2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオに当時41歳の男が侵入し、ガソリンで放火した事件では、社員36人が死亡するなど、国内では過去に例を見ない大惨事となりました。

この事件を巡っては、実名報道の是非が各方面で議論されました。また、最近では、行政機関も個人情報への行き過ぎた配慮から、名前を発表しないという問題も起きています。なぜ実名報道は批判されるのか、それでも実名報道が大切だと言うのならば、それはなぜなのか。

このことを考えるため、FNNプライムオンラインでは、これまで(1)実名報道の問題を指摘する「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の事務局長、髙橋正人弁護士、(2)実名報道で結果的にメディアスクラムの被害を受けた桶川ストーカー事件の被害者遺族・猪野憲一さん、京子さんに話を聞いてきました。

第一回「被害者が泣く民主主義なら、そんな民主主義はいらないと遺族は思っている」
第二回「家を出ようとすると記者に取り囲まれる」桶川ストーカー事件の被害者遺族に聞く)(それでも実名報道が大切な理由 桶川ストーカー事件の被害者遺族に聞く(2)) 

第3回は、名古屋市西区主婦殺人事件の被害者遺族・高羽悟さんです。事件は、桶川ストーカー事件の翌月に発生しましたが、この事件の犯人は今も捕まっていません。高羽さんは、猪野さんとは別の視点から実名報道の大切さを訴えられました。

左:殺害された高羽奈美子さん 右:高羽悟さん
左:殺害された高羽奈美子さん 右:高羽悟さん
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報道されたから得られた励まし

ーー最近、実名報道が批判されています。そっとしておけ、名前を出す意味がない、嫌がるものを出さなくていいじゃないか、という意見があります。

高羽悟さん:
一般の方は、「『嫌だ』って言っているんだから、嫌なとこ行くな」って思うでしょうね。
犯罪被害にあったことのない方は、名前が出ればメディアが殺到するから、出さないほうがいいだろうなと考えることは十分理解できます。でも、私は、実名報道されて、運がよかっただけなのかもしれませんけども、メディアスクラムはなかったです。

やっぱりメディアの人も、行かざるを得ないという面もあるじゃないですか。一般の方はそこまで考えないでしょうけど、メディアの方も喜んで行っている訳では無い。報道の使命として、行かざるを得ない…。
取材する側もすごく勇気がいるんじゃないですか。ピンポン押せって簡単に上司は言うけど、「よく来てくれました」なんて言う被害者のほうが少なくて、一つ間違えば「何しに来たんだ!」って怒られる。ビクビクしながらピンポン押すわけじゃないですか。メディアの人も使命でやっているわけで、わざわざ遺族をいじめるために行っているわけではないですよね。

遺族の気持ちだとか、亡くなった方がどういった方だったとか、それを伝える意味っていうか意義は、十分あると思います。

事件は、1999年11月13日の昼頃、名古屋市西区稲生町の集合住宅で発生 
事件は、1999年11月13日の昼頃、名古屋市西区稲生町の集合住宅で発生 

ーー「報道」をそんなふうに理解していただけるのはなぜなのでしょうか?

事件直後、一番、お世話になったのが中京テレビさんですけど、取材の際、心掛けたのが「同情されたくない」でした。だから、子供と遊んで笑顔でいるところを撮ってもらう。泣いているところを犯人が見たら喜ぶと考えたんです。ざまあみろ、と思っているかもしれない。

犯人に犯罪を後悔させるには、元気に遊んでいるところを見せて、あなたに妻を殺されたけど、こんなに元気でやっていますよ、っていうところを見させないと反省しないだろうと思って取材を受けてきました。そういう報道方針を示してくれたのは、中京テレビの土屋健さんという記者です。当時はまだ駆け出しの記者さんでしたけど、一生懸命やってくれたんです。今は担当をはずれているけど、事件日ごとに毎年、電話をくれますしね。だから、私はそういう、いいメディアの方にずっと担当してもらっています。

報道されたおかげで、いまだに、何年も会っていない人から年賀状で「いつもテレビで見ているよ、がんばってね」とか、「息子さん、社会人になってよかったね」って。それは本当にありがたいですね。すごく励みになるし、離れていても、ああ、見ていてくれるんだと思えて、がんばれますよね。

