。

坂口歩さんの作品
坂口歩さんの作品

なんだーいつもの地震かー…今回やばくね?

坂口歩さんの作品
坂口歩さんの作品

避難所の生活がしんど過ぎて、
人を嫌いになっていく自分が嫌すぎて
これがまだまだ続くと思うと辛くなった。

坂口歩さんの作品
坂口歩さんの作品

横幅5メートルに及ぶイラストと言葉の数々。
坂口さんが制作した、震災からのこの1カ月間の自分の感情などをまとめたものです。
つらい言葉が並ぶ日々…なぜこの作品を制作したのでしょうか?

坂口歩さん:
いろんな人が能登のことを忘れていくんだろうなって思うんですけど、私は自分が感じたこととか、家族から聞いたこととかをコツコツ細々とでもSNSでこういう絵の形で、更新し続けて伝えていけたらなって思ってます。

そして震災から1カ月がたった今は…。

坂口歩さん:
頑張るしかないって感じです。難しいです。
難しいけど、やるしかないし、前を向くしかないし。

「前を向くしかない」と語る坂口さん。その胸の内には、被災地から応援してくれている家族の存在がありました。

坂口歩さん:
絶対能登にいる家族の方が大変なのに、普通に暮らしている私のことを「頑張れ」って応援してくれるのが本当に申し訳ないし、ありがたいって気持ちです。
(「めざまし8」2月2日放送より)