「おばけ、なんて最高ですよ」「なんであのとき聞いてくれなかったのって、文句を言ってほしい」

8月末の午後、厳しい残暑の都内。東京・港区の施設の会議室では男女3人が机を挟んで静かに座っている。手元にはぬいぐるみ。この会で使うトーキングスティックだ。これが回ってきたら順番に話をする。何度パスしてもいい。話さなくてもいい。ここでは好きな名前で呼ばれ、ファシリテーターと呼ばれる1人が話を回していく。3人とも出身地も仕事もバラバラだ。うち2人はこの日初めて会ったという。共通点はただひとつ。愛する人を自死により失ったということ。

私はこの日、NPO法人「暮らしのグリーフサポートみなと」の集いに来ていた。いつもはファミリーと死別した人たちの集まり、パートナーと死別した人たちの集まりと、分けて開催されているが今回は特別な形で開催してもらった。

グリーフとは英語のgrief で、日本語では悲嘆と訳される。しかし話を聞いていると、遺された人たちが「悲嘆」の一言では到底言い表せられない様々な感情と共にあるのが分かった。
(取材・執筆 フジテレビアナウンサー 兼 解説委員 島田彩夏)

グリーフサポートの集い
グリーフサポートの集い
この記事の画像(11枚)

いつもの明日はもう来ない

いつものように笑って。いつものようにおやすみを言って…

平良求美子さんもあの日、いつも通りの朝を迎えると信じていた。というより、疑問すら抱いていなかった。しかし、当時15歳になったばかりの次男・俊樹くんはいつまでもリビングルームに姿を見せなかった。不審に思った平良さんが部屋を見に行くと自室にいない。屋上から飛び降りていた。2009年11月4日のことだ。手紙も何も、なかった。

亡くなった平良俊樹くん 14歳ごろ
亡くなった平良俊樹くん 14歳ごろ

「みんなが寝ている間のことでした。あれから14年経っているのに、未だにこれっていう理由、きっかけが分かりません。前夜も普通に会話をしていたんです。2人で月を見ながら、『月に触ると願いが叶うらしいよ』なんて話していたから、もしかしたら月を触りたかったのかもしれないと…今でも自死ではなかったかもしれないと思ったり…。生きていれば、この秋29歳になります」

俊樹くんとはコミュニケーションはとれていたつもりだった。ただ、今思うと俊樹くんの「上辺だけ」を見ていたのかもしれないと言う。元々、自分で自分を隅に追いやってしまう気質のある子だったという。俊樹くんのなんとなく元気がない姿を「やる気がない」と捉えてしまったり、人間関係がうまくいかないことがあっても「でも社会に出たらそんなこと言っていられないし」と励ましたりした。

「楽しい話はできるけど、もっと本当に真剣に息子のそういうことに向き合っていたら、流れが変わったんじゃないかなって。結局、私が悪かったんだって。このことを繰り返し、繰り返し、今も考えてしまいます」

平良さんを責められる人など誰もいないのではないかと思う。日常が明日もやって来ると思う時、多少厳しくしようとも子供に少しでもよい未来を与えたいと思うのが親心だろう。それでも平良さんは自分さえちゃんと向き合えていれば守れていたと、今も自分を責め続けている。

平良求美子さん
平良求美子さん

あの日以来、平良さんは自分の命が日一日と終わりに近づいているのが生きる「支え」になっているのだと言った。

「辛かろうが何だろうが、いつか終わる。⼿を合わせているうちに⾃分も。同じ場所かどうかは分からないけど、死ぬ。私も結局死ぬから、あとはもう与えられている時間の問題というか、それを過ぎるだけだから、っていうところが苦しみの中で、スッと落ち着いたところなんです。結局⾃分も死ぬ。息子に会える。あの時のこと、文句言ってほしい。なんで向き合ってくれなかったんだ、って」

自分の寿命が尽きるまでは生きると決めている。それは俊樹くんに約束したことだけど、俊樹くんのいない世界を生きるのは辛すぎる。世界は昨日と同じように続いているのに俊樹くんだけがいない世界。今も気持ちの整理はつかず、揺らいでいる。

