部員ゼロの高校バレー部に転校してきたのは、日本一15回の強豪バレー部の部員たちだった。なぜ彼女たちは名門を離れ、転校したのか。「転校生」の彼女たちを待っていたのは思わぬ試練だった。

恩師の決断で異例の“一斉転校”

2023年4月、長崎県立西彼杵高校(西海市)に5年ぶりに女子バレーボール部が復活した。部員ゼロの高校バレー部に、九州文化学園高校(佐世保市)からの転校生が来たからだ。

九州文化学園 = 九文といえば、高校バレー界の名門だ。43年間チームを率いた井上博明監督のもと、全員で拾ってつなぐ「真実(こころ)」のバレーで勝利をつかんできた。日本一の栄冠は、15回に上る。

しかし、2023年2月に井上監督が九文退任を発表した。西海市からの声かけで、2023年春から西彼杵高校バレー部の指導者になる新たな道を選んだ。

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九州文化学園バレー部・井上博明監督(2023年2月当時):
真実(こころ)のバレーの進化を頑張ってやっていくことが、西海市の地域の方々にも応援していただけるチームになるのでは

恩師の決断に部員たちが出した結論は、井上先生と共に九文を離れることだった。

ドロストきいら選手(当時2年):
先生の話を西彼杵に行くと聞いたときに、先生が自分たちのことを第一に考えてくれているなと感じたから、もう行って、勝たないといけないとなとなりました

主将・市川すみれ選手(当時2年):
ついていくしかないと

田中聖華選手(当時2年):
バレーだけじゃなく、人として成長するから

井上監督のもとでバレーを続けると決めたのは、19人のうち17人。公立高校への一斉転校は異例だが、長崎県教育委員会は「やむを得ない事由」にあたるとして認めた。

バレー部が西海市の活性化のシンボル

日本一15回の部活動がそのまま「引っ越し」。選手たちは西彼杵への転入試験にも無事合格し、家族総出で必要な荷物を運び入れ、新生活への準備を整えた。新たな場所での新たな生活は不安と期待が入り交じっていた。

主将・市川すみれ選手:
学校生活で初めての人たちばっかなので、慣れていけるかちょっと不安です

田中聖華選手:
この地でやるのはゼロからスタートだけど、みんなや井上先生とやるのはゼロからじゃない。ずっと続けられるというのが、一緒にバレーができるから、仲間ともできるからうれしい。ありがたい。感謝

新1年生も加え、新生・西彼杵バレー部は22人でスタートした。全校生徒(102人)の5分の1がバレー部員だ。かつては600人近い生徒がいた西彼杵高校だが、生徒数の減少、西海市全体での人口減少が止まらない。2005年からの18年間で、1万人近い人口が減少している。

西海市は2023年度、バレー部関連で、寮整備を含む1億円あまりを支出した。バレー部は、まちの活性化のシンボルだ。

西海市民:
頑張っているなってみんな注目していますよ。車で通ると若い子がいると、あーって思って見ます

西海市民:
先生を思って、子どもたちがまた集まってくれたらいいと思います

葛藤の末につかんだ初優勝

転校からわずか2週間。西彼杵バレー部の初戦は、長崎県内を3ブロックに分けた地区大会。
「西彼杵」の校名が入ったユニフォームを着ての初めての試合だ。

決勝の相手となる純心女子(長崎市)は、九文最後としての大会(2023年1月の長崎県新人戦)で敗れた相手だ。気負いすぎたのか、らしからぬプレーが続き、第1セットを落としてしまう。

西彼杵高校バレー部・出野久仁子コーチ:
何でもやってもらわんばと!自分らがするしかないって、やろうとせんば!気持ちを出そうとせんば、勝ちにいかんば

西彼杵高校バレー部員:
やるしかないよー!!!

コーチ、チームメートからのエールを受けて、互いを鼓舞した彼女たちの動きが変わった。最後は田中選手が決めて逆転勝利。

環境が激変しても、ほとんど弱音を吐かずにやってきた彼女たちの姿に、応援席には涙を流す人もいた。九文時代は気にとめなかったかもしれない「地区大会」だが、葛藤の末つかんだ西彼杵の初優勝だった。

田中聖華選手:
当たり前じゃないことをずっとしてもらってきて、そもそも転校できたのも当たり前じゃないし、すごく当たり前じゃないことを、当たり前かのように周りの方がしてくださって、すごく暖かい声援ばかりもらっていたから、絶対に勝たないといけないと思った

