世代論というのはなかなか面白いし、酒の席ではその話で盛り上がることもある。

たとえば「団塊の世代」は生徒数が激増して入学試験などで苦労したので競争心が強いとか、「ゆとり(教育)世代」は円周率を3.14…ではなく3だと思い込んでいるくせにITスキルは不思議と高いとか、あるいは「(就職)氷河期世代」は政府や自治体、企業などがこの世代向けの中途採用をしたけど焼け石に水だったとかの類である。ただし、そこには主観や誤認も多く含まれる。

さて今回取り上げる『世代の昭和史 「戦争要員世代」と「少国民世代」からの告発』(保阪正康 著・毎日新聞出版)は戦前生まれの世代論だが、ことが戦争にかかわっているだけに、とても酒の席で気楽に話題にできるようなものではない。全体に重く深刻である。それでも12月8日が太平洋戦争が始まった「開戦記念日」だったということで、あえてこの本を取り上げようと思う。

以前書評に取り上げた桂米朝師匠の『上方落語ノート』は、見事なオーラル・ヒストリーと評したが、実はこの「昭和史」もそういった趣がある。著者の保阪氏が対談や聞き書きで取材した人々は多岐にわたり、渡辺恒雄や野中広務といった保守派の人々も含まれている。

著者の保阪正康氏(2021年12月)
著者の保阪正康氏(2021年12月)
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著者はさらに後藤田正晴を含めて「その非戦意識は、いわゆる『左翼』よりも強かった」と述懐している。ライフワークとして著者が取材した人々の多くがすでに鬼籍の人となっているし、著者自身も傘寿を過ぎている。あるいは若い世代に「戦争とは何か」と問いかける気持ちでこの本を書いたのかもしれない。

戦争に駆り立てた世代

作中で著者は“戦争に駆り立てた世代”と“戦争に駆り出された世代”をいう分け方をして戦前の世代を考察している。

特に“戦争に駆り立てた世代”として明治17年生まれに注目する。具体的に挙げると東條英機、山本五十六、石橋湛山らである。

3人の個性や経歴、考え方は大きな隔たりがあり、そのため全体的な世代論は影をひそめるが、陸軍の東條、海軍の山本など、それぞれの組織の中での世代を論じている。そして当然のことながら、著者は東條に対しては非常に辛辣である。

東条英機元首相
東条英機元首相

陸軍での東條世代は戦場体験がなかったという。著者によれば「東條のような戦場体験のない、軍官僚として机の上で戦争を考えていた軍人は、かなり歪んだ命令を出すことが立証されている」という。確かに東條は「竹槍事件」(※注1)という戦争を私(わたくし)する命令を出し、250人の犠牲者を出した。

しかし、陸軍将校すべてがそうだったわけではない。イギリス駐在武官としてロンドンの爆撃に遭遇、市民たちが学童疎開を始めたことを知った辰巳栄一は、交換船で帰国後、東條に戦況悪化で東京に空襲があった場合のことを考えて、学童疎開の検討を具申している。その時の東條の返事はこうだった。

「『私は学童疎開には反対である。今、日本は物量豊富な米英と戦っている。これに打ち勝つには日本古来の大和魂、国民精神を十分に発揮するにある。国民精神の基盤は日本の家族制度であって、死なばもろともという気概が必要だ。家族の疎開などもってのほかだ』(月刊誌『偕行』に収められた『辰巳中将の話』)」

こんな人物が戦争遂行の最高指導者だったのである。

何であれ、深く物事を考えることができない人間の「特権」は、精神論や根性論を恥ずかしげもなく主張できることにある。精神論は議論を無効にする効果があるから、難しいことを考えなくてすむのだ。こういった人はどこの組織にもいるが、一国のトップとなれば話は別である。よくもこんな人物が陸軍大臣や首相になれたものだと驚くが、さらに驚くのはこの人物が陸軍内で「切れ者の東條」と呼ばれていたことである。

上記の東條の発言をみて、彼に「切れ者」を感じるだろうか。これは東條を評する陸軍将校たちの人を見る目のなさをも実感させる話である。

そう考えると、日本陸軍の知性のなさは、陸軍内の教育に問題があったのではなかろうか。陸軍士官学校や海軍兵学校は、筆記試験でも旧制一高(現・東京大学教養課程)と並び称されるほどの難関だったことを考えると、士官学校や陸軍大学校が秀才たちの合理的思考を奪っていったのだろう。

