40年前に見た山下泰裕の涙

五輪の「外交ボイコット」という言葉はいつごろから使うようになったのか。昔はそんな言葉はなかった。ボイコットと言えば選手を派遣しないことであり、1980年の西側諸国によるモスクワ五輪ボイコットの際は柔道の山下泰裕(現JOC会長)が涙の抗議をしたことを覚えている。

JOC(日本オリンピック委員会)山下泰裕理事
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これに対抗し84年のロス五輪を東側がボイコットしたがボイコット合戦はここまで。その後いつの頃からか、外交団の派遣だけをやめてそれを外交ボイコットと呼ぶようになった。今回米国が宣言し英豪が追随している。

岸田政権はおそらく閣僚などの外交団は派遣せず、橋本東京五輪組織委員長とか室伏スポーツ庁長官といった「元オリンピアン」を派遣し、米英豪などの外交ボイコットに「事実上」同調するのだろう。ただし中国に気を使って「外交ボイコット」という言葉は使わないとか、まあいろいろ逃げ道を作るのではないか。

橋本聖子東京五輪組織委員長

岸田さんが曖昧な態度を示すと怒る人もいるだろうが、そもそも外交ボイコットって何なんだ?五輪は優れたアスリートが緊張の極限の中で見せてくれる最高の演技を我々凡人が楽しむもの、だと僕は思う。どの国のどの政治家が来たとか来ないとかどうでもいい話だ。五輪に政治を持ち込むな。

「朝貢」が嫌なら開会式も出るな

政治とスポーツは別なので選手は派遣するという各国の判断は正しい。だけど日本代表の選手たちが開会式で習近平国家主席の前を行進することに違和感を覚える人は多いのではないか。僕はものすごく嫌だ。違和感の理由は後漢時代に始まったとされる中国の「朝貢外交」における皇帝への「拝謁」のイメージと被るからだろう。いくら外交ボイコットしても自国の選手が習近平に拝謁するなら朝貢ではないか。

日本代表の選手たちが開会式で習近平主席の前を行進することに違和感を覚える

ここに外交ボイコットの二枚舌がある。中国の人権侵害は許さないので外交団は送らないが選手は送る。本音では開会式をボイコットしたいが、それは五輪の意義とか開会式のテレビ中継とかIOCにとっては受け入れ難い話だ。だから選手は開会式に出る、というところで欧米も中国もIOCも折り合っている。外交ボイコットは誰も損しない、とっても居心地のいい落としどころなのだ。

そういう「大人の事情」に日本はあまりピュアに反応する必要もないと思う。岸田さんは日本らしいやり方で北京五輪に参加すればいい。

政治家は五輪に来るな

1つの解決法としてどんどん演出が派手になっている開会式の「簡素化」があると思う。東京五輪でもドローンが飛んだり、妙な「小芝居」をやったりしていたが、あれ楽しみにしてる人いるのか?入場行進だけでいいではないか。もちろん迎える側は政治家はなし。天皇とか王様とか政治権力を持たない人だけ。その国の子供たちが迎えるのもいいし。つまり「国家の威信をかけて」とかそういうのをやめてしまうことだ。そうすれば五輪から政治性がなくなる。

14日 パリ五輪開会式の計画案が発表された「Paris 2024 / Florian Hulleu」

それより民主国家と専制国家の対立がこれほど鮮明になってしまった以上、五輪における外交はもう一切やめてしまった方がいいのではないか。永遠の外交ボイコット。政治家は五輪に来るな、ということだ。世界の人々はアスリートの素晴らしい演技を見たいだけであって、国家同士の外交駆け引きは別のところでやればよい。政治家は余計なことをして我々から五輪という楽しみを奪わないでほしいのだ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】

平井文夫
平井文夫


フジテレビ報道局上席解説委員。2020年4月から立命館大学客員教授。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。

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