合掌造りの家々で作られてきた素朴な味

岐阜県白川村に、昔から愛される特産品の豆腐がある。縄で縛っても崩れない「石豆富」だ。この石豆腐を作っていた職人は、新型コロナによる観光客の減少や自身の高齢化を理由に2021年3月、店を閉めた。

しかし、白川村のおいしい特産品をなくしたくないと、東京から飛騨にUターンしてきた28歳の男性が豆腐作りを継承。代々続く味を守るために奮闘している。

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合掌造りの家々が並ぶ、岐阜県の白川郷。

その白川村で昔から愛される「石豆富」には、“豆”に“富”み、幸せに富むという思いが込められている。合掌造りの家々で代々受け継がれてきたこの味を守っているのは、古田智也さん(28)。

作り方は一見するとシンプル。まずは、大豆をすりつぶして煮て、豆乳とおからに分ける。

古田智也さん:
豆腐の食感に関わってくるので、その日の気温とか湿度によっても、水の量を調節してやっているので、そこが難しいです

“にがり”を加え、型に入れて固めていく。そして、機械を使って圧力をかける。これにより豆腐は硬くなり、大豆の味がぎゅっと凝縮される。

古田さんは、師匠である大野誠信さん(74)から石豆富の作り方を教わっている。

大野誠信さん:
ちょっとやわいな。水の入れ過ぎやな。でもいい出来よ、でき自体は

大野誠信さん:
(古田さんは)一生懸命やっとるじゃない。あんまりついて言うと、やりにくいやろ。一度教えた以上ね、あんまり口出さんように…

コロナで観光客が減り店は閉店

古くから白川村の家庭で作られ、愛されてきた硬い豆腐。大野さんは、この村の特産品を観光客にも楽しんでもらおうと2000年に「深山豆富店」を開業した。

しかし、店は2021年3月に閉店。理由は自身の年齢と新型コロナだった。

大野誠信さん:
人(観光客)がおらんというと食堂も旅館もダメやし。結局、お客が来んで(販売する)量が減ってしまうわけじゃん。採算が合わない…

感染拡大前には年間、約215万人の観光客が白川村を訪れていたが、2020年は約70万人と3分の1にまで激減した。

「おいしい特産品をなくしたくない」伝統の味を守るため地元へ

古田智也さん:
寂しいですよね。この光景(閑散とした村)を見ると。僕の知っている街並みの景色じゃない

生まれも育ちも高山市の古田さんは、東京の大手総合商社で働いていたが、2021年6月に故郷に戻ってきた。キャリアを投げ捨ててのUターンだった。

古田智也さん:
コロナ禍になって、いろいろ考える時間が増えて…。地元で苦しんでいる人たちを見ながら、自分は何ができるのかなと考えて

もちろん迷いや不安はあったが、自らの未来の姿を思い描いた末の決断だった。古田さんが勤める飛騨のベンチャー企業「ヒダカラ」が、深山豆富店の事業を引き継いで店の再開を目指している。

ヒダカラの担当者:
閉店するしかないって話もあったんですけど、石豆富は残したいという思いもあったので…。それなら私たちがやる可能性もゼロじゃないのかなと

豆腐事業の責任者を務める古田さんは、豆腐に関する様々な本を読み勉強している。

古田智也さん:
師匠は長年の経験で豆腐を勉強していたんですけど、僕は科学的根拠に基づいて…。おいしい豆腐を作っていくためにいろいろ勉強しています。かなり奥が深いです

薄くスライスしても崩れることがない石豆富は、箸で持ち上げることもできる。

ヒダカラでは、様々なスパイスで石豆富を楽しむ試食会を開き、新しい食べ方を研究。豆腐のみそ漬けや塩こうじ漬けなど、新たな商品の開発をしている。

閉店から約半年、石豆富に再び灯った明かり

9月10日、深山豆富店のプレオープンの日。師匠も太鼓判を押す古田さんが作った石豆富が、店頭に並んだ。

閉店から約半年ぶり、深山豆富店の石豆富を求めて村の住民たちが次々と訪れた。

女性客A:
嬉しいね。閉めていたからね、寂しかった

男性客A:
昔から食べている豆腐やな

男性客B:
ものが違うよね。焼けるし炒められるし、無くてはならないものかな

大野誠信さん:
長かったです、3月から今まで。本当に引き継いでくれるか心配していたけど。今日引き継いでもらって一安心です

古田智也さん:
ありがとうとか、楽しみにしていたと言われると、頑張ってきた甲斐があったと思いますし、これからも頑張りたいなと

“豆”に“富”み、幸せが富むように…。白川村が再び活気を取り戻す日まで。石豆冨の店頭販売は土日・祝日のみだが、通販も行っている。

(東海テレビ)

東海テレビ
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