SOSに気づけなかった自分を責める

絶対に離れられない人、結婚するのはこの人だと決めていたという佐藤さん(仮)の恋人が自ら命を絶ったのは2018年8月のことだった。長い付き合いだった2人。お互い40代。自立し、それぞれの仕事を持ち、忙しい合間を縫ってLINEしたり、会ったりする日々だった。勤務医だった彼女はいつも患者のことを考えているような、優しく繊細な人柄だったという。その彼女の異変に「気付いて」いながら「気付かなかった」自分自身を、佐藤さんもまた許せないでいる。彼女はいくつもSOSを出していたのに、と。

「一番身近にいたのが僕だった。仕事が忙しかったのですが、“まさか”って…」

最後にLINEで連絡を取ってから4日後、佐藤さんが彼女の自宅マンションに駆け付けた時は既に亡くなっていた。家族ではないため、部屋に入ることはできなかった。ストレッチャーに乗せられ運び出される彼女。泣き崩れる自分。警察、消防。記憶は途切れ途切れだ。

「あの時ああして、こうしておけばな、とか。それをことごとくしてあげていなかった自分がいるんですよね。彼女が苦しそうな時、普通に励ましちゃったりして。今思えば、本当に的外れなことを言ってしまっていた。…言ってしまうんですよ」

後から思えば、何となく元気がなくなり、些細な事でイライラしたり、「私、疲れているのにお皿を洗ったよ」というようなことを、わざわざ佐藤さんに言うようになったりしていた。彼女はそんなこと言うような人ではないのに。仕事や人間関係の悩みも聞いてもいた。それでも何とかなるでしょ、と簡単に考えていたと言う。

「彼女、急激に痩せたんです。僕、それを見ていたのに。そこが今自分でも信じられないんですよね。なぜ『どうしたの、具合悪いの』っていう話をしてあげなかったのか…あえてしなかったのかもしれないですし」

彼女の、独り言にも似た“おねだり”も、もう叶えてあげられない。

「おばけでも会いたい」と言う佐藤さん
「おばけでも会いたい」と言う佐藤さん

「『そろそろ結婚したいなあ』とか、『ほんとに考えてくれてるのかなあ』とかいうような彼女の呟きを、スルーしていしまっていた。絶対に結婚するからいつでもいいだろう、そんな独りよがりの自信があった。なんてことをしてしまったんだという気持ちです」

結婚を申し込むが、絶対に結婚までたどり着けない夢を、佐藤さんはその後何度も見た。

「よく⼼霊体験とかなんかテレビとかでやるじゃないですか。もし本当におばけなんかいたらもう最⾼じゃないですか。彼女にごめんなさい、って言いたいんです。でも、もう言えないのが苦しいんです」

大切な人を自死で失った経験を話すということ

グリーフサポートの場では、どんな話も静かに受け入れられる。批判も肯定もしない。

「暮らしのグリーフみなと」代表・森美加さんがぬいぐるみを手渡しながら話を繋いでいく。会議室には時折静かな笑いや、そうそう、と同調の声も聞こえる。同じ経験をした人たち(「ピア」と呼ばれる)でしか話せないこと、分かり合えないことがあると森さんは言う。

その森さんも2006年10月11日、長男の啓祐くんを13歳で失っている。いじめを苦にした自死だった。

「息子の死後、しばらく講演活動などをしていたのですが啓祐のことを思い出したり話したりすると、自分の気持ちの浮き沈みが大きくなり、とても苦しかったんです。また報道などで同じようなニュースを見聞きすると、気持ちが大きく乱れてしまい、テレビを見ることさえできなくなってしまった。それで、息子のことを思い出したりすることで私自身が苦しんでいるんだと考え、子供のことを話すのは一切やめて生きていこうと思ったんです」

森美加さんは亡くなった啓祐くんの存在に「蓋をした」
森美加さんは亡くなった啓祐くんの存在に「蓋をした」

住んでいた町をひとり離れ東京に出た。森さんには長男の啓祐くん、次男・三男の3人のお子さんがいるが、啓祐さんの存在には「蓋をした」。

「新しい環境で職場の人にお子さん何人いらっしゃるんですか、とかよく聞かれたんですよね。でも亡くした子供のことを言えなかった。子供は2人です、って答えていました。自分の気持ちを誰にも言えない、誰にも言っちゃいけないって思っていました」

