12月14日放送のめざまし8に日本の“守護神”権田修一選手が生出演。
PK戦や日本代表・ゴールキーパー3人の絆について、知られざる思いを語りました。

セーブ数ランク5位“15の神セーブ”

FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会。グループステージ初戦のドイツ戦で、ドイツの選手たちが放つシュートを、身を投げ出して防ぎ続けた権田選手。後半には、ドイツのシュートを4本連続でセーブ。このスーパーセーブはファンから“権田の18秒”と呼ばれ、話題になりました。
そして、グループステージ突破を懸けたスペイン戦でも権田選手が躍動します。
悲願のベスト8入りを目指し、臨んだクロアチア戦。一進一退の展開が続く中、モドリッチ選手のシュートもセーブ。クロアチアに敗れたものの、4試合で合計15セーブをあげた権田選手。日本の躍進に大きく貢献しました。

4試合15セーブを映像と共に振り返り、権田選手は…

この記事の画像(7枚)

権田修一選手:
全部映像で見たのが帰ってきて初めてだったのですごく嬉しいですし、“18秒”というところもこうやって言葉にしてもらえるのは頑張ってよかったなと思います。必死でしたけど本当に。

権田選手自身が選ぶベストセーブについて聞いてみると、「クロアチア戦後半でのモドリッチ選手のミドルシュート」を挙げました。
このセーブは同点に追いつかれた後という場面でしたが、同点に追いつかれた後というのはどういう気持ちなのでしょうか。

権田修一選手:
1-0で勝てるのが理想ですけど、今大会では逆に逆転勝ちで予選リーグを突破しているので、逆転されてしまうっていうのは自分の中では一番やってはいけないことだったので、やっぱり1点取られたときにもすぐに切り替えて、ここからしっかりゼロで行こうっていうのを考えました。

権田選手のセーブ数15本というのはどのくらいすごいことなのでしょうか。FIFA公式データに基づき集計したところ、今大会でのセーブ数1位はポーランドのヴォイチェフ・シュチェスニー選手24本(4試合)、2位はオランダのアンドリース・ノペルト選手19本(5試合)、3位はクロアチアのドミニク・リヴァコヴィッチ選手18本(5試合)、4位はセルビアのV.ミリンコヴィッチ-サヴィッチ選手17本(3試合)と世界的にも有名なゴールキーパーが並ぶ中、4試合で15本セーブした権田選手は5位に入っています。

権田修一選手:
セーブ数のデータはきょう初めて知りました。15本止めていたことも正直知らなかったので。こういう大きな大会で勝つためにはゴールキーパーの活躍というのは必須なので、そういう意味では、このランキングで僕が1位に立つことができたら、日本はベスト8、ベスト4まで進んで、まだ日本に戻ってこなくてよかったのかなと思います。そこは今後もっと上げていきたいと思っています。

今だから語れる“PK戦”

W杯からの帰国後、様々なメディアに出演している権田選手ですが、気になる発言がありました。
10日、フジテレビの番組に出演した際、クロアチア戦のPKを振り返るVTRが流れると「今見ても正直あんまり直視できないくらい悔しさがあります」と答えていた権田選手。
改めてPK戦を振り返ってみて…

権田修一選手:
今でも悔しいです。この試合に勝って“新しい景色を”というのは日本代表の目標だったのですごく悔しさがありますけど、今後こういう場でどうやったら勝てるのかっていうのを、今は少しづつ冷静に分析し始められるようになってきています。

クロアチアのPKは研究していたのでしょうか。

権田修一選手:
スペイン戦が終わってその日のうちに、モドリッチ選手のシュートの映像とかもそうですけど、PKの、過去に蹴っている選手の映像を全部いただいて全部確認して、毎日2回づつくらい見て頭に残すようなことはずっとしていました。

「ゴールキーパー1本で行く」子供の頃の強い決意

実は、PKが、権田選手が子供の頃にゴールキーパー1本でやろうと決意したきっかけの1つとなっていました。

小学3年生の時、さぎぬまSCに所属していた権田選手はある大会で試合中にPKを止めます。その際にPKを蹴った子の親が泣くのを目撃。この時に「これだけ重いものなんだ」という思いが芽生えたという権田選手。
そして、小学4年生の時、ある大会でベストゴールキーパー賞を獲得。「僕もなりたかった」と悔しがる声を聞いた権田選手は、「責任を持って頑張らないと」とゴールキーパー1本でやっていこうと決意したということです。

