オリンピックなどの国際試合でも大事な局面で使用される「ビデオ判定」。
このビデオ判定によってジャッジが変わることもあり、テクノロジーによって判定を覆される審判たちはどう思っているのか。
元サッカー審判員・家本政明さん、元プロ野球審判員・坂井遼太郎さん、スポーツライター・小林信也さんが「ビデオ判定導入での変化、スポーツ審判たちのホンネ」を語った。
「ビデオ判定」となる場面とは?
――スポーツのビデオ判定はいろいろな競技に増えているという印象ですが、全ての部分でビデオ判定がされるわけではないんですよね。
家本政明さん:
そうですね。
サッカーでは(主にVARで判断することは)得点かどうか、PKかどうか、退場かどうか、警告などが人違いでないかどうか。
そこのところが明白に間違っているのか、見過ごされてしまったのかをビデオ判定します。
――例えば得点に絡んでない部分は、基本的には主審の目でチェックをしていく?
家本さん:
そうです。
――Jリーグのビデオ判定導入は2019年から。どのような形で審判員のみなさんはスタートしていったのでしょうか。
家本さん:
すごくいい面は、現場でどうしても人の目がないアングルってあるじゃないですか。
後から見返すと「あ、間違えていたな」というのはあるんですけど、それがテクノロジーによって助けてもらえるというのは、多くの人にとって嬉しいこと。
一方で、その場で公開処刑じゃないですけど、自分のミスを認めて変えなきゃいけないという心の難しさですね。そこのところが現場のレフェリーたちはすごく苦労しているところの一つです。
MLBはニューヨークで映像を判定
――実際、野球でいうと、リクエスト(アウトかセーフか判断が難しいプレーが発生した時に、監督が審判に要求するとビデオ判定が可能になる制度)の中でジャッジする部分というのは限られていたわけですよね。
坂井遼太郎さん:
全てが全て見られるというわけではなくて、ホームラン、キャッチ&ノーキャッチ、フェア&ファウル、各塁のアウト&セーフ、というところが大きくありますが、その他にも細かいところは結構ありますね。
――いわゆるストライクやボール、この判定は審判がやると?
坂井さん:
そうです。現状、日本ではまだそこに関しては審判員の判断ですが、アメリカは3A(マイナーリーグの中で一番上のカテゴリー)からは、AIでの判定が試験的に導入されています。
メジャーリーグに関しては、各球場の映像検証用のカメラで撮影した映像で検証を行っています。
しかも、それはその球場で判定するのではなくて、ニューヨークに映像が送られて、そこでビデオ判定をするクルーというのがいまして、そこで判定した結果を現場が聞くというのがMLBです。
小林信也さん:
今のお話だと、MLBは2008年から(ビデオ判定を)導入している。導入する以上は相当お金をかけて準備したという理解でいいでしょうか。
坂井さん:
MLBの細かな金額まで分からないですが、数十億円以上の予算をかけてそのシステムを組んだという話は聞いています。
小林さん:
でも日本はまねをしたけど、お金はかけてないというか、かけられない…。
坂井さん:
そうですね。現状は地上波の映像や、球団が用意している映像を判定に運用していますので、どうしてもその映像は“ファンのため”の映像であって、判定するための映像ではないのです。
「見たい映像が見られない」ということも結構あるので、そこは現場の審判としてはしんどいというか、負荷になってるところではあります。
小林さん:
日本でビデオ判定が導入されたのは、実は最初は相撲ですよね。しかも1969年とかですから、相当早い。古いようなイメージのある相撲が一番早い。
これは当時の横綱・大鵬が45連勝していたのに、戸田に負けてしまった。でも(映像で)検証すると“誤審だった”と大騒ぎになって。
