イギリスと中国の関係に関して、筆者には今でも不愉快な思い出がある。

それは2015年に中国の習近平国家主席がイギリスを訪問した時に遡る。

中国の習近平主席
中国の習近平主席
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ロンドン取材中に中国人グループと一悶着

当時、ロンドンに駐在していた筆者が、バッキンガム宮殿に繋がる大通り“ザ・マル”で取材をしていたところ、ある中国人の男性グループと一悶着あったのである。

その時、宮殿と大通り周辺は習主席を歓迎する中国人で、朝早くから立錐の余地もない程混雑していて、誰もが間もなくやってくるエリザベス女王と習主席が乗る馬車を待っていた。

バッキンガム宮殿
バッキンガム宮殿

歩道にはイヤホンを耳に入れ、袖にマイクを仕込んだ中国の警備陣が何組も居て、周辺を警戒しているのが嫌でも目に付いた。

その模様を取材していると、中国人の若い男性グループを引率しているように見えた三十代と思しき背広姿の男性が自分達を「勝手に撮るな」と言ってきたのである。筆者を日本人と察したからのようであった。

撮られるのが嫌なら彼らを無理に撮影する必要はないので、ある程度のやり取りを経て、こちらはその場を離れたのだが、その三十代と思しき男性は更に追いすがって来て、咎めるように、こう問うて来たのだ。

「あなたは撮影許可を持っているのですか?」

そこはイギリスの首都・ロンドンのど真ん中であった。北京ではない。その上、イギリスでは一介の外国人に過ぎない中国の人間にそんなことまで言われる筋合いは全くない。

ムッとした筆者は「君の許可を得る必要は無い」と強い口調で言い返した。

その場所はイギリス王室の管理下にある公園に付属していた。日本で言えば皇居前広場の歩道に当たるのだが、そこで取材をするには、実は、特別な許可証が必要である。

ただ、正規の手続きを経て駐在している報道特派員は申請さえすれば恒常的な許可証を比較的簡単に入手可能で、我々も当然それを保持し携行していた。しかし、彼に提示する必要は全く無い。彼はイギリスの警察官ではないのだ。だから、ただ、突っぱねた。

それで流石に、そこが中国ではないことを思い出したのか男性は引き下がったのだが、彼の勘違いも甚だしい振る舞いによって、彼我の国の報道機関に対する意識の違いを、改めて思い知らされ、憤ると共に呆れる他なかったのだ。

一事が万事と言う。

大型バスに乗ってイギリス各地からやってきた中国人達の振る舞いは多方面で顰蹙を買った。大衆紙はこぞって、その傍若無人ぶりを報じたと記憶している。

イギリスのとある外交官も、後日、主席訪問のアレンジに関わる中国側の過大な要求に辟易したと語っていた。

一般のイギリス国民は当時から諸手を挙げて歓迎するムードではなかったように思える。が、しかし、時のキャメロン政権のナンバー・ツー、オズボーン財務相は「英中は黄金時代を迎えた」と高らかに宣言し、世界第2の市場を抱える中国との緊密な関係を誇示した。

経済的利益に釣られてだろうが、その頃、イギリス政府は中国に急接近を図っていたのだ。

イギリス政界の対中ムードは様変わり

あれから僅か7年。

現在のイギリス政界の対中ムードは様変わりしている。

“黄金時代”をリードしたキャメロン氏やオズボーン氏はEU離脱問題の国民投票に敗れ、政界から退いた。政権を引き継いだメイ氏、ジョンソン氏、そして、トラス氏は、温度差こそあるが、いずれも対中懐疑派もしくは強硬派と目されている。

ジョンソン氏後継の座を射止め、イギリスで3人目の女性宰相に就任したリズ・トラス氏は、8月2日のアメリカのペロシ下院議長による台湾訪問とその後の中国の軍事演習を受けて、当時、外相として次のような旨の発言をした。

イギリスの新首相に就任したトラス氏(9月6日)
イギリスの新首相に就任したトラス氏(9月6日)

