この日、陸上界の二人のレジェンドが対面した。
かたや五輪男子マラソンに2度出場した瀬古利彦さん(66歳)。かたや箱根駅伝で2代目“山の神”と呼ばれた柏原竜二さん(33歳)だ。
世代は違えど日本の陸上界をけん引した二人が “学生三大駅伝の開幕“を前に語りあった。
33歳の年の差は、二人のレジェンドにどんな経験の違いをもたらしているのだろうか?
月に800キロ走破。水分補給なしの時代
1980年前後に陸上界の第一線で活躍した昭和世代の瀬古さん。
2010年前後に学生界のトップランナーとして活躍した平成世代の柏原さん。
二人は練習方法で盛り上がった。

柏原:
学生の時は実際どんな練習をされていたんですか?
瀬古:
私の場合はマラソンの練習はしていたものの学生なので、そんなに練習は積んでいなくて1000キロまでは行かなかったですね。800キロ前後ぐらい。(マラソンのタイムで)2時間10分の練習ですからね、言ってみれば。2時間10分で勝てる時代だったので、1000キロ走る必要はなかった。
――1000キロというのは年間ということですか?
柏原:
いや、月間ですよ。
瀬古:
1000キロない、ない、800キロ位。(笑)
当たり前のように「800キロ」と話す瀬古さんだが、この距離は東京からおよそ広島の距離に相当する。
現代のトップクラスの大学陸上部では、月間の練習量が500キロ~800キロに達することもあると言われているが、いずれにしても驚かずにはいられない数字だ。

他にも瀬古さんの時代はどんな事が日常だったのだろうか?
瀬古:
われわれの時代はね、大学4年間、給水がなかったの。
柏原:
あっ、そうだ。「水飲むな」の時代ですよね。
瀬古:
そう。練習中に水を飲んだことがない。夏でも本当に…。その習慣がないんだもの。
柏原:
もう給水がないのは今だと異常ですね。
――倒れなかったですか?
瀬古:
フラフラになった選手もいましたけどね、走れなくなったらそこで練習はおしまい。「お前弱いな」って周りに言われて…。
柏原:
それは良くない反面、
瀬古:
良くないよ!(笑)。

柏原:
良くない反面、給水なしでもやらなきゃいけない時って必ずあると思うんですよね。
瀬古:
確かにあるね。だから、われわれは強かった。水に強い。マラソンの試合中に給水を取り逃しても全然平気だった。
柏原:
僕の場合、1回目の40キロ走って絶対にガス欠になるんですよね。いくら頑張っても夏合宿では暑さも含めて、絶対1回ヘロヘロになるので、そこから2回目やると「うわー、楽だ」って思うんですよ。
瀬古:
今は練習でもすぐに水を摂るんだよね。最初の5キロから。
柏原:
それがもうマラソンのレギュレーションになっていますね。5キロに1回という。水を取れないときの不安ってみんなどうなんだろうと思うんですけどね。
瀬古:
取れなかったらみんな後ろ向いて取り逃したボトルを見ている。「うわー、取れなかった」って(笑)。
ネットで「ダサい」。全国区になった代償
今回対談した二人に共通するのは、学生時代に全国区の知名度を得た点だ。
瀬古さんは早稲田大学2年生の時に福岡国際マラソンで日本人最高の5位入賞を果たすと、3年生で初優勝。全国に名を轟かせた。
柏原さんは東洋大学1年生の時に、箱根駅伝の5区を走り区間記録を47秒更新する走りで8校をごぼう抜き。東洋大学の往路逆転優勝、そして初の総合優勝に貢献し一躍脚光を浴びた。そこから“山の神”としてメディアを賑わす存在となったのはご存じの通りだ。
ではこの共通点も、世代が異なるとどんな違いが生まれるのだろう。
二人が自分の周囲に感じた変化に話は及んだ。

