モスクワ中心部の世界遺産「赤の広場」。観光客であふれ、短い夏を楽しんでいる。戦争している国とは思えぬ”いつも通り”の光景だ(2023年8月)
モスクワ中心部の世界遺産「赤の広場」。観光客であふれ、短い夏を楽しんでいる。戦争している国とは思えぬ”いつも通り”の光景だ(2023年8月)
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日本に暮らす皆さんの想像とは違うかもしれない。ロシアの首都モスクワの市民の生活ぶり。
ロシアがウクライナへ侵攻し、1年5か月がたつ。戦闘は泥沼化。経済制裁で一部の輸入品が姿を消し、世界的なチェーン店も撤退した。日本は「非友好国」に指定され、両国間の関係も悪化。在留邦人は侵攻前の半分以下の900人にまで減った。

反乱軍がモスクワのそばまで進軍したというのに市民の大半は無関心。政府がテロと主張するドローン墜落現場でも自撮りを楽しみ、人々は夏を謳歌(おうか)するのに必死だ。モスクワ支局・関根弘貴特派員が市民の生活を描くとともに、細る日本人コミュニティーの現状をつづる。

自宅そばで爆発音~窓から”黒煙”確認「高層ビルにドローン突っ込む」

「モスクワ・シティ」への初攻撃があった瞬間。ロシア国営メディア、反体制メディア双方が拡散した(ロシアメディアのSNS、2023年7月)
「モスクワ・シティ」への初攻撃があった瞬間。ロシア国営メディア、反体制メディア双方が拡散した(ロシアメディアのSNS、2023年7月)

現地時間の8月1日午前3時20分ごろ。モスクワ支局のオフィスから徒歩10分の自宅へ向かう途中、大きな爆発音が聞こえた。間近で打ち上げ花火がさく裂したような大きな音だった。

オフィスや自宅から約1.5キロのところにある高層オフィスビル街「モスクワ・シティ」では、2日前にもドローン攻撃があったばかり。路上にあったレンタル電動キックスケーターで現場へ走った。

自宅の近くにあるモスクワのオフィスビル街「モスクワ・シティ」。ドローン攻撃で摩天楼に煙が浮かんだ(2023年8月)
自宅の近くにあるモスクワのオフィスビル街「モスクワ・シティ」。ドローン攻撃で摩天楼に煙が浮かんだ(2023年8月)

ほぼ同時にスマホが鳴った。妻からの電話だった。

「今の音、聞こえた? 今、どこ? 大丈夫? 私はびっくりしすぎて、固まっちゃった」

まくし立てる妻を落ち着かせ、自宅から見えるモスクワ・シティの様子の動画をスマホで撮るように頼んだ。30分後、モスクワ市長が「前回と同じくビルにドローンが突っ込んだ」とSNSで発表した。

モスクワ・シティは高さ300メートル超のビルが並ぶ地域で、この日はドローンが21階の窓に突っ込み、破片が地面に散乱した。妻が送ってくれた自宅の窓から撮った動画には、摩天楼の上部にうっすらと黒煙が漂っていた。

モスクワへのドローン攻撃は5月以降、今回で5回目。モスクワ・シティには日本の商社が入るビルもあり、日本人が巻き込まれた可能性があった。「負傷者なし」。ロシアメディアの速報を確認し、キックスケーターをUターンさせた。

ドローンが突っ込んだモスクワ・シティのビル(2023年8月)
ドローンが突っ込んだモスクワ・シティのビル(2023年8月)

「被害を受けたビルには政府機関が入居していたが、ウクライナ政府の攻撃は今回も失敗した」。一夜明けても国営のテレビや通信社は同じニュースをループする。午前9時、現場に入ると、やじ馬の市民がたくさんいた。

高さ173メートル、42階の建てのビルを見上げる。ドローンが突っ込んだのは中層の21階。ミラーガラスの壁面にハーモニカの吹き口が浮かんだようだ。市民らはこの”吹き口”を自撮りの画角に入れようと必死だった。

