パレスチナ自治区のガザ北部との境界にネティブ・ハアサラ(Netiv HaAsara)という集落がある。ここはガザを囲う分離壁に接し、ガザに最も近いイスラエル人の集落として知られている。

人口800人あまりのこの集落も10月7日、イスラム組織ハマスによる襲撃を受け、20人が殺害された。記者が11月半ばに取材すると、この場所だからこそ感情が揺れ動く住民の姿が垣間見えた。

バスの中から攻撃による黒煙が見えた
バスの中から攻撃による黒煙が見えた
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イスラエル軍のエスコートを受けながらバスで現地に向かう。双方の攻撃は移動中も断続的に行われていて、バスの窓からはガザ方向に黒煙があがっているのが見える。

ガザはすぐ目の前だ。

目の前は“世界最大の野外監獄”…ガザの壁

ガザの周りには境界沿いに分離壁が設置されている。それゆえ“世界最大の野外監獄”ともいわれる。ハマスは壁をパラグライダーで飛び越えてこの集落を襲い、住民を次々と殺害した。

形をとどめる建物はコンクリのシェルターのみ
形をとどめる建物はコンクリのシェルターのみ

最初に案内されたのは、分離壁からわずか650mの場所にある住宅の焼け跡だった。ここには70代の夫婦が暮らしていた。襲撃の当日、ハマスにロケット弾を打ち込まれ、木造の住宅はまたたく間に焼け落ちた。まともに形を残していたのはコンクリートでできたシェルターだけだ。

焼失した家屋側の果樹が黒く焼けている
焼失した家屋側の果樹が黒く焼けている

焼け跡には、殺害された夫婦の作品とみられる焼き物やオブジェががれきとなって散らばっていた。2人はアーティストだったという。庭のかんきつ系の樹木も、炎に接した側が茶色く変色したままで、火災の激しさを物語っていた。

「我々の現実へようこそ」危険と隣り合わせの日常生活

取材を続けていると突然、取材団の携帯が一斉に鳴り出した。イスラエルのミサイル警報アプリ「TZOFAR」のアラート音だ。同時に集落に「TZEVA ADOM! TZEVA ADOM!」という放送が流れた。「コードレッド(=緊急事態)」を意味する警報だ。

とっさに近くで身を守れる場所を探すと…この夫婦のシェルターが目に飛び込んだ。防弾チョッキとヘルメットを身につけたメディアがカメラや機材を抱えたまま一気に中へ駆け込む。ギュウギュウ詰めのシェルターで息を潜める。

ミサイル警報でシェルターに駆け込んだ
ミサイル警報でシェルターに駆け込んだ

ふと自分が一番入り口に近いのに気づく。「何か飛び散ったら、自分が先だな…」と思った時、一緒に避難していた引率のイスラエル軍関係者が言った一言が忘れられない。

「我々の現実へようこそ」

ガザの子供たちの支援もしていた夫婦、なのに…

しばらくすると上空で「ボン!…ボン!」と爆発音がした。

イスラエル軍の防空システム「アイアンドーム」が迎撃する音だ。避難警報が解除され、シェルターの外へ出ると、上空には迎撃でできた白い煙が小さな雲のように浮かんでいた。

住民のベニー・ベイナーさんの本業はカメラマン
住民のベニー・ベイナーさんの本業はカメラマン

殺害された夫婦を知っていた住民のベニー・ベイナーさんによると、2人はガザの住民を助ける活動にも携わっていたという。

「2人はガザの子供たちをイスラエルの病院に送迎し、診療中も待ってあげて食べ物や水も与えていた。その人たちを生きたまま燃やしたんだ」

さきほど取材班が入った夫婦の自宅のシェルターの中は真っ黒に焦げていた。夫婦は最後、この場所に逃げ込んだのかもしれない。

肩にかけるのはカメラではなく自動小銃

「…こんな銃は持ち歩きたくないんだよ」

本業はカメラマンだという住民のベイナーさん。この日はカメラではなく自動小銃を斜めがけにして手を添えていた。ハマスによる襲撃が起きる前は、境界を越えて、この集落とガザの人たちの行き来があり、ベイナーさんの家もガザに住む親しいパレスチナ人が建てるのを手伝ったという。しかし襲撃後、連絡は途絶えたままだそうだ。

手には本業のカメラではなく自動小銃が
手には本業のカメラではなく自動小銃が

「家族のようだった。しかし、今は連絡がつかないんだ」

義父もお金に困っていた従業員のパレスチナ人のためにガザに送金したことがあったという。

「私たちは子供たちが外で遊べるような、普通の生活がしたいだけなんだ。向こう側が平和を望むのなら、我々もそうだ。こんな戦いはしたくない」

「…こんな銃は持ち歩きたくないんだよ」
「…こんな銃は持ち歩きたくないんだよ」

しかし子供たちのことを思ったのか、言葉を選び直した。

「自分の子供たちを守るためにテロリスト全て…ガザを全て破壊しなければならないのなら、それは仕方ない。いま私たちを抹殺したい人たちとの平和は、ない」

ガザ境界の壁画・・「平和への道」は開けるのか

「パパパパパン!」

自動小銃の乾いた音が遠くで鳴り響く。ガザとの分離壁にさらに近づくと白い家が見えてきた。「イスラエルでガザに最も近い」といわれる白い家は壁と数十メートルしか離れていない。

白い家の庭先数十メートルにガザとを隔てる壁が
白い家の庭先数十メートルにガザとを隔てる壁が

住民は全て避難をしているため、攻撃の音以外はアスファルトに舞った砂を踏みしめる音が際立つ。写真の撮り方によっては、平和で閑静な住宅街にも見えてしまうが、ここは戦場だ。

実際のガザとの境界はさらに奥に
実際のガザとの境界はさらに奥に

取材が許された最南端まで進むと、平和の象徴の白いハトが描かれた壁画があらわれた。

取材が許された最南端には…
取材が許された最南端には…

壁には英語とヘブライ語で「Path to Peace(平和への道)」と書かれている。

壁画には英語とヘブライ語で「Path to Peace(平和への道)」
壁画には英語とヘブライ語で「Path to Peace(平和への道)」

この集落はガザ地区との平和の道をたしかに模索していた。

ガザ境界の壁には平和の象徴の白いハト
ガザ境界の壁には平和の象徴の白いハト

住民のヒラ・フェンロンさんは壁画を前に肩を落とす。

住民のヒラ・フェンロンさん「子供の頃は壁もなかった」
住民のヒラ・フェンロンさん「子供の頃は壁もなかった」

「私が子供の時は壁もなかったし、お互いにガザとイスラエルを行き来した。私たちと同様に、ガザにはハマスの犠牲になったパレスチナ人もいる」

しかし今、住民たちの決意は固い。

「ハマスが始めた戦争だ。彼らがやり続ける限り戦争は続く」

泥沼化する戦闘を前に、この壁画のハトがむなしく見える。

(執筆・取材:FNNニューヨーク支局 弓削いく子、取材:撮影中継取材部 米村翼)

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弓削いく子
弓削いく子

心身を整えるためにヨガをこよなく愛す。
Where there’s a will, there’s a way.
FNNニューヨーク支局長。ニューヨーク市生まれ。1993年フジテレビジョン入社、警視庁、横浜支局、警察庁、社会部デスクなど、駆け出しは社会部畑。2010年からはロサンゼルス支局長、国際取材部デスクを経て現職。