柏原:
僕は1月2日から急に、指をさされるようになったので、あれはびっくりしましたね。
瀬古:
今までの生活が変わってしまうね。みんな君のことを知ってるから。
柏原:
すごいボロボロのジャージを着て、好きな色の服着て、大学行って、ファッションよりもいかに生活しやすいか、過ごしやすいかという服装をしていたのに、ネットで「ダサい」って書かれるんですよ。毎日、毎週これで行ってたのに、急に突然人に否定される。服とかもそうだし、電車の中で声をかけられるようになるし、逃げ場がなくて、生活しにくいと思いましたね…。
瀬古:
でも、知らない人から「あっ、柏原さん」って言われると、嬉しいでしょう?嫌だった?
柏原:
嫌というか、対応がわからなかったです。今でこそ「ありがとうございます」って言えるんですけど。当時は19歳の少年ですよ。
嬉しいというよりも「何喋ればいいんだろう?」。週刊誌もそうですけど、喋ったことがネット記事に載ったりとか、あとは雑誌に切り抜かれたりする可能性も頭の片隅にあったから、受け答え次第では、「これは大変なことになるぞ」というのもあって、何も喋れなくなりました。

瀬古:
私の場合は、当時箱根駅伝は今ほどの注目度がなかったので、福岡国際マラソンがきっかけでしたね。マラソンに出て、当時は異例の学生優勝するじゃないですか。中継はNHKで、その日に東京に帰ると、翌朝の7時のニュースに呼ばれるわけ。NHKに朝7時。
柏原:
『おはよう日本』で。
瀬古:
そう。『おはよう日本』の7時。スポーツコーナー。
瀬古:
学帽被って、学生服着て行ったらもう…(笑)。「瀬古さんって爽やか」とか言われてさ。急にサイン求められたりするから、うれしくなっちゃって。「俺もっと頑張れば、もっと有名になれるかな?」って。
柏原:
対照的なマインドです。
瀬古:
私はそうだった。「もっと頑張ろう」という、気持ちになった。
柏原:
僕は帽子被ってメガネしてたら「あいつは変装してる」って言われる。じゃあ、どうすりゃいいのよって(笑)。

――柏原さんはそこから、3年間どうだったんですか?
柏原:
掘り起こしていただいたら分かりますが、富士通のアメフト部の選手に「死んだ魚の目をしている」って言われました(笑)。だから「その顔はもう絶対にしない」って心に決めてます。
瀬古:
箱根駅伝が終わって学校に行くときも、うれしくなかったの?
柏原:
全く…。
瀬古:
そうか。
柏原:
勝ったことはうれしいですけど。
瀬古:
みんな「おめでとう」「おめでとう」って言ってくれるじゃない。それでも機嫌悪いの?

柏原:
純粋に頑張って来たことなのに、こういう言い方するとOBさんに絶対に怒られるんですが、わがもの顔で来る方っていらっしゃるじゃないですか。「俺がこいつを見つけてきたんだ」みたいな。「俺はこいつと仲がいいんだ」とか。
瀬古:
親戚が増えるんだよ(笑)。
柏原:
本当に親戚が増えました。びっくりするぐらい親戚が増えました(笑)。
今まで連絡を取ってなかった人とかも来るようになるんですよね。僕は高校の時に陸上しかして来なかったので、クラスにはあまり親友という人がいなかった。もちろん陸上部の同級生は別ですけど。
瀬古:
暗い高校時代だったんだね(笑)。
柏原:
急に親戚が増えたりするので、「活躍すると、こういう人が増えるんだ」と思った瞬間に心を閉ざし始める。大学3年の時に体調悪くなって、「今年は柏原危ないんじゃないか」って話が出ると、みんなヒューッと逃げて。
瀬古:
世の中って、そんなもんだよ…。
柏原:
(笑)
芸能人でもないのに人気や知名度を得たことでアスリートたちが味わう経験。それは時代とともに窮屈さを増し、変化しているのかも知れない。
出雲は「勝つのが一番難しい駅伝」
そんな二人に、10月10日に号砲を迎える出雲駅伝について聞いてみた。
――出雲駅伝を一言で表すと?
瀬古:
これは“スピード駅伝”ですね。やはりスピードランナーがいないことには勝負できないし、1つの失敗がずっと尾を引いてしまうので、10秒差以内の感覚で選手たちには緊張感がありますよね。失敗は許されない。

柏原:
僕は特に“かっこいい駅伝”というイメージがあるんですよ。1区しかやったことないんですけど、1区は出雲大社を背にスタートするというのがまずかっこよくて、他の駅伝って、例えば全日本大学駅伝は熱田神宮の横がスタートなんです。ゴールは伊勢神宮に入っては行くんですけど、駐車場がゴールだから背にするということがない。
自分で走った時もそうなんですけど、映像で出雲大社を背に抜かれた瞬間は「超カッコいい」なと。あれができるのが出雲駅伝というのが僕の印象で。スタートラインに立ったときは、他の駅伝よりもスッとします。凛々しくなる。