「プリゴジンの乱」でモスクワ戦火に? 航空便は軒並み売り切れ…1000キロ超の陸路検討

ワグネルの創設者、プリゴジン氏。SNSに動画を再三アップし、ロシア国防相や軍制服組トップの参謀総長を名指しで批判した(ワグネルのSNS、2023年5月)
ワグネルの創設者、プリゴジン氏。SNSに動画を再三アップし、ロシア国防相や軍制服組トップの参謀総長を名指しで批判した(ワグネルのSNS、2023年5月)

モスクワは6月23日夜、脅威にさらされた。ウクライナで戦闘に参加していた民間軍事会社「ワグネル」が反乱を起こし、ロシアに向けて進軍したためだ。               

「ロシア軍上層部がもたらす悪を止め、正義を回復すると決めた。抵抗する者は破壊する。これは軍事クーデターではなく、正義の行進だ」

ワグネルのトップ、プリゴジン氏がSNSで音声のみの声明を発表した。パソコンのスピーカーから飛び出てきそうな大声で、がなりたてる。

「これは本気度が違います。声に本当の怒りを感じます。今まではロシア国防省への脅しパフォーマンスだったかもしれないが、今回は本当に進軍するかもしれない」

20年以上支局でコーディネーターとして働くロシア人スタッフの声がこわばっていた。

モスクワ南部の道路に連なって待機するトラック。ワグネルの進軍に備えた(2023年6月)
モスクワ南部の道路に連なって待機するトラック。ワグネルの進軍に備えた(2023年6月)

モスクワでの戦闘も想定される。「家族の退避を考えなければならないね。日本でなくてもいい。とにかくロシアを脱出する方法を見つけて」。日本の上司からも指示があり、妻や中学3年生と小学6年生の二人の子どもの帰国便を探した。

ウクライナ侵攻で、日本への直行便はなくなった。カタール、UAE、トルコ、中国を中心に、空の便を調べるが、チケットは売り切れていた。

家族はモスクワに残りたいと言っている。「街はいつも通りで騒ぎになっていない。今すぐ逃げる必要性を感じない。ママ友もみんな退避しないよ」。スーパーで買い物にしていた妻の危機感はゼロ。

「まずいな。いずれにしてもロシアが国境を封鎖し、行き場を失う前になんとかしなければ」。フィンランドやバルト三国など1000キロ以上もある陸路も検討した。

そのころ、モスクワ南部の道路には大きなトラックが数えきれないほど列をなした。「ワグネルの北上を食い止めるために配備されたものだった」。取材から戻ったカメラマンが、頬を紅潮させていた。

直接、日系企業の駐在員に片っ端から確認したところ、様子見。あっという間に時間は過ぎ、気づけば24日夜、反乱は収束した。恐れていたロシア軍との戦闘も一部にとどまった。正直、ほっとした。

情報統制の成果? それとも地域性? 夏を楽しみ”戦争に無関心”なモスクワ市民

レストランのテラス席でディナーを楽しむモスクワ市民。軍事侵攻の最中、戦争とはかけ離れた”日常”を楽しんでいる(2023年6月)
レストランのテラス席でディナーを楽しむモスクワ市民。軍事侵攻の最中、戦争とはかけ離れた”日常”を楽しんでいる(2023年6月)

情報統制の成果なのか、それともモスクワの地域性なのか。大半の市民はウクライナへの侵攻に無関心だ。ロシアの内政と社会情勢に詳しい日本の研究者は匿名を条件にこう説明する。

「ロシアでは、政権批判は拘束につながる。正義感を出したところで世の中は変わらないし、目先の利益=自分の生活を優先する人が多いため、夏を謳歌するしかない」

モスクワは冬の日照時間が一日1時間もない日があるが、夏のピークは午後10時を過ぎても日が沈まない。目抜き通りの飲食店は、いたるところにテラスを設ける。街全体が浮かれているように見える。

