韓国ソウルの繁華街・梨泰院で起きた雑踏事故から1カ月が経った。日本人女性2人を含む158人が犠牲となった痛ましい事故は、韓国社会のみならず世界に衝撃を与えたと言っても過言ではないだろう。

事故現場の路地には犠牲者を悼む花やメッセージがところ狭しと並ぶ。日本語のメッセージも少なくない。
事故現場の路地には犠牲者を悼む花やメッセージがところ狭しと並ぶ。日本語のメッセージも少なくない。
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事故現場を改めて訪れてみると、人気韓流ドラマの舞台にもなったにぎやかな街の姿はなく、規制線が解除された幅4mほどの路地は、犠牲者を悼むメッセージや花で埋め尽くされていた。

「亡くなった若者たちと一緒にいたい…」現場路地を照らす店の灯り

「今も助けてという声が……どこにも行くことができないんだ」

現場路地で洋品店を営むナム・インソクさん(80)
現場路地で洋品店を営むナム・インソクさん(80)

こう話すのは、現場路地で11年間に渡って洋品店を営むナム・インソクさん(80)だ。

街全体が追悼ムードに包まれ、営業を再開する店も少ない中で「犠牲となった若者たちのそばにいてあげなければならない」として、いち早く店を再開した。店の灯りは暗い路地を照らしている。

ナムさんが営む店のショーウィンドーの灯りが暗い現場路地を照らしている
ナムさんが営む店のショーウィンドーの灯りが暗い現場路地を照らしている

ナムさんは事故から1カ月経った今も、事故当時の助けを求める声が耳から離れないと話す。なかなか眠りにつくことができない日々が続く中でも、「ここで何があったのか、私が伝えなければならない」として、時折言葉を詰まらせながら事故当時の様子を話してくれた。

「事故が起きる直前、靴が脱げ、足にけがをした女性2人店に駆け込んできた。何があったのか尋ねると女性は『転んだ』と言うだけでブルブル震えていた。その後、外から悲鳴が聞こえ、外に出てみると、すでに人が何重にも折り重なっていた。なんとか引きずり出せた人に心臓マッサージを施したが反応はなく、ぐったりしたままだった」

事故当時の記憶から今も数時間しか眠ることができない日々が続いているというナムさん
事故当時の記憶から今も数時間しか眠ることができない日々が続いているというナムさん

「私は罪人。亡くなった若者たちの前で何も言うことはできない。救うことができなかった……」

事故から2日後、現場で犠牲者を弔おうとするナムさん
事故から2日後、現場で犠牲者を弔おうとするナムさん

事故から1カ月経つ今も、罪悪感にさいなまされ続けているナムさん。筆者が彼をはじめて見かけたのは事故が起きた2日後の10月31日だった。

ナムさんは、規制線が敷かれた店の前で警察の制止を振り切り、事故現場に祭壇を作り、食事を供え、涙ながらに犠牲者を悼んでいた。当時の話を聞くと「亡くなった若者たちにご飯を食べさせてやらなければならない」と思ったという。

ナムさんは「亡くなった若者たちと一緒にいてあげたい」として、店で寝泊まりする日々が続いている。49日法要が終わるまでは今の生活を続けたいという。「49日が過ぎれば少しは気が晴れればいいが……」。そう話すナムさんの声はとても弱々しかった。

「どこを歩いているか分からなかった」事故の1時間前にはすでに人が密集

ナムさんの店には、事故現場路地を映す防犯カメラが設置されている。

ナムさんの店に設置された防犯カメラ映像 上2枚=午後8時、下2枚=午後9時過ぎ
ナムさんの店に設置された防犯カメラ映像 上2枚=午後8時、下2枚=午後9時過ぎ

事故当日の映像を見せてもらったところ、事故発生の2時間前、午後8時の時点では時間によっては人は流れているが、その1時間後の午後9時には、通りを人が埋め尽くし、思うように前に進んでいない状況がうかがえる。

当日、この通りを通ったという日本人留学生の桃佳さん(18)は、あまりの人の混雑ぶりに恐怖を覚えたという。

事故発生の30分ほど前に現場路地を通った 日本人留学生の桃佳さん(18)
事故発生の30分ほど前に現場路地を通った 日本人留学生の桃佳さん(18)

「事故があった通りが一番混んでいたと思います。身動きがとれず、体が圧迫され、足元を見ようにも見ることができませんでした。目の前が見えない状況でどこを歩いているかも分からず、後ろの人に押されながら少しずつ前に進んでいる状態で、すごく怖かったです」

桃佳さんが友人らと現場近くの飲食店を出て、地下鉄の梨泰院駅に向かうため事故現場となった路地を通りかかったのは午後9時半ごろ、事故発生の約45分前だ。100mほどの距離の移動に10分以上かかった。

当時の記憶から、桃佳さんは未だに人混みを避けて生活しているという。さらに、桃佳さんの周辺では、事故現場に居合わせたかどうかに限らず、心に傷を負った人が多いと話してくれた。

事故の記憶から人混みを避けるようになったという桃佳さん
事故の記憶から人混みを避けるようになったという桃佳さん

「教授が授業の中で今回の事故に触れることがあったのですが、その際に一人の学生が叫びながら教室の外に出て行ったことがありました。私の周りでも友達を亡くし心を痛めている人がいますし、現場にいなかったとしても心に傷を負った人は多いと思います」

国全体に広がる事故のトラウマ…再発防止策はいまだ見えず

今回の事故では、現場を撮影した映像や写真がSNSなどを通じて瞬く間に拡散した。映像などを通して間接的に事故と接触した人たちにも「トラウマ」が広がっているといえる。

政府は24時間対応の心理相談窓口を設置するなどして対応に当たっているが、1カ月で寄せられた相談は4000件を超えるなど、事故が社会に与えた衝撃は大きい。事故後、桃佳さんのように人混みを避けるようになったという人も少なくなく、筆者の周りにも電車やバスに乗ることさえできなくなったという人がいるほどだ。

事故を巡っては警察や行政のずさんな対応ばかりが取り上げられ、「真相究明」よりも「責任追及」が優先されているように感じることが多い。

そんな現状をどう思っているのか、現場路地でいち早く店を再開し、犠牲者を思い続けているナムさんに聞いてみた。

ナムさんは、49日法要が終わるまでは犠牲者を弔うため、現場路地にある店で過ごす予定だ
ナムさんは、49日法要が終わるまでは犠牲者を弔うため、現場路地にある店で過ごす予定だ

「多くの若者たちが命を失った。遺族はどれだけ心を痛めているだろうか。責任追及で言い争うのでなく、このような痛ましい事故が二度と起きないようにするためにはどうすべきなのか考えてほしい。亡くなった人に対して誠実な対応をしてほしい」

若者の命を救えなかったことから、今もなお自らを「罪人」だと責め続けるナムさん。再発防止策が見えない現状のままでは、心の傷が癒えることはないだろう。

【執筆:FNNソウル支局 熱海吉和】

熱海吉和
熱海吉和

FNNソウル支局特派員。1983年宮城県生まれ。2007年に仙台放送に入社後、行政担当などを経て2020年3月~現職。辛いものが大の苦手で韓国での生活に苦戦中。