三笠宮家の瑶子さまは、10月25日、39歳の誕生日を迎えられました。

瑶子さまは今年、難聴であることを報道陣の前で明かされるなど、ある意味、注目を集める一年でいらしたと言ってもいいのではないでしょうか。

この記事の画像(11枚)

講演会では「皇族の中ではメジャーではないタイプ」と、ご本人も述べられています。

この一年のご活動とお言葉を振り返りながら、瑶子さまの魅力をそのお言葉を中心に綴って見たいと思います。瑶子さまのご不満がないことを祈りながら…

ヒゲの殿下三笠宮寬仁さまの次女

瑶子さまは、1983年10月25日、ヒゲの殿下として親しまれた三笠宮家の寬仁さまと信子さまの次女として誕生されました。お印は星。

三笠宮瑶子さま(84年)
三笠宮瑶子さま(84年)

ご誕生の予定日に、ノルウェーからオラフ5世国王が国賓として来日し、当時、ノルウェー協会の総裁を務めていた父の寬仁さまは、いつ飛び込んでくるか分からない連絡を気にしながら、国王に同行していたそうです。

寬仁さまに言わせれば「瑶子女王殿下におかせられては母体に居残る方を選ばれ」たそうで、国王が帰国してから無事に誕生されました。

10月31日に「瑶子」と命名され、翌年4月27日に、母の信子さまと宮中三殿にご参拝。

信子さまに抱かれる瑶子さま(84年)
信子さまに抱かれる瑶子さま(84年)

この時、昭和天皇と香淳皇后と初めてお会いになった瑶子さまは、身長63.7cm、体重7700gにすくすくと成長されていました。

1987年から松濤幼稚園へと通園を始められた瑶子さま。

この頃は、お父様からは「よーよー」「よー助」などと呼ばれていたようで、「性格が割とおおらか」と「ひげの殿下日記」には記されています。

その後、学習院で小中高、さらに学習院女子大学へと進学されています。

10月5日、瑶子さまは、国体の剣道競技をご覧になっています。

瑶子さまは、初等科の5年生から剣道を始められました。

ご本人によれば、初等科で、合唱部、オーケストラ部か剣道部に入らなければいけないという指定があり、余り歌うことが好きではないし、楽器が弾けるタイプでもないと言うことで、剣道部に入ろうとご両親にご相談しましたが、「おまえに、そんなことができるわけがないだろう」ということで一年間は合唱部に入られたと言うことです。

でも、やはり剣道部がいいと、5年生から剣道を始められたといいます。

今では5段の腕前。

学習院女子高等学校の3年の時には主将に。さらに大学でも女子副主将を務められています。

そんな経歴もあり、今でも、ご公務で剣道大会を観戦しにお出ましになっています。

瑶子さまが成年となられたのは、2003年のことで、この時に記者会見に臨まれています。

大変緊張されていたようで、会見の中でも、

「きのう最終的に夜、父と共に想定問答のようなものを致しました。『大丈夫だ、大丈夫だ』という風に言ってくださったのですけども、私の方が『そんなことないよ』と、余り自信がございませんでしたので。もうこのような機会は一度きりがいいな(笑)」

成年になり会見される瑶子さま(2003年)
成年になり会見される瑶子さま(2003年)

さらにご自分のタイプについて、

「前向きでなく、後ろ向き」「どちらかというと小心者」「きょうの記者会見も、先ほどまで色々なところを行ったり来たりしながら『もうやだ』と(笑)」

と述べられています。

ただ、この会見を聞いた父の寬仁さまは、「ひげの殿下日記」の中で、「一週間前には私が、全部の質問に対して、日頃ヨー助がしゃべっている内容を元にして、文章を作りました」「後は、お前が工夫してしゃべるべし!」とも。

しかし会見後には「父は、本当に尊敬できる方だと思っております」などと答えられたことに満足されたようで、「将来のご結婚と理想の男性像」と言う質問に、「父のような…、父はちょっと細かすぎる所がありますので、ちょっと少なくした男性がいいかなと思っております」とお答えになり、記者席が大爆笑だったことを愉快とも綴られています。

成年になり会見される瑶子さま(2003年)
成年になり会見される瑶子さま(2003年)

寬仁さまも、心配していた記者会見を、瑶子さまが見事に切り抜けられたことに安堵…というより目を細めて喜ばれたご様子だっただろうと感じました。

大学ご卒業後は、日本赤十字社の嘱託職員にご就職。

2006年12月から6年にわたり青少年・ボランティア課や血液事業本部販売・管理課で嘱託ながら常勤で働く初めての女性皇族となられました。

仕事場では、普通に電話とったりし、「三笠瑶子」と名乗られていたとか…

また、寬仁さまが亡くなられてからは、友愛十字社の名誉総裁、国際ユニバーサルデザイン協議会の名誉総裁(2013年8月から2019年7月まで)などを務め、宮中行事などにも出席されてきました。

難聴を明かされた瑶子さま

瑶子さまに注目が集まったのは、今年3月25日の埼玉県入間市で行われた「ヒアリングフレイル予防講習会」でのお言葉でした。

「ヒアリングフレイル予防講習会」での瑶子さま(3月)
「ヒアリングフレイル予防講習会」での瑶子さま(3月)

ヒアリングフレイルとは、聴覚機能の衰えのことです。聴覚機能が衰えることでコミュニケーションに問題が起き、行動範囲や会話にも影響が出るとされ、こうした状況が続くと、鬱状態になったり認知症へのリスクが高まるとも言われています。