「私は中国政府の煽情的な発言を支持しない。ペロシ氏の訪問は正当な理由に基づくもので中国政府には緊張を緩和させるよう求める」

G7外相声明のようなお定まりの「一つの中国」には触れなかった。つまり、中国に対する配慮・忖度らしきものは全く感じられない発言だった。

また、トラス氏は、党首選のキャンペーン中、ロシアへの対応を誤ってウクライナ侵攻を防げなかったような過ちを繰り返してはならないとも主張し、中国に対し厳しい目を向ける必要を訴えた。

更に、ウイグルでの弾圧を“ジェノサイド・大量虐殺”と認定することや、中国をイギリスの安全保障に対する“脅威”と正式に認定する考えを議会の対中強硬派に対し示唆したと伝えられている。

ウイグル自治区を視察する習近平主席(7月)
ウイグル自治区を視察する習近平主席(7月)

ウイグルでの少数派の弾圧、香港における一国二制度の骨抜きと民主派の弾圧、台湾や南シナ海周辺国家への威圧、数々のスパイ活動疑惑、ウクライナ紛争に対する曖昧な姿勢、そして、新型コロナ発生時の不透明な対応等の結果、イギリスでも、与野党を問わず、中国に対する疑念と厳しい対応を求める声は強まっているのである。

融和を唱える声は今ではほぼ搔き消され聞こえてこない。

しかし、トラス氏が首相就任後に、実際にどんな行動に出るかは未知数である。

キャンペーン中の発言、特に非公式発言の内容が直ちに実行に移されるとは限らないのは古今東西を問わない。

イギリスの東アジア専門家は、筆者の問いに対し、こう述べた。

「彼女の対中発言はジョンソン前首相より厳しいように聞こえるが、実際の政策は、これまでと同程度に厳しいレベルで維持されるだろう。中国に対しては、イギリスの大多数の政治家が、自国及び自国企業と同盟国の利益を守り、我々が保持する共通の価値観の為に政府が立ち上がるよう望んでいるからだが、実質的に大きな違いは無いと思う」

つまり、言葉・レトリックの部分は別として、新たな対中強硬策を打ち出すことはないだろうという見立てであった。念の為付け加えれば、トラス氏とて、経済関係を絶つとかロシアに対するような大規模制裁を課すとまでは一度たりとも言ったことは無い。しかし、同時に“黄金時代の再来”はやはりもう当分無いと言って良い。

フランスのマクロン大統領のことを「友人なのか敵なのかまだ評決は出ていない」と言ったり、スコットランド自治政府のスタージョン首相を「注目を集めたがるアテンション・シーカー」と切り捨てる等、トラス氏は時に直截的で大胆な物言いをして注目を集める。

フル・ネームはメアリー・エリザベス・トラスだが、親から貰ったファースト・ネームのメアリーを子供の頃から毛嫌いし、ミドル・ネームの略称を用いて、ずっとリズ・トラスと名乗っている。このエピソードからは強い自意識・個性が窺える。

メアリー・エリザベス・トラス氏
メアリー・エリザベス・トラス氏

そして、何事も白黒つけたがる性格とも言われている。

しかし、大学時代は中道派の第三党・自由民主党の党員、長じて保守党に転向後、キャメロン政権で閣僚を務めていた時はEU残留派、だが、その後は離脱派に転じ、ジョンソン政権の保守派の外相として対EU交渉に強硬姿勢で臨んだ。

彼女は変わり身も驚く程早く大胆だ。機を見るに敏なのだ。

この変わり身の早さと彼女が尊敬すると言われる初代女性宰相のサッチャー元首相のニック・ネーム、“鉄の女”を捩って、トラス氏を“鉄の風見鶏”と揶揄する向きもヨーロッパの中にはあるらしい。

新政権を待ち構える難題は、上昇率二桁に達したインフレと、放置すれば二倍・三倍になっても不思議ではないとさえ言われる光熱費への対応、新型コロナで疲弊した医療制度問題、ウクライナ支援の継続、これらへの対処に必要な財政手当等、直ちに取り組まなければならないものだけでも既に山積している。

イギリス史上3人目の女性宰相に上り詰めた47歳の新首相が好きなチーズとカラオケをゆっくり楽しむ暇は当分無いだろう。

当面、対中・対アジア政策の優先度は高くない。

だからこそ、これまでの政策を継続する一方、厳しい目で事態の推移を見続けるという事なのかもしれない。

【執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎】

二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。