かつてカキ養殖で栄えた宮城県の離島の漁業。震災で大きなダメージを受けながらも見事に復旧を果たしたが、加速する過疎化と後継者不足の問題に直面している。
この記事の画像(12枚)「人口10人」離島の84歳現役カキ漁師
宮城県塩釜市発の定期戦に乗り、50分の距離にある離島・朴島。大小200以上の島々が浮かぶ松島湾の中で、4つしかない有人島の一つだ。震災前に24人いた島民も現在は半減し、10人となっている。
そんな10人のうちの1人、この島で生まれ育った尾形勝利さん(84)。現役カキ漁師として毎日海に出る生活をしている。
尾形さんはカキ漁師。手がけるのはカキの赤ちゃん『種ガキ』の養殖だ。「この一つ一つが大きくなる」と嬉しそうに尾形さんは話す。
全国に向け種ガキ出荷 光る職人技
海水温が上がる毎年6月から9月に産卵する朴島のカキ。目の細かいネットで採取した海水を自宅に持ち帰って顕微鏡で覗く尾形さん。映し出された画面には、種ガキがびっしりあるのがわかる。
「顕微鏡で調べないと種ガキがあるかないかわからない。岩手県や三陸に出荷する種ガキはそんなに多くついたのはいらない。10個から20個、まあせいぜい30個くらいが喜ばれる、広島は100個くらいついたのが欲しい。今、温暖化で死滅が多いから」
(カキ漁師 尾形勝利さん)
北は北海道から南は広島県まで。全国に種ガキを出荷している尾形さん。産地ごとに成長具合が違うため、取引先の要望に合わせて採苗するタイミングをずらし量を調整する。長年の経験がものをいう、まさに職人技だ。
種ガキは生まれた後、海中を漂いながら岩礁などにつく性質があり、尾形さんはそれを利用し、ホタテの貝殻を使って採苗している。
「松島湾は種ガキとしては場所が良いところ。浅いから、朝昼晩で水温もガツンと下がって、乾湿になるから丈夫なんだっちゃ」
(カキ漁師 尾形勝利さん)
波が穏やかな松島湾。水深は深いところでも4メートルほどで、潮が引くと種ガキが顔を出すほど浅い。空気に触れることでより丈夫に育つという。これほど養殖に適した場所は全国的に見ても数えるほどしかない。
「震災」と「後継者不足」が漁業者数減少に拍車
宮城県内の沿岸漁業の就業者数は、年々減少を続けている。
かつて18人いた朴島の種ガキ漁師も、今は尾形さんを含めて3人しかいないという。
ここまで漁師が減ったワケー。きっかけは12年前の「あの日」だった。
「カキ棚も全滅になったの全部倒されて、いろんなところから遺体も流れてきてね。私4体あげたよ…復活ができるかどうかわからなかった。当時はみんな力を落としてしまった」
(カキ漁師 尾形勝利さん)
朴島がある松島湾にも押し寄せた東日本大震災の津波。
多くの漁師が、家も、船も、養殖施設も全て流された。
県の担当課は、「当時高齢だった漁業者にとって、個人で数千万円から1億円の金を借りて一から再建するというのはあまりにもハードルが高かった」と話す。後継者がいないことも重なり、震災を機に多くの漁師が漁業から離れてしまったのだという。
尾形さんも震災後に廃業を考えた時期があったが、「種づくり」の依頼や、全国の取引先からの後押しを受けて、5年で震災前とほぼ同じ規模の種ガキ養殖を復旧させた。今は、隣の島に住む漁師に手伝ってもらいながら養殖を続けている。一方で「仕事を続けられるのはあと数年」だと尾形さんは話す。
「せいぜいやってもあと4、5年じゃないの。元気でいればね…」
(カキ漁師 尾形勝利さん)
復興を果たしたものの、担い手不足という課題に直面する離島の漁業。培ってきた技術と経験を残していくために残された時間は、決して多くない。
(仙台放送)