この講習会を主催したのは、NPO法人日本ユニバーサルサウンドデザイン協会で、瑶子さまは、2021年12月1日付けで名誉総裁に就任されています。

瑶子さまは、この日、法人の名誉総裁として初めて公式に出席し、お言葉を述べられました。

「健常者、障害者区別なく、使えるものであるとか仕組みであるとかを作って行こうというようなことを推進するような活動を昔からしております」

「ヒアリングフレイル予防講習会」での瑶子さま(3月)
「ヒアリングフレイル予防講習会」での瑶子さま(3月)

さらに、ご自身が低音型の感音性難聴であり、「低い音が基本的にあまり聞き取れない、高音も苦手な部分があって聞き取れない部分がある」と話されました。

原因は、メニエール病になったことで、「20代の頃から難聴になっているので、若い人たちでも起こりえる」「難聴用の機材を含め、難聴と認知症は違うとか、ヒアリングフレイルというものをしていこうと、皆さまがそれぞれ思っていただけるように、私たちだけでなく協力し合っていければいいなあという風に思っております」とお言葉を締められています。

「テレビの音量を50位にしても聞こえないことがある」、「皇室の警護に当たる護衛官と近くで話していても、何を話しているのか分からないときがある」、「話がかみ合わないときがあり聞き流してしまう…」

私にはショッキングな内容でした。

こうしたご体調のこともあったのでしょう。ある社が瑶子さまに取材を申し込んだようです。

お願いを受けた瑶子さまから、記者たちに、共通の認識を持って頂きたいとの6月20日の日付が入った自筆の手紙が届きました。

手紙には…

「数年前から現場(病院や施設​など)の状況を知りたいと法人の中石理事長に話をし、私的に様々な現場に伺わせていただいていた」「名誉総裁のお話をいただき、世の中の方々に知って頂けるチャンスとして、名誉総裁になることが良い方向になるのであればとお受けした」

難聴のことを話されたことについては、「『瑶子』という人間を知っていただく上で、私が発した言葉に説得力が必要な場合には特に、プライベートな事柄であってもお話しすることはあります」「障害者福祉活動は、まだまだ閉鎖的な所がありますし、心でぶつかっていかないと、納得や理解は得られないところだと経験上思っています」とも綴られていました。

障害者福祉活動を寬仁さまから引き継ぎ

瑶子さまは、子どもの頃から、父・寬仁さまの福祉活動の場に同行し、その状況をご覧になってきました。

「父が亡くなって、父が一番力を入れていた障害者福祉活動は9割は私が引き継いでいるわけですが、『まず父であったら、どう思うか?どう感じるか?』などを頭と心で考えて、そこに私の経験や体験や思いをプラスしてお話しさせていて頂いています」と記されていました。

瑶子さまが名誉総裁として2回目の公式行事として出席されたのは、鹿児島県で行われた「快護生活フェス!特別講演会」でした。

快護生活フェス!特別講演会での瑶子さま(10月)
快護生活フェス!特別講演会での瑶子さま(10月)

瑶子さまは、この会でもご自身の難聴に触れながら特別講演の中でお言葉を述べられています。

また、法人の中石理事長とは8年くらい前に、偶然プライベートでお会いする機会があり、現場でどのような難聴者の補助器具が使われ、どういう風に使われているのか見せて頂けないでしょか、というお話しからプライベートで理事長の活動に同行されるようになったということです。

中石理事長によれば、共通の友人を通し、お知り合いになったということです。

難聴の治療については、治療という形でしっかりはしていないものの、できる限り皆さんの話を聞くなり、自分も話し、声のボリュームを考えるなどの対策をとられているということです。瑶子さまも、comuoon(コミューン)という対話支援器具を使われているということです。

また瑶子さまは、新型コロナウイルス感染症のためマスクをしていることに触れ、難聴であれば、口の動きを見てしまうので言葉を理解することが難しい状況になっていると話されています。

そして、「私はとても話すことが好きなタイプで、やはり話すことをしなくなると、ストレスも溜まってきますし、それこそ孤独感を覚えると言うことを、この約3年思い続けてきました」「もっともっと深く皆さまとお話しをしたり、学んでいきたいことも、マスクをしていて表情が読み取れないことによって(言葉も)分からない。自分のスキルが停滞していってしまうという現状があるので、やはり皆さまとは顔をつきあわせ、たとえ、けんか腰になってもいいですし、大きな口を開けて笑い合ったりすることでもいいですし、皆さまと交流、距離感というものを私は広げていきたい」とも述べられました。

快護生活フェス!特別講演会での瑶子さま(10月)
快護生活フェス!特別講演会での瑶子さま(10月)

話は脱線しますが、講演の途中、会場に駐車場の車のハザードランプが付いていることを知らせる放送が割り込みました。

瑶子さまは、話を中断し「ここにいる方なら、すぐ車にもどって…」など臨機応変に話をされ、会場の笑いを誘っていました。

東京モーターショーで名誉総裁を務めたこともあり、車にもご興味をお持ちの瑶子さま。この対応はもう「小心者」とは思えぬお姿でした。

また、無事にイベントが終わったことを喜ばれたという瑶子さま。今後も、日本ユニバーサル・サウンドデザイン協会の活動を続けるということで、協会も、瑶子さまが名誉総裁を務める社会福祉法人の友愛十字会にコミューンという対話支援器具を寄贈すると言うことです。

難聴という苦労を強いられながら、皇族として福祉活動に尽力されている瑶子さま。

その時々に、人を惹きつける言葉を述べられています。

そのお考えの一端をお手紙から知ることが出来ました。

「私はお飾りになりたくないので、分からないなら、分からないなりの言葉で、聞いている皆さんに一行でも一言でも『あの人がこう言っていた』と記憶に残るようなお話しができたら良いなと思っています」

ご自分の言葉で語られる瑶子さまの魅力はこんなところから来るのかもしれません。

【執筆:フジテレビ皇室担当解説委員 橋本寿史】

(参考文献:小学館刊「ひげの殿下日記」)