それがきっかけで(ビデオ判定が)導入されたという説もありますし、相撲協会は実はもう導入を決めていたという説もありますが、その翌場所からと、早い段階で導入された。
これは相撲が映像として撮りやすい、ジャッジしやすいという事情もあると思います。
ビデオ判定で判定が覆る…審判のホンネ
――ご自身で「絶対そう思っていたのに、誤審を出してしまった」という経験はありますか。
家本さん:
僕はあります。2021年の湘南ベルマーレと川崎フロンターレの試合です。
※川崎フロンターレのレアンドロ ダミアン選手が、相手キーパーと競りながらヘディングシュート。ボールはゴールに入り、主審を務めた家本さんは、ダミアン選手がヘディングシュートした後に相手キーパーと接触したとし、「キーパーチャージ」ではなく「ゴール」と判断した※
家本さん:
湘南の選手は「キーパーチャージ」、要するにダミアン選手がキーパーに体当たりにいった、だからこれはファウルなんじゃないかと抗議。「いや、それは問題ないよ」と(私は)判断したのですが、VAR(担当審判)から「頭はボールに触れてないけど、どうしますか?」ってきて、もう「すぐ映像を見るよ」と。
映像でそのシーンを見たら、本当にものの1秒で(キーパーチャージだと)わかり、見逃された重大な事象ということで得点を取り消した。でも、そこに対して僕はネガティブに思わなかったですし、映像が投入されることにはすごくポジティブに「ありがとうございました」と。
要は正しい判定ができたというところですかね。
坂井さん:
僕自身の判定が覆ったのは、2018年のオリックス・バッファローズ対福岡ソフトバンクホークスの試合。
※延長10回表、ソフトバンク中村晃選手の、ライト線ポール際への大きな当たり。一塁塁審だった坂井さんのジャッジは「ファウル」。しかし映像判定により、ジャッジは「ホームラン」へと覆った※
これはもう自信を持った「ファウル」でした。
ただ、リクエストというシステムができた以上、監督は可能性があればやるという程度で、「一回やってよ」といった感じでやってきて、僕自身も「ああ、いいよ、いいよ」と。
審判としても「覆るわけないだろう」くらいの自信はありました。
ただ映像を見た時に、不鮮明な映像で1つのカメラしかなかったんです。それを何度も繰り返して見ても、ちょっと見にくかった。
見れば見るほど答えを出せない。誰かが何かを言うと、責任が生まれるので、誰も答えを発せない中、ある方が「これ(ポールを)巻いて(内側に入って)ないか?」といったニュアンスの言葉を一言言ったら、やっぱりそっちに流れてしまうんですよね。
あの当時はホームランとして変わってしまったプレーでしたが、“これは絶対に間違ってない”という自信があったので、「これは変えちゃいけないですよ」と言いましたが、やはり「これは仕方がないので変えさせてもらう」という話で…。
気持ちとしては、どこにぶつけていいのか分からない状態ではありました。
小林さん:
試合の直後にオリックス側の監督からの抗議があって、結局は「やっぱりファウルだったよね」といった話になったんですよね?
坂井さん:
おっしゃる通りです。試合後に「もう一度見てくれ」とオリックス球団の方から言われまして。当時の審判団で検証を再度行ったら、「これは入っていなかったな」と…。
小林さん:
不思議な話ですよね。ビデオ判定で事実が分かれば間違いないというビデオ判定なのに、ビデオを見ても間違っちゃったという話ですよ。
だからこそシステムが本大事だってことですね。
坂井さん:
そうですね。
W杯“三笘の1ミリ”も…ビデオ判定の功罪
――ビデオ判定が導入されてから、最近になって一番記憶に残っているのは?
