2016年のリオデジャネイロオリンピックで、32年ぶりのオリンピック出場を果たした水球日本代表・ポセイドンジャパン。
その中心にいたのが、ブルボンウォーターポロクラブ柏崎の志水祐介選手だった。

リオオリンピックから5年、東京オリンピックで37年ぶりの勝利を手にし、志水選手は引退を決めた。
第一線で活躍し続けてきた志水選手が引退試合で語った言葉とは…
2008年に初めて日本代表に選出
志水選手は熊本県出身の33歳。2008年の大学時代に初めて日本代表に選ばれ、2011年に当時発足2年目だったブルボンKZに入団した。

志水祐介選手:
僕が大学生のころ、水球というのはもっとマイナースポーツであり、大学までのスポーツという見方だった。この柏崎のブルボンKZがなければ、自分自身はここにいなかった
32年ぶりのオリンピック出場

初めて日本代表に選ばれてから8年後の2016年。水球日本代表ポセイドンジャパンは、32年ぶりにオリンピック出場を勝ち取った。
志水選手はキャプテンとしてチームを牽引。
日本水球界にとって大きな一歩を踏み出したものの、チームはオリンピックで惨敗。1勝もすることができなかった。
志水祐介選手(2016年):
本音を言うと、とても悔しい気持ちでいっぱい。ここで後退せずに、次の東京オリンピックに向けてしっかり戦っていきたい
全治1年半のケガで引退も頭によぎる

悔しい気持ちを胸に、東京オリンピックに向けて動き出した志水選手だったが、2017年に大きなアクシデントに見舞われる。
志水祐介選手:
左肩腱板断裂。最初に言われたのは全治1年半という診断だった。その申告を受けたときは、自分自身も『引退だな』ということや、志水祐介というものを全て失われたという思いが強かった

一度はよぎった現役引退…しかし、その思いを踏みとどませたのは周りからの言葉だった。
志水祐介選手:
新潟県・柏崎市の皆さん、そしてチームメイトからの『志水選手が日本代表には必要。戻ってきてほしい』という声援、そういうパワーが『必ず復帰しないといけない』という力に変わった
東京オリンピックに向けて武者修行へ
東京オリンピック直前の2021年1月。志水選手はある決断をした。
志水祐介選手:
レッドスターというチームは、雲の上の存在だったので驚き

リオオリンピックで金メダルを獲得したセルビアで、国内リーグナンバーワンのチームへのレンタル移籍を発表した。
志水祐介選手:
『日本・アジアのセンターは志水あり』と思わせられるように頑張って、東京オリンピックで良い結果を残せるようつなげていきたい。セルビアで自分の技術をいかに進化させるかが勝負

37年ぶりのオリンピック勝利
セルビアでの武者修行を経て、迎えた2021年の東京オリンピック。
ポセイドンジャパンは3戦目でギリシャと対戦。この大会で銀メダルを獲得した強豪相手に、終盤まで接戦を演じるも惜しくも敗れ、決勝トーナメント進出を逃す。
そして、最終戦の南アフリカ戦。志水選手は3得点を挙げる活躍を見せて、24-9で勝利。
37年ぶりとなるオリンピック勝利を日本にもたらした。
志水祐介選手:
一つ、日本の水球界にとっても大きな一歩を歩むことができたと思っているし、一歩一歩結果を残していくというところでは、最低限の仕事はしたのかなという思い
日本の水球界初の引退試合が開催
2022年3月26日、水球のまち・柏崎市で行われた志水祐介選手の引退試合。
水球選手としては初めての引退試合となったが、試合会場の柏崎アクアパークには約250人のファンが駆けつけた。

試合は日本代表チームとブルボンKZチームに分かれて行われ、志水選手は前半、日本代表チームのフローターとして出場。
得意のバックシュートを決めるなど、得点が決まるたびに観客からは大きな拍手が。

後半にはブルボンKZチームで出場し、切磋琢磨してきた仲間たちとのラストマッチを楽しんでいた。
引退セレモニーで語った水球界への思い
引退セレモニーで、娘から花束を手渡された志水選手。涙を浮かべながら、水球への思いを語った。

志水祐介選手:
こんなに面白いスポーツはない。僕は水球が一番面白いスポーツだと思っている。これからは、もっともっと皆さんに近い存在で、身近なオリンピアンとして皆さんにふれあっていきたい

志水祐介選手:
ブルボンKZは、柏崎市・新潟県の皆さんに今までずっと育ててもらったチーム。ブランドのチームなので、そのブランドをもっと大きくしてほしいし、自覚を持って戦って、日本一をとってほしい。そして、日本代表はオリンピックで今後メダルを獲得して、“水球”というスポーツの面白さを全国に広げてもらいたい
また、今後も“水球界への恩返し”をしていきたいと強調する。

志水祐介選手:
絶対に可能性はあると思うので、子どもの育成を含めて水球をメジャースポーツに変えていく。エンターテインメント性を入れた大会をつくるとか、もっとたくさんやることはあると思うので、そちらに力を入れていきたい。自分のお世話になった新潟県・熊本県には町おこしも含めて、恩返ししていきたい

水球界を牽引してきた志水選手。
第一線を退いた男は、すでに第二の人生へと視線を向けていた。
(NST新潟総合テレビ)