アジア・太平洋戦争の終戦から78年。終戦の直後、8歳の子供が家族を失って孤児になり、路上生活を強いられた。どうやって生き延びたのか…その過酷な体験を次世代に伝えたいと京都府の86歳男性が描いた絵本がある。
8歳で戦災孤児に…これまでの過酷な経験を絵本に
京都府亀岡市の黒田雅夫(くろだ・まさお)さん(86)。この日、初めて自分の絵本を手にした。
黒田雅夫さん:
うれしいです、昔のことを思い出してできたことが本当にうれしいです
自分が死んだ後も戦争の記憶を残したいと、たくさんの絵を描いてきた。

戦争のさなか、黒田さんの家族は、今の中国にあった「満州」に移り住んだ。満州を支配していた日本の政府は、開拓団を募集し、約27万人が移住した。
満州に行ってから、お父さんに3回目の召集令状が届いた。
雅夫さん:
お父さんはどこへ行くの?
雅夫さんの母:
兵隊に行くのよ

雅夫さん:
すぐに帰ってくるの?
雅夫さんの質問に母は答えなかった。8歳の雅夫さんと5歳の弟、お母さん、おじいさんが残された。

1945年、戦争が終わる直前に、敵の国が満州に攻めてきた。
雅夫さんの母:
雅夫、逃げるよ!静かに歩くのよ!
人々は、300km以上を歩いて逃げた。食べ物はほとんどなく、たくさんの人が亡くなった。

1カ月後、たどり着いたのは難民の収容所。ここでも食べ物は少ししか配られず、遺体が山のようになっていた。黒田さんのおじいさんもここで亡くなった。
黒田雅夫さん:
これは栄養失調で亡くなった人なんです。当時は死ぬのが当たり前になっていた、生きるよりも
お母さんも寝たきりになり、幼い弟は中国人に預けられた。

ある日、お母さんが起き上がって、ご飯を作ってくれた。
雅夫さんの母:
もっと、もっと食べなさい
次の日の朝、お母さんは冷たくなっていた。32歳だった。やせ細った遺体を運びながら、黒田さんは「生きてやる」と強く思った。
黒田雅夫さん:
今晩か、あすぐらいまでしか命が持たないと分かっていたのでは…。そうじゃなかったら夜中にもう一回起こして「食べ」と言わない

ひとりぼっちになった雅夫さんは、収容所から逃げた。親のいない子供は売られてしまうといわれていたからだ。路上で生活し、毎日寝る場所を変えた。ごみの中から食べ物を探したり、中国人がくれたものを食べたりした。

2カ月ほどたち、キリスト教の教会の人に保護された。そして、一人だけ日本に帰った。
黒田雅夫さん:
母親や死んでいった人がどれだけ日本に帰りたかったか、それをみんなにもう一回伝えたい。命の大切さを子供たちに伝え、戦争を知らない方にも絵本で残せることが、本当にうれしい思いでいっぱい

家族を大切に、今を大切に、生きてほしいと願いを込めた絵本。黒田さんの絵本「今を生きる」は、2023年秋から販売する予定だ。
(関西テレビ「newsランナー」2023年8月15日放送)