小林さん:
2022年、カタールワールドカップ・スペイン戦の“三笘の1ミリ”。
感覚的には「ああ、もう全然出てるよ」と見えましたよね。
あれは、日本選手のプレーだったから「やった!」ってなりましたけど、もし逆だったら「あり得ない!」みたいな。
家本さん:
ゴール上からの映像を見た時の印象は、「あれ?かかってない?」というのがちょっと残っていて。
「もしかするとこれ、判定が変わる可能性があるな」という印象は持っていました。
それを立証するのはあくまでもカメラ。映像が残っているかどうなので、「これは変わる可能性あるな」というのは、別のアングルを見た時に思いました。
小林さん:
昔のスポーツは、“現場”で見るものじゃないですか。ところが今は、圧倒的多くの人たちが映像で見ているわけです。
僕らも昔は、取材といったら現場に行かないとダメとなっていたのが、今は現場に行くと事実が分かりにくい(笑)。
何が起こっていたのか、テレビの方が解説も実況もあるし、何度もリプレーしてくれる。多くの人はそうやって見ているから、これは現場だけの判断でやっても、すごく納得感が低いですよね。
そういう意味では、映像を判定に導入するというのは必然的なことだと思います。
――テクノロジーに頼りすぎる結果、審判の立場が弱くなっていく。これは本当にもったいない話だなと思うのですが。
家本さん:
立場もあるでしょうし、僕はサッカーのVARが世界的に本格導入される時に、「“見極めの能力”が高まることはないな」と直感的に思いました。
最大限の努力をして見た結果、覆されるわけです。そうすると、そこはすごくネガティブなストレス。
だったら、キワキワの意思決定をしない(ビデオ判定に)委ねちゃう。その見極めをしないということは、重要な事象じゃないシーンでも見極めの事象がボケちゃう可能性がある。
全体的なポジションや、見極め能力が高まることはなくて、世界的に見ていても下がってきているなというのは正直感じます。
坂井さん:
プロ野球でいうと、よく威厳とか言われるんですけど、全くなくて。
正しい方向にしたいというのが本音で、ただルール上「ごめんなさい」は言えないので、もう「アウトです」と言い切るしかないです。
ただ、心の中では「やってしまった」と、試合が終わった後に反省会などですごく落ち込むことはありますが、「審判は絶対だ!」と思っているような審判は誰一人、プロ野球に関わる人はいないと思います。
今後の「審判」の存在
――スポーツでは必ず審判がいて成り立ってきたという長い歴史がある中で、今後「審判」というのはどういう存在であるべきだと思いますか。
家本さん:
テクノロジーや情報社会になって、レフェリーは本当に苦しいんですよ。
現場でも苦しいし、現場以外のところでも散々SNS上でたたかれたり。僕も実際、家族に被害があったりとかもあったので。審判を審判する人たちがたくさん増えているので、なかなか難しい状況。
「レフェリーの役割って何だっけ?」となった時に、どちらかというと権威主義が確かにある、実際にサッカー界にあると思います。
「レフェリーのあり方」を、レフェリーサイドは考える一方、全体として、レフェリーの存在を許容するというのも必要なのかと。そこにいい意味で、テクノロジーが入ってくれば、より多くの人が喜べるんじゃないかなと思います。
坂井さん:
プロ野球の話だと、映像判定が始まった以上、これはパンドラの箱と一緒で、もうやってしまった以上、戻ることはない。
今後拡大していくか、ここまでで止まるかのどちらかだと思います。
その中で一番大きなところが、フェア・ファウルの判定がきた時、その映像判定を導入するという時に、若手の審判の中で、「なるべくフェアで出した方が安全じゃないか」という議論が出た。理由はファウルと言った瞬間に選手はプレーが全て止まるんですね。
となると、映像判定で覆った時に、審判員の判断の下で、ここまでいっただろうという判断になるので、結局もめるんです。とりあえず“逃げのジャッジ”って僕たちは言っていたんですけど。
「映像で何とかなるだろう」と思っていた人間が、いざ映像を見ると鮮明な映像がないから(分からない)。そうなった時、本人としては何でいい映像ないんだというジレンマを抱える。
それだったら、もう映像を無視してファウルで止めた方がいいのではないか、という気持ちもありますし。プロ野球に関しては、かなり今の検証状態でやるというのはリスクといいますか、審判に負荷が高い映像システムになっているのかなと思います。
小林さん:
僕が45年以上前、スポーツライターになった頃、テニスの全国大会、日本選手権でも、1回戦2回戦はセルフジャッジでやっていました。プレーヤー同士が自分で決める。
ビックリしましたけど、僕自身は大学の時にフライングディスクを使うアルティメットというスポーツをやっていたのですが、この競技は当時から今もレフェリーはいません。
「スピリット・オブ・ザ・ゲーム」といって、選手同士で揉めたら話し合います。
ジャッジがどうだったかということだけ話題になりますが、僕は当事者が一番分かっていると、プレーヤーとして思うのです。
審判がジャッジを下すから選手は何も言わない、みたいなことが当たり前になり過ぎている。そこも一つの選択肢じゃないかなと思います。
(週刊フジテレビ批評」9月23日放送より/聞き手:渡辺和洋アナウンサー、新美有加アナウンサー)