一方の海軍の山本五十六は、東條と違って戦争の実体験がある。海軍兵学校の卒業直後に日本海海戦を体験し、左手の2本の指を失っている。さらに、海軍の中でも英米流の理知派とされていた。陸軍と比べ海軍の人物評ははるかに“スマート”である。そしてそうした東條と山本の相違点を著者は5つの箇条書きにしてあげているが、最も際立った違いは以下の点である。

東條…「軍人は職業ではない。『神(天皇)』に仕える神兵である」
山本…「軍事は政治のコントロールの下にある」

東條は古事記の世界に生き、山本は戦後のシビリアン・コントロールの世界を先取りしていたのがよくわかる。

著者はこの2人を戦後病気のために短命内閣に終わった石橋元首相を加えて対比しているが、正直なところ、言論人(東洋経済新報社)であった石橋との比較は少し無理がある。それでも東條と石橋の一番大きな相違点は国家を重視するか個人を重視するだとしている。

ともあれ、かようにこの3人を見る限り、“戦争に駆り立てた世代”には国全体の世代論というのは見当たらず、組織の中での世代論があるにとどまる。

戦争に駆り出された世代

ところが、“戦争に駆り出された世代”は違う。実際に戦地に送られた世代もそうだが、実は世代としてのより強い共通性を見せるのは、幼年期から思春期を戦争の真っただ中で生きた、いわゆる焼け跡世代である。野坂昭如、小田実、篠田正浩、そして半藤一利といった人々がこの世代に当たる。彼らに共通するのは、たとえようもない「国家に対する不信感」である。

半藤は昭和20年3月の東京大空襲で数多くの焼死体を見て、「もう生涯、“絶対”という言葉を使わないぞ」と誓い「二度と騙されない」と決心し、小田実は、「鬼畜米英!」と叫んでいた教師が敗戦後しばらくして「民主主義の使徒アメリカ」と言い出したことに、「疑う」ということを教えられたという。

また、篠田正浩は昭和天皇の「人間宣言」を聴き、学校で学んだ歴史が根底から崩れていくのを感じたという。ここで著者は、皇国史観を学んだ皇国少年が戦後になって唯物史観に傾斜し、共産党系の側に身を移す例が多いことを挙げ、史実が史観の補完材に過ぎないという共通点を指摘している。ともに自分たちに都合のよい史観ありきで、事実は二の次ということだろう。なかなか鋭い指摘である。

最後に、焼け跡闇市派の代表ともいうべき野坂については、直接会ったことはないが電話でよく話をしたそうだ。野坂は週刊誌で菅原文太との対談で、「戦争が終わった後に教師たちが、全く変わった言い方をするのを見て驚いた。信用できないないな」と語ったという。

つまり、あの戦争は虚構の上に成り立っていた戦争だったのである。

【執筆:赤井三尋(作家)】

(文中敬称略)

(※注1)「竹槍事件」東京日日新聞(現・毎日新聞)が海軍側に立って「竹槍では間に合はぬ  飛行機だ、海洋航空機だ」といった記事を出したことから、本土決戦に向けて婦女子に竹槍訓練(ここにも精神論が…)をやらせていた東條首相が激怒し、記事を書いた海軍の記者クラブ所属の記者に召集令状を出した事件

『世代の昭和史 「戦争要員世代」と「少国民世代」からの告発』(保阪正康 著・毎日新聞出版)

赤井三尋
赤井三尋

本名・網昭弘 早稲田大学政治経済学部卒業後、ニッポン放送に入社。2003年『翳りゆく夏』で第49回江戸川乱歩賞受賞。2006年フジテレビジョン報道局へ転籍。
【著書】
『翳りゆく夏』( 講談社文庫)
『どこかの街の片隅で』( 単行本・講談社 改題して『花曇り』講談社文庫)
『2022年の影』(単行本・扶桑社 改題して『バベルの末裔』講談社文庫))
『月と詐欺師』( 単行本・講談社 講談社文庫【上・下】)
『ジャズと落語とワン公と 天才!トドロキ教授の事件簿』(単行本・講談社 改題して『面影はこの胸に』講談社文庫)
【テレビドラマ】
翳りゆく夏(2015年1月18日 ~(全5回) WOWOW「連続ドラマW」主演:渡部篤郎)