“中華の鉄人”として親しまれ、日本における中華料理の第一人者であり続けた陳建一さんが、3月11日、間質性肺炎のため亡くなった。

67歳という早すぎる別れに、『料理の鉄人』で共演した、道場六三郎さんと坂井宏行さんからは惜しむ声が寄せられた。

ゴルフが一番の思い出

陳さんと25歳の年齢差がある道場六三郎さんは、「親子ほどの年の差はあったけど、人柄が良く仲良くさせてもらった」と陳さんとの思い出を振り返った。

“和の鉄人”道場六三郎さん(『料理の鉄人』より)
“和の鉄人”道場六三郎さん(『料理の鉄人』より)
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ーー陳さんが亡くなったことへの思いは?
びっくりしました。入院しているのは聞いていたけど、あまりにも早いんでね。

陳さんの息子の建太郎くんから電話があったんですけど、ただ呆然として、安らかにという思いです。

ーー陳さんとの思い出は?
僕は今92歳で、彼との年齢差はちょうど25あるんですよ。

親子みたいな年の差があったけど、人柄が良いからみんなにかわいがってもらっていたし、僕も仲良くできました。

ゴルフが大好きで、年間250回行っていましたよ。入院する直前まで行ってましたからね。

僕も彼とのゴルフが一番の思い出で、料理よりもゴルフの方が多いね。

“中華の鉄人”陳建一さん(『料理の鉄人』より)
“中華の鉄人”陳建一さん(『料理の鉄人』より)


陳さんが広く知られるきっかけとなったのは、1993年にフジテレビ系で放送が始まった『料理の鉄人』への出演。

陳さんは“中華の鉄人”として君臨し、和の道場六三郎さんと、フレンチの坂井宏行さんらと共に有名シェフの挑戦を受け続けた。

座右の銘は“料理は愛情”

ーー『料理の鉄人』で、共演された時の思い出は?
もうだいぶ前のことで記憶は薄いんですけど、「頑張ろうな」っていう感じで握手してやっていました。
料理の話はあまりしなかったけど、お互いに認め合っていましたよ。

陳さんの料理はとにかくマーボー豆腐が基本にあるから何を作っても美味しかった。僕はいつも「マーボー豆腐があるから陳さん良いよなー」と言っていましたよ。

陳さんの“マーボー豆腐”
陳さんの“マーボー豆腐”

ーー陳さんのお料理はどうだった?
全部美味しいですよ。それを息子の建太郎くんに引き継いだ。

陳さんの一番偉いところは、早くして建太郎くんに社長を譲ったこと。
あれは素晴らしいことだと思うし、もう何も思い残すことなんじゃないかな。

建太郎くんを四川に行かせて勉強させて、息子のことを本当に認めていましたからね。

息子の建太郎さん
息子の建太郎さん


マーボー豆腐やエビチリといった『四川料理』の普及に料理人人生を捧げた陳さん。

息子の建太郎さんは、「父親の座右の銘“料理は愛情”という思いを、今度は自分が受け継いでいきたい」と話す。

食べて、喋って、旅行もした

一方で、プライベートでも仲が良かったと話す、“フレンチの鉄人”坂井宏行さんは、番組での真剣な表情とは異なり、普段はひょうきんな人柄だったと振り返る。

“フレンチの鉄人”坂井宏行さん(『料理の鉄人』より)
“フレンチの鉄人”坂井宏行さん(『料理の鉄人』より)

ーー陳さんとの思い出は?
付き合いが長かっただけに、亡くなったと聞いてもう言葉が出ないという感じです。

番組をはじめプライベートでも仲が良かったんですけど、陳さんは普段はひょうきんな人で、番組が始まるとシャキッとして、とにかくよく食べて、よく喋って、そして2人でいつも言っていたのは、「楽しく元気で飯食えるようにしていこうぜ」ということでした。

ーーお互いをどう呼び合っていた?
陳さんは僕のことを「ムッチン」と呼んでいました。
フランス語で「ムッシュ」というのを中国風に「ムッチン」と言っていました。

僕は彼を「陳さん」と呼んでて、時々ふざけて「チンパンジー」とかも呼んでました。

良き仲間であり、良きライバル

ーー番組収録の思い出は?
一番の思い出は、最後の収録の時、「今日は最後だからとにかく思い切ってやろうぜ」という、勝ち負けはどうでもいい、とにかく思い切ってやることを話しました。

普段は本当に楽しい人で、どんな人に対してもサービス精神が旺盛で、同じ料理人としてジャンルは違うけど、良き仲間であり、良きライバルであり、お互いを認め合い、切磋琢磨していました。

ーー陳さんはどんな存在だった?​
陳さんとの仲は古くて、陳さんのお父さん・陳建民さんの中国・四川省の墓まで一緒に行ったこともあります。
年齢はちょうど僕の1回り下なんだけど、公私ともにすごく仲良くさせてもらいました。

フランス料理には山椒の味がないので、口の中がもう何を食べても味がわからないくらい痺れたけど、陳さんのお父さんが四川料理を日本に持ち込んで、最初は苦労されたけど「本当の四川料理を食べてほしい」という思いから今の城を築かれて、それを陳さんが受け継いで中国料理に対するこだわりも変わらなかった。

父・陳建民さんと陳さん
父・陳建民さんと陳さん

イベントも一緒にやったけど、怒鳴るような姿はあまり見かけず、正しく教える、正しく知ってほしいという気持ちがあって、麻婆豆腐作りも、「豆腐はこれくらいの大きさに切って、何度のお湯で何分ゆでる」と細かく指導していました。

ーー何と言ってお見送りしたい?
安らかにお休みください、という言葉しかないですね。本当に残念です。感謝とありがとうという言葉しかないです。