小樽市民が守った「街の誇り」が100歳を迎える。

小樽市を訪れる観光客がいの一番に目指す場所、小樽運河。

観光名所「小樽運河」が“100歳”に

埋め立ての危機を乗り越え100年の節目を迎えた運河周辺は今、記念イベントで盛り上がっている。

人口約10万7千人、コロナ禍以前は年間700万人もの観光客が訪れていた道内随一の観光都市・小樽市。

この街のシンボルは小樽運河だ。

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全長1140メートル、散策路が整備され多くの観光客が行き交う光景は、この街の「日常」。

「船に乗りに行く」(奈良県から来た人)

「小学4年生の時に友達が1人落ちて溺れた。運河じゃないかと」(小樽市民)

この小樽運河が完成したのは1923年12月27日。

2023年でちょうど100年を迎える。

小樽運河100年プロジェクト 始動

9月16日から本格的に始まった小樽運河100年プロジェクト。

12月27日までの間、運河周辺で様々なイベントを実施し100周年を盛り上げていく。

明治時代から北海道と本州を結ぶ海運・物流の拠点として発展した小樽市。

運河は積み荷の運搬を効率よく行うために整備され、1923年に完成した。

埋め立ての危機も

運河沿いには石造りの倉庫が立ち並び、昭和初期に最盛期を迎える。

しかし、その繁栄も永久には続かない。

戦後になると小樽港の埠頭が整備され、物流拠点としての役割は低下。

運河には朽ち果てた船が放置された。

そして1966年、車社会の到来もあり、運河を埋め立て、幹線道路を建設する計画が決まった。

「ヘドロがいっぱいで汚れていたが、故郷の母親を思い起こさせるような思いやりに溢れた空間のように僕らは感じていた」(中一夫さん)

市民が守った“誇り”

小樽市内で新聞販売店を営む中一夫さん(67)。

その計画に真っ向から反対した「小樽運河を守る会」の1人として活動した。

10年以上続いた論争で運河の全面保存を訴えたが、最終的に半分を埋め立て半分を残すという折衷案で1986年に現在の姿になった。

「きれいな運河はできたが、目指していたものではないし、埋め立てられた運河が不憫でならなくてなかなか運河に足を運ぶことができなかった」(中さん)

生まれ変わった運河を好きになれなかった中さんだが、その意識に変化が芽生えた。

「小樽の街に観光爆発が起きて多くの観光客が喜んでいる。それまでのわだかまりが少しずつ和らいでいった」(中さん)

今や運河は小樽に人を引き寄せる一番の観光資源だ。

新型コロナ乗り越え「盛り上げたい」

小樽運河から徒歩3分。

レンタサイクルと軽食の店で働く西将旦さん(24)。

運河にほど近い地域で生まれ育った西さんにとって、観光客でにぎわう運河は日常の光景だったが、

「コロナ禍でシャッターが下りて誰もいなくなった運河は、すごく寂しくて本当にショックだった」(コタル 西将旦さん)

生まれて初めて見た、人が消えた運河。

小樽を何とか盛り上げたい。

そんな危機感から街のイベントに率先して参加するようになった。

西さんは小樽運河100年プロジェクトにも運営スタッフとして参加している。

「これからの運河を動かしていくのは小樽の若者だと思うし、当時保存に携わっていた人たちも小樽の若者だったと思うので、信念の強さみたいなものは受け継いで一生懸命つないでいきたい」(西さん)

小樽っ子の思いが紡いできた小樽運河は2023年で100歳。

いつの時代も運河と共に歩んでいく。

北海道文化放送
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