19日、各国の首脳が被爆地を訪問する様子を、真剣な表情で見ている人がいた。

近藤紘子さん(78):
私としてはうれしく思う。平和公園に立つということは、きっと一人一人の心の中に、何か残っているはず

願い続けてきた「核なき世界」

兵庫県三木市に住む近藤紘子さん(78)。近藤さんは生後8カ月の時、爆心地から1.1キロにある広島市の自宅で被爆した。生き残った使命感から、日本のみならず世界に向けて、核の残酷さを語り続けている。

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近藤紘子さん:
August 6th 1945, I wore this. This is the only dress I have. Because everything‘s burned(1945年8月6日。私はこの服を着ていました。今、私が持っている当時の服はこれだけ。なぜなら全部燃えてしまったから)

18日、留学者に向けた講演会で、近藤さんは10歳の時に訪れた転機について語った。被爆者の救済活動をしていた牧師の父とともに、アメリカのテレビ番組に出演した際、原爆を投下したB-29爆撃機の副操縦士と対面。憎み続けていた相手が原爆投下についてこんな反応をしたと言う。

近藤紘子さん:
“After he said…(「なんてことを私たちはしてしまったんだろう」彼はそう言いました。その後、涙が流れ続けているのが見えたんです。私は、彼が怪物だと思っていました。でも違う。彼は、私と同じ人間だったんです。私は心の中で、「神よ。許してください」とつぶやきました)

戦後78年。近藤さんが願い続けてきた「核なき世界」は、いまだ実現していない。それでも、核保有国の首脳たちが被爆地に立ったということに、大きな意義があると近藤さんは語る。

近藤紘子さん:
その場に立ったということは、何か心に、それぞれがこれからどうしなきゃいけないかと考えるチャンスが、できたんじゃないかと思います。私たちの住んでいる世界を守るためには、やはり核はいらない

(関西テレビ「newsランナー」2023年5月19日放送)

関西テレビ
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