”スパイ気球”撃墜に触れたバイデン演説

日本時間の2月8日昼前に始まったアメリカ合衆国大統領の議会演説、ステート・オブ・ザ・ユニオン・スピーチは、例年、内政問題に多くの時間が費やされる。今年もご多分に漏れず、バイデン大統領は、外交関係ではウクライナ戦争とロシア、そして、中国問題に簡潔に触れただけだった。

アメリカ・バイデン大統領
アメリカ・バイデン大統領
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先日の“スパイ気球”撃墜騒動に関連した部分も“アメリカの国益と世界の利益を前進させる事ならば私は中国と協調する決意をしている。しかし、勘違いしないで欲しい。過日、明確に示したように、もしも中国が我が国の主権を侵害するなら、我々は我が国を守る行動を取る。実際、そうした”(旨)と言ったのみだった。

アメリカ上空を飛行する中国の“スパイ気球”
アメリカ上空を飛行する中国の“スパイ気球”

日本の施政方針演説に当たるが、何故か一般教書演説と訳されるステート・オブ・ザ・ユニオン・スピーチは、党派対立に蝕まれているワシントンの政界事情を反映して、ここ何年か一方的な発言も散見されたという印象だが、バイデン氏は、その党派対立を何とか克服しようと一層腐心の跡が窺える演説を行ったように個人的には思う。

さて、この演説でもバイデン大統領が短く言及した“スパイ気球”撃墜騒動だが、ワシントン・ポスト紙の独自報道によれば、中国の海南島に気球偵察部隊の本拠があり、件の気球はその部隊が飛ばしたものらしい。

ステルス機のミサイル攻撃で撃墜された”スパイ気球”
ステルス機のミサイル攻撃で撃墜された”スパイ気球”

拙稿「中国は何故あんなあからさまな物体を飛ばしたのか?―“スパイ気球”撃墜騒動の損得勘定を考える」で記したように、そのタイミングや本当の目的は相変わらず解せないが、他のアメリカ報道も参考に考えると、中国は数年前から何度も同じような気球を相当数飛ばしていたようだ。

かつて東北地方で目撃され当時は正体不明とされた気球しかり、台湾近辺や、グアム、ハワイ、テキサス、フロリダ辺りにも飛ばしていたという。地球を周回した物もあったと伝えられている。

これまで”スパイ気球”との認識はなかった?

しかし、アメリカ軍が本腰を入れて対処したのは今回が初めてである。

憶測も交えるが、そして、それは、どうやら中国軍の“スパイ気球”と本土上空でアメリカ軍が明確に認識したのが今回初めてだったからなのかもしれない。

”スパイ気球”の残骸を回収するアメリカ軍
”スパイ気球”の残骸を回収するアメリカ軍

実際、気象観測用の大型気球は、各国・様々な機関が日常的に飛ばしているようだし、それが予定のコースを外れて漂う事もあるらしい。レーダーがそれを捉えても、高度や速度、飛行ルートを見れば、航空機ではないことはすぐに分かるし、ルートもそんなに警戒を要するとは限らない。根拠は無いが、それゆえ、過去の“スパイ気球”もこれといった注目を集めることなく見過ごされていた可能性がある。

詳細は明らかにされていないが、実際、アメリカ領土上空、或いは、その近辺を飛行した過去の怪しげな気球をアメリカ政府が中国の“スパイ気球”と確認したのは比較的最近のことらしいし、いずれも事後にデータを洗い直し再確認したところ、そう判断したようだという報道もあるのだ。

”スパイ気球”の残骸を回収するアメリカ軍
”スパイ気球”の残骸を回収するアメリカ軍

ある程度泳がしていた可能性を完全に否定するものではないが、それ故、人民解放軍の部隊は、今回、冒険して大胆なコースに飛ばしたのかもしれない。

それにしても、余りにもあからさまであった。

あれで気付かなかったらアメリカ軍は間抜けという事になるが、そうではなかった。

アメリカ軍は既に残骸の多くを回収し解析を始めている。

”スパイ気球”の残骸を回収するアメリカ軍
”スパイ気球”の残骸を回収するアメリカ軍

同時に日本を始めとする同盟国、関係各国と情報交換を既に開始したとワシントン・ポスト紙は報じているし、その後、ブリンケン国務長官も「他国と共有している」と述べた。

日本の覚悟が試される

遠からず、アメリカ軍は“スパイ気球“を早期に補足する為のシステムも構築するだろう。

回収された”スパイ気球”の残骸
回収された”スパイ気球”の残骸

アメリカはそういう国である。それを使って、在日米軍のある日本や周辺もカバーするだろう。

そして、日本領空で探知された時、日本の覚悟が試されるだろう。

【執筆:フジテレビ解説委員 二関吉郎】

二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。