こちらは、収穫の最盛期を迎えた宮城・山元町のイチゴ。宮城県内有数のイチゴの産地・山元町では、震災で9割のイチゴ農家が被災した。東日本大震災から11年。名産地として復活を果たした山元町のイチゴは、次の世代へつながれようとしている。

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津波で農業用ハウスが全て流される

宮城・山元町にある観光農園「菅野農園」。

高橋咲良 アナウンサー:
こんにちは、よろしくお願いします。たくさんなってますね

菅野農園 代表 菅野孝明さん:
そうですね。これから日射も伸びてくるのでイチゴも赤くなりますし、外気温も暖かくなって、おいしいイチゴになる

農園の代表をつとめる菅野孝明さん(52)。山元町でイチゴを作り続けて30年以上。祖父の代から続く農園を震災前に引き継ぎ、父・孝雄さん(76)など家族と共に、観光農園を営んでいる。

宮城県内有数のイチゴの産地、山元町は東日本大震災の津波で大きな被害をうけ、町内にあったイチゴ農家129戸のうち9割を超える125戸が被災した。海から2キロほどの「菅野農園」も農業用ハウスが全て流され、被害総額は1億円にのぼった。

父 孝雄さん:
あの時は、これでもう終わりなんだな。立ち直るなんてことは考えられないというか

そんな中、菅野さん一家は農園の再開に向けてすぐに動き出した。震災からわずか1カ月後には、イチゴの苗づくりを再開。1年2カ月後には、震災前の半分以下の広さながら、以前と同じ場所にハウスを再建した。さらに復旧を後押ししたのが、国の復興交付金だった。

「いちご団地」完成 イチゴの生産を再開

高橋咲良 アナウンサー:
このハウスはいつ建てられたもの?

菅野農園 代表 菅野孝明さん:
山元町の復興事業の「いちご団地」で建てられたハウス

2012年、山元町はイチゴ農家のハウスを集約した、「いちご団地」の整備を始めた。2014年4月には町内に4カ所の「いちご団地」が完成し、52戸の農家が生産を再開させた。

菅野さんも、団地に整備された40アールのハウスを新たに取得。震災前と同じ規模で栽培ができるようになった。

菅野農園 代表 菅野孝明さん:
このパイプから肥料が入った水が流れて、イチゴに必要な分かかるようなシステム

震災前、山元町では土耕栽培でイチゴを育てていたが、「いちご団地」では塩害の影響を受けない、「高設養液栽培」が採用された。

菅野農園 代表 菅野孝明さん:
こういうハウスができたことで、均一なイチゴを作れて収量も安定する

高橋咲良 アナウンサー:
品質の良いものを作りやすくなった?

菅野農園 代表 菅野孝明さん:
そうです、前に比べて、みんな条件は一緒ですから

山元町によると、イチゴ農家の数は現在66戸と震災前の半分ほどだが、イチゴの生産額は約20億円となり、震災前を超えたという。

次女の夢「いちご農園を継ぐ」

菅野農園から5キロほどの場所には3年前、農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」がオープン。菅野さんも、ここでイチゴを販売している。

山元町がイチゴの名産地として復活を遂げる一方、菅野農園にも変化があった。
菅野さんの次女・ももさん(13)。学校が休みの日に、朝7時半からイチゴの収穫を手伝っている。

高橋咲良 アナウンサー:
なんでお手伝いをしようと思ったの?

次女 ももさん:
イチゴをもいで、家族の役に立てるように、家族の手伝いをしたいと思った

中学1年生のももさんには、夢がある。

次女 ももさん:
いちご農園を継ぐこと。いつも手伝っていて、ここで終わりになるのは嫌だと思って、これから先もやっていけたら

高橋咲良 アナウンサー:
娘さん、こう言っていますが、今の言葉を聞いていかがですか?

菅野農園 代表 菅野孝明さん:
うれしいですね

父 孝雄さん:
俺らの姿見て、やりたいということは、楽しそうにやっているようだと、良い面で見てくれていたというのがある。そのままでいてほしい

甚大な被害を乗り越え、復活を遂げた山元町のイチゴ。今度は次の世代が守り、つないでいる。

(仙台放送)

記事 502 仙台放送

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