「蓋」をしないと森さん自身が生きていけなかったのだ。

「でも蓋をしてしまうこと、なかったことにしてしまうことが、死んだ啓祐にすごく申し訳なかった」

森啓祐くんは13歳で命を絶った
森啓祐くんは13歳で命を絶った

10年経ったある日、森さんは仕事で、ある末期がんの男性の家を訪れていた。男性は亡くした妻のことを森さんに涙ながらに語った。「一番辛いのは、同じような年代の夫婦の仲睦まじい様子を見ること」だと。「妻が生きていたら自分たちも同じように仲良く街を歩いていただろう」。その男性の話を聞き、手を握りながら、気づけば森さん自身の頬にも涙が流れていた。

「私自身も同じ思いだったんです。以前、啓祐と同じ歳の職員と職場が一緒になったことがあって、生きてればこの歳になっていたんだなとか、こんな発言をするようになっていたんだろうなとか思うことで心が乱れてしまった。だから、男性の辛い気持ちがとても良くわかりました」

男性に帰り際「話を聞いてくれてありがとう」と言われて、森さんは気付いた。思い出を語ることが遺された人にとってすごく救われることなのだ、と。

話したい、でも話せない

遺された人に慰めや励ましのことばをかけるのは難しい。とりわけ、自死で大切な人を失った人にしか分からない感情があると森さんは言う。

「子供を亡くしたとき、近所の、お子さんが病気でよく入院している親子がうちに来て、息子の遺体に向かって叫んでるわけですよ。『生きたくても生きられないが人たくさんいる!』って。立場が違うから分かってもらうのは難しいことがあるのも理解していますが、ただそのことによって、私達はすごく傷ついているというところを、分かってほしいなと思う」

佐藤さんは彼女の死後かけられた言葉に、励ましだと分かりつつも反発の気持ちを抱くことがあるという。

「『(自死することは)分からなかったよ』『おまえの責任じゃないよ』」とか⾔われると、いや分かるよ、自分が⼀番近くにいたんだし、何も分かんないくせに、そんなこと言われたくないって思っちゃうんです」

グリーフを分かち合う
グリーフを分かち合う

一方で佐藤さんには、彼女のこと、彼女の死のことをとにかく聞いてもらいたいし、話したいという気持ちがある。だが、今も職場でも彼女のことについて話すことはない。グリーフサポートの参加者たちは頷き合う。

「言えないよね」

「仲間にも言えてないです。なぜ⾔えないんでしょうね」

「なぜ言えないんだろうね」

「あらゆる場所で口をつぐんでしまう。相⼿の反応が怖いから。何かしらの重みを与えてしまう感じがして…」

当事者でしか分かり合えない感情が、そこにはあった。安心安全な場で話をすることがグリーフを抱える人たちにとって重要なことだ。森さんの主催するグリーフサポートに参加して、平良さんも佐藤さんも「救われた気持ちがした」と言う。

「あなたがしっかりしなきゃ」「時が解決する」言わないで

日本社会に昔からある、耐えることがいいことだという空気が、遺された人々を追い詰める。

「ある会で、何十年も誰にも言えずに耐え続けた自死遺族のおばあさんが来ていた。家族にも誰にも、こういう会話ができないまま30年も40年も⽣きてきた⼈がたくさんいる。これってすごく恐ろしいことだと思うんです」
 

そう佐藤さんが言うと、2人の顔も曇った。平良さんが続けた。

「『あなたは誰々の分まで頑張りなさい』とか、『いつまでもめそめそしてたりしたら亡くなった人が悲しむ』とか、元気づけの言葉として使うことがありますよね。⽇本は、悲しみを悲しんでいてはいけないっていうところもあるんじゃないかな」

楽しそうに笑う平良俊樹くん 3歳ごろ
楽しそうに笑う平良俊樹くん 3歳ごろ

生き方を見失っていた平良さんは亡くなった次男・俊樹くんとともに生きる決意をした。

「俊樹はもういないけれど存在が大き過ぎて、俊樹がいないのに生きるのが難しかった。だったらもう捕まえる、じゃないですけど、その存在を私の中でメインにすることで生きていく力にするしかないと思いました。息子を⾃分の⼈⽣に食い込ませるには、同じような人を出さないように手助けすることなんじゃないか、って。私⾃⾝、まだちょっと逃げてるようなところがありますが」

自殺は社会の努力で「避けることのできる死」

日本が「自殺大国」と言われて久しい。2022年度の自殺者数は21881人(厚労省)。
ということは、愛する人を自死で失いグリーフを抱える人たちはその何倍、何十倍もいるということだ。世界保健機関の資料によれば、日本の人口10万人当たりの自殺者数はG7(主要7カ国)の中で最も高い。毎年こんなにも多くの自死があり、悲しみを抱える人が生まれ続ける社会は、何とかしなくてはならないと思う。