『出雲駅伝』は、11月の『全日本大学駅伝』、そして新年1月の『箱根駅伝』と続く “学生三大駅伝”の開幕戦だ。昨今、各校が掲げる最大の目標“駅伝3冠”を達成するために、絶対に勝ちたい大会として注目されるようになっている。
柏原:
最近だと、「3冠を目指す」という大学がめちゃくちゃ増えましたよね。
瀬古:
そう。確かに3冠という目標はみんな持っていますよね。でも私から言わせると、出雲で勝つのが超難しい気がする。
柏原:
そうだと思います。めちゃくちゃ難しい。
瀬古:
全日本で勝ったら箱根駅伝にもつながっているんだけど、出雲と箱根はつながっていくような感じがしないので、ここで勝つというのは一番難関だと思います。

――そもそも、箱根、全日本と、出雲が、何がそんなに違うのでしょうか?
柏原:
2桁の距離の区間は1区間しかないので、ダイレクトにスピードというところを求められる。
瀬古:
だって、40何キロですか?
柏原:
45キロぐらいですね。
瀬古:
45キロか。箱根で言うと2区間しかない。
――そうすると戦い方も全然違ってくる?
柏原:
全然違います。
瀬古:
違うね。

三大駅伝の中でも、最も短い距離(6区間・45.1km)のため、各区間で激しい順位変動が起こり、超接戦のスピード駅伝となることが大きな魅力の『出雲駅伝』。
レース序盤からスパートをかけていくチームが多く、勝敗を大きく左右する展開になることもある。今年もどんなレース展開が生まれるだろうか?

今年1月の『箱根駅伝』で2位に10分以上の差をつけるタイムで大会記録を更新し、完全優勝を達成した青山学院大学。

さらに、『箱根駅伝』準優勝の順天堂大学、『全日本大学駅伝』を連覇している駒澤大学。

そして前回大会、初出場・初優勝という史上初の快挙を成し遂げた東京国際大学は、4年生となるイェゴン・ヴィンセントと丹所健のダブルエースが今年も健在。
3冠候補の有力校がしのぎを削る。
――最後に、駅伝を通じて次世代の選手に期待することはありますか。
瀬古:
私はこの駅伝を通じて、将来マラソンで成長、成功するような選手になってもらいたいなと。全員マラソンができるとは思わないですが、少しでもオリンピックを目指そうとか、大きな夢を持つ選手が1人でも増えると、嬉しいなと思います。
柏原:
狭き門ですけど、チャンスはありますよね。
瀬古:
あるある。誰でもあるよ。鈴木健吾くんみたいな選手が、あと10人くらいいたら…。ケニアに追いつくかも知れない。でもまだそこまでいっていないんだよ、日本のマラソン界が。

柏原:
設楽悠太くんと、大迫傑くんがパンと(日本記録を)抜いて。その後鈴木健吾くんきた!となって、ほかの選手たちも2時間6分台がダダダダダときましたからね。
瀬古:
きたね。
柏原:
今、面白いですよね。
瀬古:
そう。だからその記録をもっともっと抜くような選手が出てくると、3分台が見えてくるわけ。そういう世界を目指して欲しいと思います。
世界へとつながる“学生三大駅伝”へ。いよいよ駅伝シーズンが開幕の時を迎える。
(取材:フジテレビ陸上中継班)
■富士通Japanスポーツスペシャル 第34回出雲全日本大学選抜駅伝
2022年10月10日(月・祝)
■フジテレビ系列 地上波生中継
午後1時~午後3時25分
https://www.fujitv.co.jp/sports/ekiden/izumo/index.html
解説:瀬古利彦・金哲彦・渡辺康幸 実況:森昭一郎(フジテレビアナウンサー)ほか
■TVer 昼12時30分頃~午後3時40分頃
配信内容:ウォーミングアップ~レース~全チームフィニッシュ
https://tver.jp/live/special/le6r7irhif
■フジテレビSPORTS YouTube公式チャンネル
昼12時30分頃~午後3時25分
配信内容:ウォーミングアップ~副音声スタジオ解説
出演者:柏原竜二・神野大地・西村菜那子
https://youtu.be/DTVE-imfAMg