熊本地震から7年。いよいよこの夏、南阿蘇鉄道が全線で運転を再開する。道路や線路が寸断されても立野駅前で変わらずのれんを守り続けた老舗「ニコニコ」の今を取材した。

立野駅の今と昔を見守る「ニコニコ」

一口で頬張れる小ぶりなサイズ感と素朴な甘さが特徴の「ニコニコ饅頭」。南阿蘇村・立野の名物だ。

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毎朝6時ごろからまんじゅうづくりに精を出すのは、4代目の高瀬大輔さんと母・清子さん。蒸し上げる時間は長年の勘。タイマーを使わなくても体が覚えている。

2人が作るまんじゅうは昔から変わらないが、店の前の景色は随分と変わった。

――かっこいい建物ができましたね

ニコニコ饅頭・髙瀬清子さん:
7年かかった。夜は真っ暗だったけど今は電気がついている

ニコニコ饅頭 4代目・髙瀬大輔さん:
人がいっぱい来てくれるとうれしい

「ニコニコ饅頭」は1907年、明治40年に大津町で創業。その10年後、南阿蘇村立野に店を移し、以来約100年、立野駅を見つめてきた。

よみがえる「阿蘇の玄関口」

3月31日、立野駅の「新しい顔」がお披露目された。

南阿蘇村が建設した「立野交流施設」。待合室など駅舎としての機能を備えつつ、テラスや駅前広場でのイベントの開催など地域の交流の場としての活用が期待される。

吉良清一南阿蘇村長:
熊本地震で立野地区は大きな被害を受けて(住民が)まだ7割くらいしか戻っていない。「阿蘇の玄関口」として、にぎやかな場所になるようにしっかり取り組んでいきたい

JR豊肥線と第三セクターの南阿蘇鉄道、2つの鉄道会社が入る立野駅。2016年の熊本地震で被災し、一時は「列車の来ない駅」になった。

「地震に負けたくない」

熊本地震の際、「ニコニコ饅頭」は建物の倒壊こそ免れたものの、機械が壊れたり、ガスや水道などのライフラインが寸断されたりと廃業の危機に立たされた。

しかし、髙瀬さんは日常を取り戻すために地震後わずか1カ月でまんじゅうづくりを再開する。

ニコニコ饅頭 4代目・髙瀬大輔さん:
「地震に負けたくない」というのもあった。高齢の父母を抱えているので、日に日に弱っていくというか、毎日していた作業が急になくなったのでちょっとぼんやりしているというか、そういう姿を見ると、自分が「どがんか動かなん(熊本弁で『何か動かないといけない』)」と(思い)、どこかで販売できないかと動き出した

熊本市や益城町のスーパーがまんじゅうの販売を引き受けてくれて、毎朝配達に通う日々が続いた。

近づく“復興”

この7年間、交通インフラの復旧と共に、一歩ずつ「日常」を取り戻してきた阿蘇地域。残るは南阿蘇鉄道。いよいよ7月15日に全線で運転を再開する。

4月10日には真新しい立野駅に初めて試運転列車が入るなど、完全復活に向けて準備が着々と進められている。

ニコニコ饅頭 4代目・髙瀬大輔さん:
やっとまたスタートが切れる。こういった素晴らしい駅舎を造っていただいたので、これを生かすも殺すも地域の住民、私たちの腕次第だと思うので、ここからどんどん盛り上げて阿蘇に活気が戻ってくるようにしたい。いろんな人に感謝しつつ、どうにかここでまんじゅう屋が生き残っていたということをみなさんに伝えられたら

道路や線路が寸断され窮地に立たされてもこの地で踏ん張りのれんを守り続けた、創業116年の「ニコニコ饅頭」。
待望の南阿蘇鉄道の全線開通まで、100日を切った。

(テレビ熊本)

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