日本中を熱狂させた東京パラリンピックから1年が過ぎた。

東京パラリンピックの開催が日本に残したレガシーの1つである、パラスポーツを通じた教育プログラムが行われている学校現場を取材した。

パラアスリートの姿に生徒の熱量が上がる

「去年、パラリンピックを観た人?」

9月2日、都内にある江戸川区立松江第四中学校の体育館には、1年生と3年生合わせて約360人が集まっていた。総合学習の一環として行われているのは「あすチャレ!スクール(※)」と名付けられたパラスポーツの体験型授業。

講師をするのはパラリンピックの車いす陸上競技に7回出場したレジェンド、永尾嘉章さんだ。

(※)日本財団パラスポーツサポートセンターが全国で年間約300回開催するパラスポーツ体験型出前授業

講師の永尾さんはパラリンピック7回出場のレジェンドだ
講師の永尾さんはパラリンピック7回出場のレジェンドだ
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永尾さんがこう生徒に聞くと、手が挙がったのは一割程度。

「じゃあパラスポーツの映像観てみようか」と永尾さんは言って、数分間の映像が体育館に流れた。躍動するパラアスリートたちが画面いっぱいに映し出される映像が終わると、体育館内の熱量が少し上がったように感じられた。

レーサーのスピードにざわつく生徒たち

この後永尾さんは生徒たちの周りを、レーサーと呼ばれる陸上競技用の車いすで駆け抜けた。そのスピードの速さに驚きざわつく生徒たち。そして今度は生徒たちがレーサーに乗る番だ。といってもレーサーは固定され、生徒は手で漕いでスピードを競い合う。もちろんスピードメーターに表示される数字は、永尾さんのスピードに遠く及ばない。

固定されたレーサーで永尾さんのスピードに挑戦する生徒たち
固定されたレーサーで永尾さんのスピードに挑戦する生徒たち

次は車いすバスケットボール用の車いすに乗って、チームごとの車いすリレーが行われた。生徒たちのテンションは一気に上がり、授業は大盛り上がりだ。

「勇気をもって声をかけてほしい」

そして興奮冷めやらぬ中、永尾さんの講義が行われた。永尾さんは「障がいって何だろう」と生徒たちに問いかけた。

「障がいがあってもある程度工夫すれば障がいって無くなっていくと思っています。僕は車いすに乗ることと眼鏡をかけることは似ているじゃないかと。見えにくいという不便を無くすために眼鏡をかける。車いすも移動が出来ないという不便をなくすために乗っている。ただ足が動かないと障がいと言われる」

生徒たちは車いすレースを通じて様々なことを知る
生徒たちは車いすレースを通じて様々なことを知る

永尾さんはこう続けた。

「たとえばスロープがあれば車いすの人は大丈夫だろうと君たちは思うかもしれない。でも緩いスロープでも登れない人はいる。だから街で車いすの人を見かけたら、『ひょっとしたら』と思って勇気をもって声をかけてほしい。障がいのある人も無い人もともに生きていく社会、共生社会を実現するためには、一人一人の心がすごく大事だと思います」

「車いすで陸上やってみたらどうだ?」

永尾さんは最後に自身の競技人生について語った。

「競技をしていて思うのは『諦めないこと』がすごく大事なんじゃないかと。僕は皆さんと同じ中学生の頃、だらだらと生活をしていました。なぜかと言うと僕は生まれたときは歩けたんです。しかし5歳の時に原因がわからないまま足が動かなくって、ついに車いすの生活になりました。もう学校にも行けなくなるな、友達とも遊べなくなるなと考えてすべてを諦め、何もしようとしなくなりました」

高校生になると永尾さんに転機が訪れた
高校生になると永尾さんに転機が訪れた

しかし高校生になると永尾さんに人生の転機が訪れた。

「高校に入学しても相変わらず何もしないでいたら、そんな姿を見ていた体育の先生がある日僕を呼び出して『永尾、車いすで陸上やってみたらどうだ?』と言ったんです。僕はそれまでスポーツなんて何もしてこなかったので、『嫌です』と断りました。でもその先生は『やれ』と言って勝手に僕を陸上大会にエントリーしたんですね」