決意するまでは他のポジションも考えていたのでしょうか。

権田修一選手:
考えていました。点を取ることへの憧れもありましたし、父がバスケットボールをやっていたので、バスケットボールや野球など、他のスポーツへの憧れもあったので、きょうはバスケやりたいなという日もあったので。それが、この出来事からは、サッカー1本、ゴールキーパー1本で行こうと決めました。

さらに、PK戦でこんなエピソードが。
教えてくれたのは、権田選手を中学1年生から高校2年生にかけての約5年間指導していた浅野寛文さん。

浅野寛文さん:
中学3年生の全国大会の準々決勝がPKになり、権田選手が蹴って止められました。次のシュートを入れられたら負けだっていう状況を2本止めて勝ちました。そういうところのメンタルはその時から持っていたのかなって思います。

「唯一ゴールキーパーがヒーローになれる場という感覚があったので、PK戦は好きだった」という権田選手。

権田修一選手:
今大会もそうですけど、みなさんに「あのセーブ感動した」とか「日本を救ってくれてありがとう」とたくさん言っていただけるんです。ゴールをするというのがサッカーの一番盛り上がる瞬間なんですけど、それと同時に僕が止めることっていうのも1点分の価値があると僕は思っているので。普通に生活してて感謝されることってないじゃないですか。そういったことを言っていただけるのがすごくやりがいです。

とゴールキーパーへの思いを語りました。

「この3人で戦えてよかった」権田選手が語る“GK3人の絆”

W杯のゴールキーパーは権田選手の他に川島永嗣選手とシュミット・ダニエル選手、2人の控えの選手がいました。ゴールキーパーは練習も他の選手と離れたところでやるため、3人でいる時間が長く、海外の経験が長い川島選手、パスの能力が優れているシュミット選手にたくさん聞き、学びながら成長できたといいます。
そして、スペイン戦で勝利した瞬間、控えのゴールキーパー、川島永嗣選手とシュミット・ダニエル選手が真っ先に走っていったのは権田選手の元。この時、どんな話をしていたのでしょうか。

権田修一選手:
まず、勝った瞬間に走って僕のところに来てくれるっていうのは本当に嬉しくて。川島選手が「本当によくやった!」って言ってくれてすごく嬉しかったです。映像を見ても泣きそうになるんですけど。シュミット選手も「ありがとうごんちゃん!」って言ってくれたので、本当にこの3人でW杯戦えてよかったなと思っています。

権田選手について、川島選手は「大会始まる前から、ごんちゃんには『何も心配してないから思いっきりやってこい』っていうことは言っていましたし、本当に素晴らしいパフォーマンスでここまでチームを引っ張ってくれたと思う」。シュミット選手は「ごんちゃんがこの舞台に、このチームを連れてきてくれたと思うしそこにすごく感謝したいです」と話しています。

権田修一選手:
1人しか出られないポジションに3人いるって、チームによってはなかなか関係がうまくいかないこともあるんですけど、みんなが向上心を持って、自分が出る、自分が他の人よりうまくなるんだという気持ちを持ちながら、試合の日、自分が出ないってことが分かったときには最大限出る選手をサポートするというのはシュミット選手も川島選手も僕に対してずっとやってきてくれたので。こんな人たちは今までサッカー選手でゴールキーパーをやっていてなかなかいなかったなというくらいの最高の2人です。

同じポジション、ライバルでもある3人には深い絆があると語った権田選手。
クロアチア戦のPKが終わった後、川島選手が権田選手の近くに来て、泣いている姿が印象的でした。

権田修一選手:
僕はピッチでしっかり応援してくれた方も多いので、泣かないようにしようって正直思っていたんですけど、もしかしたら僕以上に川島選手が日本代表のために戦っていて、川島選手の涙っていうのは、「ごんちゃんよくやってくれた」って言ってくれましたけど、本当に川島選手をもっと上に連れて行きたかったですし、優勝してトロフィーを持ってほしかったなっていうのが個人的に今回一番残っている悔いです。

最後に、37歳で迎える次のW杯に向けての思いを語りました。

権田修一選手:
W杯の出場を目指すのではなくて、どうしたらベスト8以上、準決勝、決勝にいけるのかっていうのを考えながら今から過ごしたいなと思っていますし、そこは僕だけではなくて日本代表の選手はもちろんですけどサッカーに関わるすべての方がそういう意識でここからの4年間過ごすと思うので、それが4年後にアメリカ大陸で、今回サプライズな感覚が強いと思うので、それがサプライズじゃなくて自分たちの実力でベスト8以上にいけるような、そういう準備をしていきたいなと思っています。

(めざまし8 12月14日放送)