「冬は真っ暗なのよ。私たちは、私たちの暮らしを楽しんでいる。戦争なんて関係ないわよ。今、楽しまないで、いつ楽しむのよ」

会社員の30代の女性は、ウクライナに近いロシア南部でつくられた赤ワインをグラスに注ぎ、飲み干した。

ロシア ”非友好国”に指定 日本企業が相次ぎ撤退「在留邦人は半分以下」

モスクワのショッピングモールにあった「ユニクロ」。市民に人気だったが営業を停止した(2022年3月)
モスクワのショッピングモールにあった「ユニクロ」。市民に人気だったが営業を停止した(2022年3月)

「ウラジーミル」「シンゾー」。安倍元首相とプーチン大統領がファーストネームで呼び合ったのは、今は昔。西側に歩調を合わせる日本をロシアは「非友好国」に指定した。

冷えた両国関係や経済制裁に加え、国際送金が困難になったせいもある。日本で作ったクレジットカードが使えず、手元の現金が頼みの綱になっている人もいる。衣料品店「ユニクロ」をはじめ、日本企業の撤退も相次いでいる。

「軍事侵攻前の2021年はロシアに2200人の日本人がいましたが、2022年は1320人。今では900人で、2年前の半分以下です」(日本政府関係者)

モスクワの人口は東京とほぼ同じ1300万人。元々、日本人は珍しいが、今ではレアキャラ扱い。タクシーに乗ると「一緒に写真を撮ろう」とせがまれたこともある。

モスクワ日本人学校は1/4まで減少 教室に先生がいない「このままだと運営困難に」

かるた作りの授業でカメラの前に立って作品を見せる小学生(2023年1月)
かるた作りの授業でカメラの前に立って作品を見せる小学生(2023年1月)

日本人コミュニティーの象徴とも言えるモスクワ日本人学校も小さくなる一方だ。児童・生徒数は侵攻前の112人から8割減少し、いまや27人。校長と教頭を除き、日本から派遣されていた13人の教員はロシアの侵攻直後から全員退避していて、教室に先生がいない。

1月、小学1年生の国語の授業を取材した。日本なら35人は入る広さの教室に、小さい児童2人しかいないのは異様だった。 担任の女性教員が日本からオンラインで、児童2人にかるたづくりを指導する。

「そろそろスピードアップしないと、かるた大会に間に合いませんよ」(教員)
「先生、(2人だけで)読むのと取るのを全部つくるのは大変だよ」(児童)

授業は和やかに進み、子どもたちは出来上がったかるたをカメラに向けていた。一人は、入学以来、一度も直接会ったことがない担任に素朴な疑問をぶつけたことがある。「先生はいつモスクワに戻ってくるの?」。教員は答えに窮し、「分かりません」と言葉を詰まらせたという。

日本外務省 モスクワは「渡航中止勧告」危ぶまれる”日本人学校の存続”

存続危機を迎える可能性も指摘されているモスクワ日本人学校(2023年8月)
存続危機を迎える可能性も指摘されているモスクワ日本人学校(2023年8月)

ウクライナ侵攻に伴い、日本の外務省は渡航の安全度を示す「危険情報」で、ロシアを「レベル3(渡航中止勧告)」に引き上げた。50の国や地域に90校展開している文科省認定の日本人学校の中で、レベル3の都市はモスクワだけだ。

「渡航をやめるよう勧めている場所に教員は派遣できません」(文科省)

学費で運営しているため、子どもたちが減ったことで、2023年度予算は2000万円の赤字。「このままだと学校運営は立ち行かなくなります」(学校運営関係者)。閉校の恐れすら生じている。

戦争をしている国とは思えぬ「いつも通り」の光景が広がる首都・モスクワ。その状況とは裏腹に、侵攻前の半分以下にまで減った日本人のコミュニティーは底が見えないまま、沈み続けている。

北海道文化放送
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