「応援される喜びを初めて知りました」

永尾さんはもちろん出場を断ったが、先生におされて『じゃあ今回だけ』と受け入れた。

「それが僕の人生を変えたんです。最初は嫌だなあと思いましたが、練習を始めると『あれ?走れる』と楽しくなって。しかし一生懸命先生と練習したけれど、大会では勝てなかった。すごく悔しかった。帰り道、先生に怒られるなあと思っていたら、その先生は『来年は勝とうな』と言ってくれたんです。僕は応援される喜びを初めて知りました」

「僕は応援される喜びを初めて知りました」
「僕は応援される喜びを初めて知りました」

翌年の大会で永尾さんは優勝した。そして学校を卒業するころにできた目標は「パラリンピックに出場すること」だった。

7年かけて1988年にソウルパラリンピックに陸上選手として出場した。会場で永尾さんは緊張の中、「こんな凄い大会にまた出たい」と感じた。そして前人未到の7大会出場を果たし、メダルを獲得した。

パラリンピックの4つの価値とは

この理由を永尾さんは「諦めなかったからだ」という。

「皆さんに心がけてほしいこと。それは何かを諦めないで一生懸命頑張ることです。僕の場合は陸上で走ることでした。皆さんも何か大好きなことがあるんじゃないかな。スポーツ、音楽、勉強、好きなことを一生懸命やる。でもそれでも、やっぱりうまくいかない時があります。壁にぶち当たって乗り越えることが、大きな宝物になり、皆さんの人生がすばらしいものになります」

パラリンピックには4つの価値がある
パラリンピックには4つの価値がある

2012年ロンドン大会の際に展開された「Get set」と名付けられたパラリンピック教育は、4年間で650万人以上の子どもが参加した。

学ぶことはパラリンピックの持つ4つの価値だ。「勇気」「強い意志」「インスピレーション」そして「公平」は、多様性を認め創意工夫をすれば、誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力だ。

「考えるきっかけになったと感じました」

授業の終わりに生徒たちに話を聞いた。

車いすにも挑戦した3年生の大河内未渚さんは「アスリートの皆さんの凄さを実感した」という。「これから受験を控えていて、諦めない心をもって何事にも挑戦していこうと思いました」

また1年生の藤澤球侍さんは「サッカーをやっていて諦めない心が大事だと思いました」と語った。そして「これから障がいのある人に街で会って手伝うことができる?」と尋ねると「はい」と答えた。

3年生の大河内さん(右)と1年生の藤澤さん(左)
3年生の大河内さん(右)と1年生の藤澤さん(左)

生徒たちの様子を見ていた池田奈津子先生はこう語った。

「最初は緊張して様子を伺っている雰囲気もありましたが、後半は盛り上がって、最後の永尾さんの話は皆真剣に聞いていましたね。実際に生でパラリンピックの選手を見たり話を聞くのは、すごく貴重な体験だと感じます。ふだん中学生の生活圏内で障がいのある人に会うのは難しいと思いますが、今回いろいろなことを考えるきっかけになったのかなと生徒たちの顔を見て感じました」

池田先生もレーサーにチャレンジした
池田先生もレーサーにチャレンジした

共生社会と「諦めない」ことの大事さを伝える

永尾さんは授業を振り返って「聞いてくれる生徒の雰囲気を見ていると、伝えたいことは伝わったかなと思いました」という。

「私の場合は諦めないことをいかに生徒の心にしみこませるかです。学校の特別授業に車いすの人が来るのはなかなかないので生徒は最初構えますが、話をしていく中でほぐれていきますね。共生社会と諦めない、挑戦することの大事さをこれからも僕のメッセージとしてぶれることなく伝えていきたいですね」

永尾さんはいま1年間で7~80件こうした授業を行うために全国を飛び回っているという。子どもたちの心に誰もが共に生きる社会の実現と諦めないことの大切さが伝わっていく。これがパラリンピック、パラスポーツが次の世代に与える価値なのだ。

(写真提供:江戸川区立松江第四中学校 ※一部を除く)

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。