2019年10月13日未明、長野市穂保の千曲川の堤防が決壊。長野市内では17人が犠牲となり、住宅被害は4300世帯に上った。穂保を含む長沼地区の特産リンゴにも大きな被害が出た。また、北陸新幹線の車両センターも浸水した。
あれから3年。まだ復旧・復興は「道半ば」だが、祭りなどを通じて、もう一度、地域・住民のつながりを見直そうという機運も高まりつつある。ただ、それは「まだら模様」。地域によって濃淡があるようだ。世帯数の減少という厳しい現実も浮かび上がっている。
浸水被害の自宅が交流拠点に 「1人でも寂しくない」
3年たった今も工事が続く千曲川の堤防。
その真下の畑で作業をするのは、長野市穂保の住民・関ケサミさん(80)だ。

近くの自宅から大根の様子を見に来た。

関さんの自宅も3年前、浸水被害に遭った。
その後、修繕されたが、被災直後から夫は高齢者施設へ。以来、関さんは1人暮らしだ。
ただ、寂しさは感じずに済んだと言う。
関ケサミさん(2020年取材):
1人で寂しくない?と聞かれるけれども寂しくないですね

関さんは自宅の一部を穂保の交流拠点として提供している。
名前は「ほやすみ処」。2020年に完成した。
定期的に人が集まり、関さんは地域の「つながり」を感じている。
10月8日に開催された復興を願う集会にも参加した。

芝波田英二さん:
ケサミさんやるよー
2021年から近くに住む芝波田英二さんが、畑を手伝うようになった。
芝波田英二さん:
みんながなんらかの形で寄り添ってくれる地域なもんで、心強いしありがたい。毎日安否確認しています

採れた野菜を会合やイベントに出すのが関さんの楽しみだ。
関ケサミさん:
自分でも生きがいを感じながら、みなさんに助けられながら楽しくやってます、ここの農園も。
こちらの心強い人(芝波田さん)もいますし、また頑張ってやろうと思っています
津野は人口が減少…将来への不安感も

一方、穂保の隣の津野。

津野区長・松原秀司さん:
ここがちょうど災害ゴミの仮置き場になったので凄かったですよね。ボランティアの方々が全国から来ていただいて本当にここすごかったですよね。都会の通りみたいにすごい(数の)人が歩いてたけど、とにかく一面茶色、泥の茶色とにおいそれはやっぱり別世界
当時を振り返る津野区長の松原秀司さん。

自宅は2メートル以上浸水。泥出しのあとにリフォームをして、2021年12月、津野に戻ってきた。
この3年で地区の風景は大きく変わったという。
津野区長・松原秀司さん:
全然違いますね、水が流れたところが何もなくなってしまっているから、そこは本当になんかかなり変わったところ

穂保より下流側にある津野。濁流の「通り道」となり建物の被害が特に大きかった場所だ。再建を断念した住民も多く、世帯数は被災前の半数近くにあたる40世帯ほどにまで減った。かつて住宅やリンゴ畑だった場所は空き地になっている。
津野区長・松原秀司さん:
茶色一色だったのが今度は緑一色になってしまって…

津野にある妙笑寺の笹井妙音さんも現状に寂しさを感じている。
笹井妙音さん:
変わりましたね、無くなったお宅がたくさんありますのでね。移転された方たちがたくさんいましたので、ずいぶん寂しくなった。津野全体は

3年前、寺も大きな被害を受けた。本堂も墓地も泥で埋まったのだ。
それでも、前を向こうと寺では書道パフォーマンスや炊き出しのイベントなどが開かれ、住民の集う場所となってきた。
寺の一部は今も畳がはがされ被災直後のままだ。住居部分は修復し、笹井さんは仮住まいから移って10月10日から寺での生活を再開させた。

笹井妙音さん:
とりあえず長沼に帰ってこられたということが一安心
寺は人々が集う、地区に欠かせない場所となっている。

しかし、津野の「将来」を思うと、笹井さんは…。
笹井妙音さん:
一番は人口減少、家も無くなってしまったし、一気に人口が少なくなってしまった。人が来られるような地域だといいんですけど、まだ安心感が持てないというか『不安材料』の方が今のところ多くて…
(長野放送)