“転校の代償”で出場できない試合も

高校3大大会の1つ、インターハイの切符をかけた長崎県高校総体で、西彼杵の部員は大会の補助員をしていた。

規定により、転校した生徒は高校総体をはじめ、高体連主催の大会に半年間出場できないのだ。いわば「転校の代償」だ。分かってはいたものの、やりきれない思いが彼女たちを襲う。

ドロストきいら選手:
なんでっていう部分があるけど、悔しいからこそ、また絶対に負けないために頑張ろうとも思いました

新しい環境で必死にもがき頑張る姿に、彼女たちを応援する地域の輪が広がり始めている。地域の人から早朝練習に向かう生徒への声かけだ。

西彼杵高校の卒業生・平井房子さん:
今までは静かだったんですよ。ここにあの人たちが来られるまでは

西彼杵高校の卒業生・平井康司さん:
私たちが通っていた頃は大体600人ちょっと切るくらいですね。バレー部さんが来てくれて、ちょっと活気が出てきたかな

初の全国大会への切符に「笑顔」

転校から3カ月ほどがたった頃、西彼杵高校初の全国大会出場のチャンスが巡ってきた。2023年10月の鹿児島国体に向け、レベルの高い九州予選を勝ち抜くチームは西彼杵しかないと、長崎県代表として白羽の矢が立ったのだ。

初戦の熊本戦(対 熊本信愛女学院)は、1セット目を取られた後に劇的な逆転勝利。ところが続く宮崎戦(対 選抜チーム)はボールを簡単に落とすなど、キャプテン市川選手の大会前の不安が的中し、まさかのストレート負けを喫した。

主将・市川すみれ選手:
背中から何も伝わってこなかった。もっとできるはずなのに、一人一人が個人になってしまって、全員で勝とうという気持ちがなかったのが見えたと思います

キャプテンの市川選手はこの日の夜、仲間に喝を入れた。それもあってか、翌日のチームは本番に向け、ピリッとした緊張感に包まれていた。この日は、勝てば全国、負ければ敗退の1試合。保護者の他、車で3時間かけて来た西海市民の姿もあった。

西彼杵高校の卒業生・平井さん夫妻:
きょう(西彼杵のユニフォームを)いただきました。きょうは絶対これを着て応援する

対戦相手は、福岡(選抜チーム)だ。前日の反省と当日朝の練習の成果か、立ち上がりはスムーズだったものの、相手も強豪で一筋縄ではいかない。終盤にミスも出て、第1セットを落としてしまう。

追い込まれた苦しい状況でも井上監督は、選手たちにほとんど指示を出さない。ベンチからキャプテンの市川選手がハッパをかけ、西彼杵はレシーブからリズムをつかみ始める。

最後は3年生の田中選手が決め、勢いは完全に西彼杵へ。そして、長崎県代表として西彼杵が、初の全国大会への切符を手にした。これまで勝っても「涙」だった選手たちだが、この日は「笑顔」だった。

田中聖華選手:
ちょっと泣きましたね。支えてくださった方々のおかげで1点1点取れたと思います。こうやって転校して試合に出られることも当たり前じゃないから、1本1本、一瞬一瞬をかみしめて濃い時間にしていけたら

西彼杵高校バレー部・井上博明監督:
指示を出さなかったのは自分たちで作れるようにならないと今後につながらない。だからそういう意味では、きょうはいい勝ち方ですね。初出場、初優勝(笑)

期待と悔しさを次の世代に

転校から“濃い”数カ月を過ごしてきた西彼杵バレー部。学校の近くにある海は、ほっと一息つける場所だ。

主将・市川すみれ選手:
たくさん言い合ってきた部分も多いし、頼れる仲間だと思う。ここに来たからこそできることもいっぱいあるから、チームワークを作っていって日本一になれるよう頑張りたい

国体九州ブロックを突破した西彼杵だったが、10月の鹿児島国体では、初戦負けに終わった。力を出せなかった彼女たちは“初”の全国大会で初戦の恐ろしさを痛感したという。

1カ月後…

転校したからこそ味わえた経験を糧に西彼杵は11月、このメンバーとして最後の全国大会をかけて、春高バレー長崎県大会に挑んだ。

しかし結果は純心女子に敗れ、準優勝。転校という苦しい道を選んだものの、夢をつかめなかった選手たちは全員が「涙」を浮かべていた。

そんな彼女たちに、スタンドに駆けつけた西海市民は最大限の賛辞を贈った。西海市の期待も、彼女たちの悔しさも、次の世代の後輩たちが受け継いでいく。いまの2年生が、九州文化から転校した最後の世代だ。また来年、全国大会「日本一」に向けた挑戦は続いていく。

(テレビ長崎)

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