茂木VS西村の政権内バトルか

児童手当の所得制限撤廃を打ち出した自民党の茂木敏充幹事長に対し、西村康稔経産相が否定的な考えを示し、「政権内バトル」となっている。

西村氏は1日の衆院予算委で「限られた財源の中で高所得者に配るよりも、厳しい状況にある人を上乗せや、別の形で支援すべきだ」と述べたのだが、この発言には2つの意味で驚いた。

児童手当の所得制限の撤廃に否定的な考えを示した西村経産相(1日・衆院予算委)
児童手当の所得制限の撤廃に否定的な考えを示した西村経産相(1日・衆院予算委)
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1つは剛腕で知られる茂木氏の突然の「撤廃」提案に対しては岸田首相でさえ気を使い、「国会での議論を踏まえ、具体策の検討を進めたい」と前向きの答弁をしている位なのに、よく茂木さんに「逆らったな」という驚き。

2つ目は「児童手当の所得制限撤廃」というのはいわゆる「耳当たりのいい」政策だ。これに正面から反対するのは勇気がいる。「西村さんよく言ったな」という驚きだ。

安倍派を中心に防衛増税に反対する声が強いが、自分たちを保守派と言うなら、民主党政権で失敗した子ども手当を真似したような児童手当の所得制限撤廃には西村氏のように反対すべきではないか。

このバトルに立憲民主党も参戦して面白くなっている。立憲の前身である民主党は2009年に「中学生以下のすべての子どもに月26000円の子ども手当を」というマニフェストを掲げて政権を取ったのだが、この時自民党は所得制限の撤廃に強く反対した。立憲はこの話を持ち出して自民に「反省」を求めている。

立憲に叱られて反省する自民の人達

当時民主を「愚か者め」と野次った自民の丸川珠代参院議員をはじめ、茂木氏、岸田氏もそれぞれ「反省」の言葉を口にした。だが立憲(民主)の人達は彼らが言うように間違っていなかったのか。「愚か者」ではなかったのだろうか。

「反省すべきは反省したい」と述べた丸川珠代参院議員(1月31日)
「反省すべきは反省したい」と述べた丸川珠代参院議員(1月31日)

確かに子ども手当の所得制限撤廃に自民は反対したが、子ども手当が失敗したのはそれが理由ではなく、民主党政権が言っていた「埋蔵金」が見つからず、財源がなかったからだ。実際には半額の13000円でスタートし、2年で終了してしまった。

強い期待と共に誕生した民主党政権が最も大事な公約を守れなかったことに失望した国民は多かった。その後分裂して、現在もまだ政権を狙うまでの規模に戻ってないのはそれが最大の原因だろう。国民にとっても政権交代がある種のトラウマになってしまった。百歩譲って民主党の「言ったこと」が間違っていなかったとしても「やったこと」は間違っていた。政治は結果がすべてだ。

今度は自民が愚か者になるのか

悪いのはどっちで、誰が反省すべきなのか、実はそんなことはどうでもいい。重要なのは、政権が新しい政策をやりたいなら財源を見つけなければいけないということだ。他の予算を削るか、増税するか、国債発行するかの3つのうちのどれかだ。民主はそれができなかった。では自民にはできるのか。

継続的な政策の場合、安定財源が必要なので国債は考えにくい。今回増税はせず社会保険料の増額を政府は考えている。これと歳出削減すなわち公的サービスのカットが財源の柱になるだろう。

ただ何千万円も稼ぐ人に月5000円とか10000円の児童手当をあげるために、自分の社会保険料が増えたり、公的サービスがカットされることに国民は納得するのか。もし納得しないなら児童手当の所得制限撤廃は子ども手当の二の舞になる。

児童手当の所属制限撤廃は、本当に子供のためになるのか…
児童手当の所属制限撤廃は、本当に子供のためになるのか…

もう一つ大事な事は児童手当の所得制限撤廃が本当に少子化対策になるのか、いや子供のためになるのか、ということだ。僕は西村氏が言うように「高所得者」よりは「厳しい状況にある人」を支援すべきだと思う。

さらにこれは政権内でも共有されている考え方だが、子育て対策は「子どもの未来への投資」だ。子供が教育を受けることによって、社会は様々なリターンを得る。だから均等にお金をばらまくよりは、「やる気のある子ども」への奨学金を充実させることの方がはるかに有効な投資だろう。

2009年に自民は民主を「愚か者」と呼んだ。それから14年後、今度は自分たちが「愚か者」になろうとしていませんか?

【執筆:フジテレビ上席解説委員 平井文夫】

平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。