名もない建物に沖縄の歴史がある

沖縄県では台風やシロアリによる被害を防ぐため、コンクリート造の建築の比率は全国と比較しても高く、実に9割がコンクリート建築と言われている。戦後急速に広まったコンクリート建築、戦前に建てられた建築物が今も残っている。

人気の書籍・沖縄島探訪シリーズ。2020年に発売された「沖縄島建築」は、人々の生活の移り変わりが建物の写真とともにまとめられていて、沖縄書店大賞の準大賞を受賞した。手掛けているのは写真家の岡本尚文さん。

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写真家 岡本尚文さん:
個人の一人一人の暮らしの部分に非常に興味があって。本当に名もない建物の中に実は沖縄の歴史があって、そこに物語みたいなものとか、歴史とか記憶を結びつけることで「残したい」とか、そういう形にいかないかなぁっていうのもあるんですよ。「沖縄島建築」の中にはね

ひときわ目を惹くのが、大正14年(1925年)に竣工した大宜味村役場の旧庁舎だ。「沖縄島建築」で本の監修を務めた、一級建築士の普久原朝充さんに話を聞いた。

一級建築士 普久原朝充さん:
RC造って僕らは言ったりする。沖縄で残っている鉄筋コンクリート造で、最古の建物ですね

大正、昭和、平成、そして令和。大宜味村の潮風を浴びながら今もそこにたたずむ建物は、2021年で竣工から97年を迎えた。大宜味村役場の旧庁舎は、日本でもコンクリート建築が始まった頃の時代に本土から招かれた技術者が設計した。

大宜味村役場旧庁舎
大宜味村役場旧庁舎

県内では他にも那覇区役所などがコンクリートで建設され、木造が主だった沖縄建築に新しい風が吹き始めていた。

災害から守るため導入 当初は住民に抵抗感も

一級建築士 普久原朝充さん:
当時、熊本からいらっしゃった清村勉さんが独自で調査されて。沖縄は台風だったりシロアリ被害だったりという苦労があるので、長く建てる建物はやっぱりコンクリートの方がいいだろうと

大宜味村役場旧庁舎の設計を手掛けた熊本県出身の清村勉は1920年、国頭郡役場に建築技手として招かれた。

沖縄に着任した清村は国頭郡管内をくまなく巡り、木材・石材・砂など建築資材の種類や量のほか、建築形態や台風・シロアリによる被害の実情までくまなく調査した。清村の見た沖縄は、木造建築一色の島だった。

一級建築士 普久原朝充さん:
沖縄の建物を災害から守るために、当時まだ沖縄に導入されてなかったコンクリートを導入して、地元の大工さんと一緒に頑張って建てた建物が、いまだ残っていることが素晴らしい

県内でも丁寧な仕事と腕が立つことでその名を馳せた「大宜見大工」とともに、村総出で行った建設工事。一方、地域の高齢者からは「なんで石の家に入らないといけないのか」と想像だにしなかった声があった。

一級建築士 普久原朝充さん:
最初のころはコンクリート造建築に、お年寄りはあまりいい顔しなかったといいますか。それはなにかと言うと、石の家っていうのは、結局「お墓」ですね。亀甲墓とか、石でできているのは亡くなってからのお家だという感覚なので。生きている間にコンクリート造の家に入るのは、忌避感を持っている人は多かったようです

大宜味村役場を完成させた清村はその後、建設を任される度に木造と鉄筋コンクリート造の2つの設計図を用意し、台風やシロアリに強いコンクリート造を積極的に薦めたという。

戦世を越え歴史を伝える「大宜味村役場旧庁舎」

しかし、1944年10月10日の空襲で那覇の街は焦土と化し、コンクリート造の市役所も無残な姿に変わり果てた。激しい地上戦は沖縄のシンボル、首里城をも焼き尽くした。

戦禍を潜り抜けた貴重な沖縄建築が、大宜味村役場の旧庁舎なのだ。大和の世からアメリカ世。アメリカ世からまた大和の世。時の流れを今に繋ぐ建築。

写真家 岡本尚文さん:
この100年ほど、建築だけを見ても沖縄がそうやっていろんなものの影響を受けて、それに対して折り合いをつけていく中でまた新しいものを作っていく。そういうことの繰り返しなのかなと思っていますね。だから建築を見ると本当に、沖縄の戦後が良く見えると思います

現存する最古のコンクリート建築は、時代に翻弄されながらも力強く歩んできた沖縄の歴史を今を生きる私たちに伝えている。

(沖縄テレビ)