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BC級戦犯の史料を探していたら…

【23歳の大学生からの投稿】
以前、「A級戦犯の処刑報告を発見」というニュースを見て、なぜ戦後70年以上もたってから発見されたのか疑問に思いました。戦争にまつわる故人の遺品などが新たに確認された、といったニュースもいまだによく見かけます。偶然なのか、何か理由があるのか調べてもらえないでしょうか。

戦争に限らず昔の史料や遺跡などが、なぜ長い年月を経て“新たな発見”としてニュースで報じられるのか。新発見に関わった関係者たちを取材すると、その意外な経緯や思いなどがあった。

今回の投稿のきっかけとなったのは、2021年8月12日付の新聞に掲載された「A級戦犯の処刑報告を発見」という記事。第2次大戦後の「東京裁判」で死刑判決を受けた東条英機元首相らA級戦犯について、7人の処刑を「正確に執行した」などと記したアメリカ軍の公文書が新たに見つかったという内容だ。

【執行完了の報告書より】
効率的な方法と軍隊的な正確さで(刑を)執行した。予期せぬ出来事は起きなかった。

刑が執行されたのは、70年以上も前の1948年。なぜ今ごろになってこのような文書が発見されたのか。この貴重な文書を見つけたのは、法学が専門でBC級戦犯の裁判についての調査・研究に取り組んでいる日本大学 生産工学部の高澤弘明専任講師だった。

日本大学 生産工学部​ 高澤弘明講師:
アメリカの国立公文書館に戦後の日本の史料、外交文書をはじめとする全てが入っておりますので、研究者は訪問していろいろ調べています

高澤さんは、2018年春にアメリカの国立公文書館を研究のために訪れた。その目的は、東京裁判とは別の裁判史料を探すためだった。そして、BC級戦犯の史料を期待して箱を確認したところ、ローマ字で書かれた「Tojo(東条)」という文字が…。

高澤さんは最初に見つけた時、「東条さんのがあるんだ」と思った程度だったという。

知識がないと史料を台無しに…3年間放置した資料が“新発見”

A級戦犯は専門外だった高澤さんは、史料の量も膨大でコピー費用もかかることもあり、とりあえず持参したカメラで撮影。

日本大学 生産工学部​ 高澤弘明講師:
読まずにとにかく、写真をどんどん撮っていって…。1日300枚とか700枚とか

日本に持ち帰ったA級戦犯のデータはその後、3年間はパソコンの中に保存したままで、高澤さんも「興味がなかった」という。しかし、ある取材を受けたのをきっかけに史料をじっくり読み込んでみると、どうやら知られてない史料だということに気付いた。

高澤さんは、さらに“意外な事実”を語った。

日本大学 生産工学部​ 高澤弘明講師:
今回、僕が初めてこのボックス開いたわけではなくて、以前に日本人の方がどうも見ている節があるんですね

箱には、日本語で書かれたメモや付箋があった。高澤さんより先にこの史料を見た日本人がいたとみられるが、この史料が貴重なものだとはその人も気付いてなかったようだ。いくら貴重な史料を見ていたとしても、その価値に気づかなければ「発見」されないままになってしまう。

日本大学 生産工学部​ 高澤弘明講師:
自分の興味関心、あるいは持っている知識によって、その史料を生かしたり、そのまま放置するような…。それが今回、如実に出た

「知識を持っていないと、史料を台無しにしてしまうことを痛感した」という。

名古屋城で兵士が吹いたラッパ 遺品整理で見つかる貴重な史料

同じ戦争の史料でも、別の形で新たに発見されるケースが「遺族からの提供」だ。

名古屋市名東区にある戦争と平和の資料館「ピースあいち」。

毎年12月に開催される「戦争体験者の遺品展」に寄せられた遺品から、新たな事実がわかることも少なくない。今回集まった115点の中にも、こんなものが…。

ピースあいちのスタッフ:
第3師団、名古屋の。そこでラッパの訓練手というか、お父さまが訓練で使われていたもの

色が黒ずみ年季の入ったラッパは、戦時中に名古屋城周辺に拠点を置いた陸軍「第3師団」で使われていたとみられる。名古屋城周辺では当時、起床や就寝の時間を告げるラッパを石垣の上で兵士が吹いていたとの証言も。

90歳で亡くなった父親の遺品を寄贈した渡辺真佐信さんは、遺品整理をしていて見たことがないこのラッパを見つけたという。

ラッパを寄贈した渡辺真佐信​さん:
(父が)大事にしまっていたのか…。二度と起こしてはいけない戦争の一つの遺品として置いてもらえるといいかな

戦争を体験した親世代が亡くなり、自宅の遺品整理などをしている際に見つかるケースも多いという。ピースあいちの館長は「子供や孫の世代による、戦争に関する遺品の資料館などへの寄贈は、戦後76年の今も続いている」と話す。

歴史好きの男性が偶然…ある理由で発見されなかった古墳

時を超えて見つかる歴史的な史料は、戦争に関するものだけではない。2020年12月、三重県伊賀市の依那古(いなこ)地区では、大和政権が支配した6世紀後半のものとみられる古墳の一部が見つかった。

発見者の一人である福森昌生さん(79)と、ヒノキが生い茂る山道を進んでいくと…。

福森昌生さん:
これが古墳。石室、昔の偉いさんを埋葬する…。見ておかしいなと思ったんで。あれ石室やなと思って

周りには大きな石が転がっていて、当時の権力者の遺体を納める「石室」と呼ばれる空間が手前に広がっていたことが想像できる。この新発見は偶然によるものだった。一体なぜ、これまで発見されてこなかったのか。

その理由は、この古墳のすぐ前に長年、お堂が建っていたから。しかし、50年ほど前に起きたぼやでそのお堂が移設され、古墳が見える状態になっていたという。

福森昌生さん:
興味がなかったら、ああ石があるなと思うだけ。石室とは思わへんけど。伊賀市へ「古墳みたいなもの、市に登録してあるか?」と聞いたら、「登録してもらってないもんで、新発見ですわ」と

歴史好きが新発見に繋がった。古墳の新発見はニュースで大きく取り上げられた。思わぬ歴史の発見者となった福森さんは、「依那古地区は大和政権の近くで、古墳時代には相当力のあった人が在籍していたのは事実。この古墳を地域の財産として残してほしい」と話す。

戦争に限らず昔の資料などが、なぜ長い年月を経て“新たな発見”として報じられるのか。調べてみると、そこには意外な経緯や関わった人たちの思いなどがあった。

(東海テレビ)