「ひーぷー」こと真栄平仁さんが脚本・演出を務める劇団O.Z.Eが、沖縄の本土復帰をテーマに劇を上演した。復帰の翌年、国会議事堂にオートバイで激突して亡くなった県出身の青年の死が意味するものは何か、演劇を通して問いかける。
激突死した青年の思いを想像し、脚本を作りあげる
バラエティー番組「ひーぷー☆ホップ」でお馴染みのひーぷーこと真栄平仁さん。キレのある軽快なトークでお茶の間に笑いを届けるひーぷーさんのもう一つの顔、それは劇団O.Z.Eの脚本・演出家だ。
この記事の画像(13枚)真栄平仁さん:
立体的に使おう、平面じゃなくて
2022年で本土復帰50年を迎えた沖縄。真栄平仁さん率いる劇団O.Z.Eは今回、復帰をテーマにした劇を上演することになった。劇の「72ライダー」は2012年、復帰40年の節目に真栄平さん自身が脚本・演出を務めたもの。
真栄平仁さん:
最初に上演したのは2012年で、復帰40周年のときだったので。今しかないなと思って作って
今回は2012年の台本を手直し、復帰から50年たった今と復帰前後の沖縄を描いた。物語は1972年の復帰の年に生まれた、いわゆる”復帰っ子”が同窓会を機に集まるシーンから始まる。
主人公は、バイク屋を営む「やーすー」こと安隆。劇では同級生と思い出話に花を咲かせる現在をコミカルに描く一方で、沖縄が本土復帰に揺れる1970年代の回想シーンでは、安隆が20代の頃から抱える怒りや悲しみを表現する。この安隆のモデルとなったのは復帰の翌年、若くしてこの世を去った沖縄の青年だ。
真栄平仁さん:
上原安隆さんというお名前なんですが、コザ暴動の時に逮捕された人が10人くらいいて、その中の1人なんですよ。逮捕された後に内地に行って運送業などをしていたみたいです。復帰の翌年、1973年に誰にも何も言わず遺書も残さず、国会議事堂の鉄柵に突っ込んでいって亡くなったのが、衝撃的だなと思って。いつかその人のことを調べて、舞台にしたいなと思っていたんですよ
未来ある青年が、なぜ生身の体を国会議事堂に叩きつけたのか。安隆さんの思いを想像しながら復帰と向き合い脚本を作り上げた。
主人公・安隆を演じる 平安信行さん:
米軍の車に火をつけたんです、ひどいですか。婦女暴行して何の罪に問われないのと、どっちがひどいですか。いったーがうちなーんちゅぬぬーわかいが(あなた達が沖縄の人の何が分かるか)。沖縄は全然何も終わっていない
遺族のもとに大切に残されていた青年の遺品
この日、真栄平仁さんや劇団のメンバーは恩納村のある住宅を訪れた。
真栄平仁さん:
こんにちは、ひーぷーです
出迎えてくれたのは上原安房さん(76)。脚本のモデルとなった、安隆さんの双子の兄だ。
安隆さんが亡くなった時に被っていたヘルメットが、大切に保管されていた。
真栄平仁さん:
5月7日、8日に舞台の本番があるんですけど、このヘルメットをお借りしてもいいですか
安隆さんの双子の兄・上原安房さん:
持って行って
真栄平仁さん:
ありがとうございます
真栄平仁さん:
劇中で、今のところラストシーンで使えたらいいかなと思っています。僕らが作っているのは創作の物語なんですが、実際にあったことなんだよと分かってもらうには、本物が一番かなと思います
生前、安隆さんは酒を飲むと「本土の人は沖縄の状況を分かってくれない」と訴えていたという。
ヘルメットには鉄柵の跡がくっきりと残る。
青年の心の叫びをバイクのマフラー音に込める
安隆さんのことを1人でも多くの人に伝えたい。真栄平仁さんが、10年前の初演から変わらず最もこだわっているのがラストシーンだ。
真栄平仁さん:
まさに、これから国会議事堂に向かうというシーンがあるんですが、そこも本物のオートバイを使ってエンジンをかけて、本当に走らせて出ていこうと思っているんですよ。ここありきでお芝居は成り立っていて、絶対にここは譲れないものなので
本番では、安隆さんの心の叫びをバイクのマフラー音に込め、復帰とは何だったのかを観客に問いかける。
真栄平仁さん:
復帰してよかったという一面と、思ったような復帰では無かったという声もあると思うので。僕らは演劇を通して何が変わったのか、何が変わっていないのかっていうのを表現したいなと。若い世代に、復帰のことにあまり興味がない世代に響くような作品にしたいですね
(沖縄テレビ)