福島第一原発の処理水放出と共に、中国では塩を買い求める人たちが溢れた。私の周辺には「しばらく海鮮を食べない」という人も出た。

処理水放出とともに「塩の爆買い」現象が起きた
処理水放出とともに「塩の爆買い」現象が起きた
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偏った、また誤った情報による誤解が原因だろうが、一見豪快で怖いもの知らずに見える中国人が、実は慎重、ないしは気が小さい一面があるのではという疑念がわいた。

日本では想像できないような出来事が中国ではたびたび起こるが、そのウラに潜む中国人の心理を考える。

中国の“お化け屋敷”の実態

今年の夏も暑い日が続いたが、中国では「怪談話」がほとんど聞かれない。知り合いの中国人に聞くと「見えないものに対する意識が非常に敏感だから」という。さっそく実態を調べるため、北京の遊園地にある「お化け屋敷」に行ってみた。

北京のお化け屋敷。「異域魔窟」とある
北京のお化け屋敷。「異域魔窟」とある

結果から言うと、何となく想像はしていたものの、予想を裏切らないつまらなさであった。人々は時間を置いて中に入るわけでもなく、ランダムにぞろぞろ歩く方式だ。幽霊や妖怪がいないのはもとより、動くものがほとんどない。つまり人を驚かす仕掛けがない。骸骨や古い屋敷が並び、吊り橋などの不安定な暗い道を歩いて終わってしまった。

並ぶ人は全くいなかった
並ぶ人は全くいなかった

それでも足早に追い越していく女性のペアや、親の腕をしっかり掴んで歩く幼児、「怖くないよ~」と言って怖がる子供など、むしろ中国人のリアクションの方が面白かった。
他のアトラクションと違って閑散としていたのは単純に面白くないからか、怖がりが多いからなのかはよくわからなかった。個人的には北京の夜の、寂れた胡同(フートン)街の方がよっぽど怖い。

北京の胡同街の一角。夜はかなり暗い
北京の胡同街の一角。夜はかなり暗い

北京の中心街は人通りも多く、クラクションの音などで非常に騒がしいが、一歩路地に入ると不思議なくらい静かで、人が暮らす生活の音がことのほか大きく聞こえるくらいである。

怪談話はネットや書籍には散見されるようだが、テレビや映画では当局の検閲があるそうだ。制限があるのは、「幽霊の存在をみんな信じてしまうからだ」という話も聞いた。

トランプに興じる人たちも
トランプに興じる人たちも

 新型コロナへの対応も…

見えないものへの恐怖と言えば、新型コロナウイルスもあげられる。
中国の対応は、過剰と言えるほど敏感だった。入国の際に課される3~4週間に及ぶ隔離生活は科学的な措置とはほど遠く、今となっては何だったのかと途方に暮れる思いである。

隔離生活では部屋から一歩も出られなかった
隔離生活では部屋から一歩も出られなかった

隔離対象者は、極端な言い方をすれば「ばい菌扱い」で、全身防護服の係員に汚物のように扱われた。
「生死に関する事柄に、中国人はことのほか敏感だ」という見方もよく聞かれるが、規則だから仕方のない対応だったのか、コロナを恐れる心が尋常でなかったのかは個人差もあるだろう。ただ、「見えないものに対する恐怖」を表すひとつの例とはいえそうだ。

共産党政権が感じる“恐怖”

中国当局は、過去にも「見えない力」「理屈で説明出来ないもの」に手を焼き、力で抑え込んできた。

1990年代に話題となった「法輪功」を、中国政府は「邪教」と認定して徹底的に弾圧した。
新疆ウイグル自治区でのウイグル族との衝突(2009年)も、イスラム教の「信仰心」との対立が背景にある。

天安門事件では「民主化」が徹底的に弾圧された(1989年)
天安門事件では「民主化」が徹底的に弾圧された(1989年)

「いまでも田舎では魔術や呪術の類いが信じられている」(中国学術関係者)というように、都市部の発展の一方で地方にはその恩恵が及ばず、昔ながらの「ムラ社会」は農村などに今も数多くあるようだ。
当局はそうした見えないものへの畏怖を覚える中国人の心が、政府への攻撃に繋がらないよう細心の注意を払っているとみられる。中国で正しいもの、絶対であるものは「中国共産党」で、その存在が揺らぐようなことがあってはならないからだ。

ちなみに、中国人に処理水放出への感想を聞いても答えない理由のひとつは、国民が政治に意見をすることは“タブー”であり、批判すれば自らの身を危険にさらすことをよくわかっているからである。

国慶節、北京空港は日本に向かう人たちで溢れた
国慶節、北京空港は日本に向かう人たちで溢れた

金にシビアな中国人!?

逆に考えれば、中国人は「実際にあるもの、見えるもの」に対してはシビアな対応を取る、現実的、即物的な人たちだと感じる。例えばお金だ。

中国の貧富の格差が埋まらないのは、「金持ちがさらに金を儲ける、ゼロサムゲームになっているからだ」(外交筋)という。身内の優遇や社会に還元する意識の低さ、税制措置など、日本とは考え方や制度が違うことも、低所得者が浮かび上がりにくい現実を後押ししているのだろう。

「残りものには福がある」などといっても、「中国で残りものを待っていても、なくなるだけだ」と中国の友人に言われた。

北京でも貧しい地域は点在する
北京でも貧しい地域は点在する

一方で、中国では「金持ち優遇」などという一般庶民の不満をほとんど聞いたことがない。前述した、政治への批判がタブーなことに加え、自分の生活は自分で守るという現実を直視した考えがあるからだとみられる。生まれたときからその環境であればなおさらだ。政治への不満を言わない辛抱強さと、言っても仕方がない諦めを感じる。

夢や希望ばかりで生きられないことは百も承知だが、激しい競争社会の中に生きる中国人の割り切りとしたたかさ、少しの寂しさを垣間見た思いである。
(FNN北京支局長 山崎文博)

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。