浜松市中央区にある住宅の庭で深さ3メートル以上の“穴”が見つかった。場所は浜松城のすぐ近く。この辺りは戦時中、連合国軍の空襲により焼け野原となっており防空壕の可能性が高いとみられるが、家主の男性は…。

住宅の庭に突如出現!巨大な“穴”

静岡県内で最多の人口を有し、“ものづくりのまち”、そして“音楽の街”として知られる浜松市。

市役所やオフィスビルなどが立ち並ぶ中心部に程近い住宅の庭で“ある異変”が起きた。

家主の加藤さんによると、2023年12月、庭に手のひらほどの大きさの“穴”が開いているのを見つけたという。確認してみると、奥は空洞になっているようだった。

”穴”を見つけた時の状況を説明する加藤さん
”穴”を見つけた時の状況を説明する加藤さん
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そこで穴の付近を踏みつけると、周辺の土がごそっと崩れ落ち、手のひらサイズだった穴は一気に1メートル四方に。

さらに穴を塞いでいた瓦や土を取り除いてみると、深さ3メートル以上、奥行きも3メートル以上あり、奥に進んでみると人為的に置かれたとみられる石積みがあることも判明。また、石積みの奥にもまだ先があるように見えるそうだ。

”穴”を塞いでいた瓦や土
”穴”を塞いでいた瓦や土

加藤さんは「全然気づかなかった。ここに住んで60年以上になるが、まさかこんな地下道というか、空洞の上に住んでいたとはびっくりですね」と驚きの表情を見せる。

戦時中の空襲で焼け野原となった浜松市

現在も航空自衛隊の基地がある浜松市は、戦前から陸軍の飛行学校が置かれていたほか、軍需物資の生産が盛んだったため、第二次世界大戦末期には連合国軍から27回に及ぶ空襲や艦砲射撃などを受け廃墟と化した。

総務省によれば罹災面積は6.90平方キロメートル、罹災人口は12万人に上り、全国的に見ても大都市並みの被害を受けたと言われ、市は加藤さんの自宅周辺にも戦時中に防空壕が作られたとの話があることや穴の形状から「防空壕の可能性が高い」と見ている。

“出世城”の武家屋敷の跡地?

一方、加藤さんの家のすぐ近くには浜松城もある。

1570年に引間城(曳馬城・引馬城とも)を改修する形で浜松城を築城した徳川家康は、29歳から45歳までの17年間在城。その間、領地を拡大し天下統一の礎を築いた。その後も、天保の改革を行った水野忠邦をはじめ、歴代城主の中から江戸幕府の要職に就いた人物が多くいたことから“出世城”とも言われている。

”穴”の内部
”穴”の内部

このため、加藤さんは「99%防空壕ではないかと思いますけど、この場所は当時、武家屋敷があった場所なんですよね。本当にわずかな確率で“お宝”があるかな?と…願望ですけれど」と笑う。

”穴”の奥にある石積み
”穴”の奥にある石積み

住宅の庭に突如として現れた“巨大な穴”。

浜松市は安全対策を含めた今後の対応を検討している。

(テレビ静岡)