日本パラリンピックの父・中村裕医師。

整形外科医だった中村医師は、1960年に世界初の障がい者競技大会を開催したイギリスのグットマン博士のもとでスポーツと医学のつながりについて学んだ。

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イギリスのストーク・マンデビル病院では、スポーツをリハビリに取り入れ、ほとんどの障がい者が約6カ月で退院している姿を見て、中村医師は衝撃を受けたという。

なぜなら、当時の日本では「障がい者の治療は安静が第一」という考えが大半だったから。

帰国後、中村医師は「障がい者こそスポーツをするべき」と訴え、地元・大分県で障害者体育大会を開催したり、ストーク・マンデビル大会に選手を派遣したり、スポーツへの理解を広めていった。

パラリンピックの実現に尽力

こうして1964年に開会された東京パラリンピック。

中村医師が4年間かけて形にした大会には、21の国と地域が参加。陸上や卓球、水泳といった9競技144種目が行われた。

その後も障がい者スポーツの発展に力を注いだ中村医師。

近くで見ていた息子の太郎さんは「パラリンピックの実現に尽力したり、医者の枠外のことを随分と父はやっていたと思います。東京で2回目(のパラリンピック)ということで、大きな大会になって良かったなと思います」と語った。

父親と同じ整形外科医になった太郎さんは、シドニー大会とアテネ大会でチームドクターを務めた。

中村医師の思いは息子の太郎さんや日本各地に受け継がれている。

(「パラ★DO!」毎週土曜、15時25分~※関東ローカル)
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