厚労大臣指定・一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター」のHPにはこう書かれている。

『自殺は、その多くが「追い込まれた末の死」です。自殺は、人が自ら命を絶つ瞬間的な行為としてだけでなく、人が命を絶たざるを得ない状況に追い込まれるプロセスとして捉える必要があります。(略)WHO(世界保健機関)が「自殺は、その多くが防ぐことのできる社会的な問題である」と明言しているように、自殺は社会の努力で「避けることのできる死」であるというのが、世界の共通認識となっています』。

佐藤さんは、日本には心が弱っている人たちに対する偏見、差別があると指摘する。

「そういう状態にある人たちをよく『弱い人』とか、『メンタルの…』などと決めつけますよね。僕は、骨折とか盲腸とかと一緒だと思うんです。時として心の不調があるのって誰だって当たり前だから。烙印なんですよ。弱い人にされる恐怖を我々が持っているということは、そう簡単に言い出せない社会ということですよね。僕も怖いです、『あの人、なんか病んじゃったみたいだよ』とか」

私も、怖い。佐藤さんの発言を聞き、自分の心の奥の偏見や差別に気づかされた。SOSを出すのに勇気を振り絞らなくてはならない社会は、やはり生きづらい。佐藤さんが続ける。

「治療して戻ったら、おかえり、って自然に言えるようになったらいい。今、SOSが出せなくて必死に堪えている人、いっぱいいると思うんですよ。彼女も僕にだけはサインを出してくれていたけど、他の人には出していなかった。とても強い人で、死ぬなんて考えられなかった。⾃分で死ななきゃいけない環境って、どんだけ苦しかったんだって」

近くにいる人がどうやってそれに対処して、理解するのか。SOSを出せる社会であれば自死する人も減るのではないか。そして、愛する人を自死で失う人が少しでも減ってほしい。経験しているからこそ、もうそんな家族が出てほしくないと3人は口をそろえた。

佐藤さん:
「今日も一日ありがとうね、いてくれて、呼吸してくれてって伝える。『キモイよ、当たり前じゃーん』て言われるかもしれませんが。でも反応で分かるじゃないですか。言いたいことがあるんだったら『実は…』って言ってくれるかもしれない。きっかけを作ることが大事なんじゃないかって今思います」

平良さん:
「日常の中で、目の前にいる人が大事なんだなって思います。そして大事だということを伝える。何か辛そうだったら、一緒だよっていう感覚を伝える…自分も周りの人も、やっぱり命って何歳でも、いつなくなるか分からないから」

「生きていてくれてありがとう」「あなたが大事」そう伝えることが大切だと話す2人
「生きていてくれてありがとう」「あなたが大事」そう伝えることが大切だと話す2人

グリーフサポートの活動を続ける森さんは、亡くなった啓祐くんの小学校の卒業文集を思い出す。森さん自身がグリーフサポートの活動をすることによって、啓祐くんが最後に残した言葉と重なっていく気がすると言う。

「『僕は、優しくされたことを下の人にしていけば社会は変わるんじゃないかと思う。上の子は下の子にやさしくする、その優しさをまた下の子にしてくれたら僕はいいなと思っている。僕が何かがあったときにそのことを思い出そう』というようなことが書かれていました」

森啓祐くんの卒業文集
森啓祐くんの卒業文集

「私自身がグリーフを繋ぎ合わせていくことで、息子が叶えたかった夢を一緒にやっている感じでいます。私自身がいつか息子に出会ったとき、話すことができればいいな、なんて思っています」

NPO法人 暮らしのグリーフサポートみなと https://www.griefminato.org/

島田彩夏
島田彩夏

人の親になり、伝えるニュースへの向き合いも親としての視点が入るようになりました。どんなに大きなニュースのなかにもひとりひとりの人間がいて、その「人」をつくるのは家族であり環境なのだと。そのような思いから、児童虐待の問題やこどもの自殺、いじめ問題などに丁寧に向き合っていきたいと思っています。
「FNNライブニュース デイズ」メインキャスター。アナウンサー兼解説委員。愛知県豊橋市出身。上智大学卒業。入社以来、報道番組、情報番組を主に担当。ナレーションも好きです。年子男児育児に奮闘中です。趣味はお酒、ラーメン、グラスを傾けながらの読書です。