メディアにとりあげてもらうことは、未解決事件の遺族としてはすごくありがたいなといつも思っています。事件を忘れられていないんだということで、がんばれる面もあるし。みなさんとつながっていられるので、会っていなくても、つながっているような感じがするので。

情報提供を呼びかけるビラを配る高羽さん。事件は未解決のまま20年が過ぎた
情報提供を呼びかけるビラを配る高羽さん。事件は未解決のまま20年が過ぎた

遺族は事件と向きあえたとき、話したくなる

高羽悟さん:
事件直後に思ったのは、この先、俺はどうなるんだう、2歳の子をかかえてって。だから、涙はでませんでしたね。悲しいというより、びっくりして、呆然としました。

心当たりもなくて。以前からストーカーにつけられていたとか、いたずら電話が入っていたとか、いろんなことがあれば、少しは警戒していたでしょうけども、そんなものはない。帰ったら、「死んでいたよ」って言われたら、ドラマのように、遺体にしがみついて泣くなんてできないです。びっくりして、呆然として、なんでこんなことになっちゃったんだろう、頭の中がグルグル、グルグル。現場に行って、遺体を見て、ああ、なんだ、と。でも鑑識が作業をやっているので、さわっちゃいけないと思うし。

普通は、事件直後はパニックでなかなか話せないんです。遺族会でも、みんな、100%言います。被害にあって混乱したところで、「話せ」、「話せ」って言われても、なかなか話せないって。だけど、犯人がつかまって、裁判がはじまり、死刑にしたいとか、少しでも重い刑にしたいと闘って、不本意だけど加害者の刑が確定して、やることがなくなったときにやっと被害者は事件に向き合えると思うんですよ。

そのころは、だいぶ落ち着いてくるから、この怒りをメディアに訴えたいと思う人が出てきますから。自分としては納得いかないということがでてくるでしょ。京アニのご遺族も、落ちついてくると、この怒りをメディアに訴えたいと思う人がでてくるんじゃないですかね。

高羽悟さん
高羽悟さん

ーー遺族にしてみれば落ち着くと話したくなるものなのですか?

それは、全然違いますよ、事件直後と報道の意味が。刑事裁判が確定するまでは、裁判しか考えないじゃないですか。でも刑が確定すると、もう、やることがないので、いろんな意味で事件を振り返って、一人で考えられるじゃないですか。そのときに、みんなしゃべりたくなるんです。

匿名報道の場合は、顔を消して、首から下だけ。じゃあ、被害にあった人、誰ですかって言ったら「娘のAです、息子のBです…」。それでいいかということです。遺族のほうも、訴える機会がなくなってしまいますよね、匿名だとメディアは取材に来ないわけですから。
自分がどれだけ大変な思いをして事件後、生活しているかということを訴えることができないですよね。だから、落ち着いてきたときに、後悔すると思います。

同じ被害者遺族でも、実名で報道された人のところには、メディアが来て、話を聞いてくれるんだけど、ウチは匿名だったから、誰も来ない…。あの人、取材してもらえていいなあ、と思うタイミングが絶対に訪れると思うんです。いまだに言われますよ、「高羽さんとこ、取材しょっちゅう来ていいねえ」って。遺族の会でもね。

だから、メディアの方は、殺人事件が起きた日、被害者の命日ですよね、その日に1本電話してあげてください、ということです。毎年、新しい手帳にしたら、忘れないように「命日」って書いて、電話1本でいいんで、「事件の取材でお世話になった誰、誰です」って、一言、伝えると遺族はすごく喜ぶと思いますよ。ああ、忘れられていないんだと思うと、すごく通じあえると思います。それが私は遺族取材だと思います。

報道されたことでがんばれたという高羽悟さん。その訴えは繰り返し報道されることで法律をも変えることにつながりました。詳しくは今後公開予定の、「実名報道を考える 第三回 名古屋市西区主婦殺害事件の被害者遺族に聞く(2)」でお伝えします。
 

(執筆:フジテレビ報道局 吉澤健一)

プライムオンライン編集部
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FNNプライムオンラインのオリジナル取材班が、ネットで話題になっている事象や気になる社会問題を独自の視点をまじえて取材しています。